『揺れうごく鳥と樹々のつながり 裏庭と書庫からはじめる生態学』吉川徹朗

 

揺れうごく鳥と樹々のつながり (フィールドの生物学 25)
 

 

 このご時世、マイクロツーリズムなんて言葉も注目されているが、当地に住んでいても顧みられないものというのは沢山あって、遠出して求めているものに比して何が違うかと言えば、特に何も違わない。ただしそれでも旅行へ出掛ける人に聞けば、こちとら見慣れていないものが見たいと言うだろう。

 じゃあそういう時の見慣れているって何かというと、詳しくは知らないがいつも目に入れているぐらいのことだ。『となりのトトロ』の作中、水汲むサツキの足下にコンロンソウがあるなと判別できるくらい細かく描きこまれている草花みたいなもので、目に入れながら名前を知ろうとも思わず、そこで何が起こっているかについてもあんまり問題にされない。問題にされないことを問題にして、また逆説的に理想として、宮崎駿はそんなことをしたのだろうが、公開して年月が経とうと、「見慣れている」ものを問題にするのは、踏み越えた趣味の人や研究者ぐらいに留まっている。それを見て育ったはずの我々のうちの何割が、クスノキやジャノヒゲをすぐにわかるサツキほどに木や草について知っているだろう。こういう知識を「世界の解像度」なんて言葉で手段のように扱ううちは、理想から離れるばかりだ。

 そうした見慣れているのに顧みられない場として、著者は裏庭と書庫を挙げる。

 裏庭と書庫。どちらもある程度私たちの身近にある場所であり、あまりめだたない場所である。どちらもある種の狭さをもった、限定された世界にすぎないのは確かである。けれどもこうした身近な場所でも、好奇心を刺激する発見があり、興味を掻き立てる謎があり、それを解き明かす楽しみがある。大学の研究室のすぐそばにある「裏庭」で調査をはじめた私は、そんな発見と謎解きに導かれることで、研究を続けることができた。もちろん身近な場所を出て、遠く離れた海外のフィールドで研究することがすごく刺激的である。図鑑でしか目にすることがないかっこいい生物や珍しい生物を追いかけるのも魅力的だ。ふだんの環境から離れることで新たな視界が開けることも多い。だが同時に、私たちの近くの場所にも意外な発見はいくらでも転がっていて、そこからさまざまな謎解きをはじめることができる。「裏庭」に通うなかで見たり聞いたりする生き物たちの雑多な姿が、私にとっては研究の原点になった。

 (「はじめに」より)

 
 樹々と鳥たちの様々な関係から、種子散布について受粉について、つまりどのように樹々が繁殖していくかを考えるというのが著者の研究である。
 とはいえ、話は著者が研究室に入るところ、そういう場所を顧み始めるところから順を追うので、顧みてぇなぁ自分も、ここらで、という感じを持っている人にも大いに参考になるだろうし、私も皆に対して、顧みてホヂ、と ちみ語で思わずにはいられない。

 それは、著者が研究を進める中で、そんな風に人知れず顧みている奴らのフォルダが火を噴くところがあって、無性に感動してしまうからだ。

 著者が鳥と果実とのつながりを捉える上で出てきた問題に、「それぞれの鳥に対する観察努力量の多寡」がある。「たとえば、ヒヨドリは非常に多種の果実を食べていると記録されているが、この鳥の個体数が多いことが、記録された果実種数の多さに影響されているかもしれない。またすりつぶし型のキジやヤマドリも見かける機会こそ多くないが、もっとも人気のある狩猟鳥であり、胃内容が分析される機会も多い。これが食性幅の過大評価につながる可能性がある」というわけだ。芸能人が何を食べているか知りたい時に、ラッシャー板前が港で魚介類を食べていたという記録ばかり集まってきたらつらい。

 著者は、日本野鳥の会神奈川支部が発行している『神奈川の鳥 二〇〇一―二〇〇五 神奈川県鳥類目録Ⅴ』(日本野鳥の会神奈川支部、二〇〇六)を手に入れて、問題解決に向かう。これは、神奈川支部の有志が、県内で観察される野鳥の行動を収集するために築いたシステムをもとに記録を数年ごとにまとめたものだ。
 実に細かいそのデータに喜んだ著者が新たな目録をさらに購入すると、そこにCD―Rが同封されていた。

何気なくこれをパソコンに入れて開いてみて、衝撃を受けた。そこには会員の方が一九七〇年代から収集されてきた全観察記録が、エクセルファイルに収納されていたのである。一件一件の観察記録について、日時、場所、環境、鳥の種、鳥の行動まで事細かな情報がすべて掲載されている。冊子に断片的に掲載されていた果実色のデータのそれぞれについて、元のオリジナルの観察記録が格納されていたのである(ただしプライバシーの観点から観察者の氏名は伏せられている。また希少種の保護の為に繁殖に関する記録も伏せるなど保全上の配慮もされている)。収録された観察件数は全部で十八万件以上、そこに出現する鳥は三八〇種にのぼる。そのオリジナルデータの質と量は圧倒的なものだった。
 日本野鳥の会神奈川支部は、『BINOS』という支部独自の研究誌をもつなど、鳥類の研究と保全活動に力を入れている支部であるということは以前から知っていた。これまでの鳥類目録の著作で、そのアクティブな活動は知っていたが、これほど整理されたデータを目の当たりにして、大きな衝撃を受けた。すごいデータだ。後日、支部の会員の方にお話を伺ったところ、設立当初からこの支部では野鳥の基礎生態について関心が高かったという。一般にバードウォッチングをする人は、珍しい鳥を見つけることに感心を向けることが多く、それはそれで鳥の分布の貴重な情報になるのだが、神奈川支部では普通種の生態に感心をもつという伝統があり、その観察データの蓄積を継続され、生態の解明と鳥類保全とに活用されてきたという。目の前にある鳥類目録のデータが、たくさんの会員の方による長年の努力の結晶であることが、一目見ただけですぐに理解できた。そして、このデータを使うことでこれまでの研究の課題に取り組むことができる。そう直感した。

 (p.102~104)

 
 感動して長々引用してしまったが、こういう踏み込んだ人々の得がたい努力と協力が支えている自然への理解と興味を、自分の並べる文字列にも書き込みたいと思う。トトロに描かれた里の森林や川は、作中の時代よりも、公開した時代よりも、保全の進んだ今の方が顧みやすいものになっているところも多いのだから、足をのばす甲斐もある。

 途中に著者も書いているが、公園で鳥を観察していると「何か(珍しいの)見ましたか」と声をかけられることが多い。「それはそれで」有益だし、池の裏にオオルリが来てまっせと自慢げに教えたこともあるが、やはりそういう「顧みない」タイプの発想には熱心に付き合いきれないところもある。
 見慣れないものを見たいというのは己の知に積極的な態度なのだろうが、もはやそれが人類にとっての知であることは滅多にない。知は、己の、我々の無知に積極的な態度で顧みる人が残してくれる。そんな人と共に過ごしたい。もちろん、そういう人の多くは全国の裏庭や書庫にいて、せいぜい何かの機会に袖を振り合うだけなのだが、互いにそれもまたよしと思っているに違いない、信頼し合う仲間である。

 野鳥の会神奈川支部の中心は、平塚市博物館学芸員をして神奈川大学に勤めた浜口哲一という人物で、著者がデータを研究に利用させてもらえないか連絡をとってみると「研究目的の利用なら歓迎します」と快諾してもらえたという。

このように真摯に対応いただいたことには感謝しきれない。じつを言うと、浜口先生のお名前は以前からよく存じ上げていた。私が野鳥観察をはじめた当時いつも持ち歩いていた図鑑(『野鳥』山と渓谷社、叶内・浜口 一九九一)の解説を書かれていたのが浜口先生だったからだ。ボロボロになるまで使い込んだ馴染みの図鑑、その著者の方とのご縁を不思議に思った。

 (p.105)

 

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冥福を祈る。

 

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 持ち歩いている。

 

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トトロに描きこまれた野草は大体載っており、その愛で方を学ぶことが出来る。

 

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