(結果はともかく予約投稿されるようになっておりま した)
現代の日本の小説で複数人の会話が描かれることは驚くほど少ない。ほとんどが二人、時に三人で話している。四人はあまりなく、五人以上はまず見ない。ましてや長くは続かない。あとは、四人か五人いるらしいところでも、話し始めると一対一がペアを替えながら行われているだけというのもある。
文学の界隈では「人間が書けている」みたいなことを言われるが、人間について書くなら複数人で話す場面など沢山あって然るべきなのにそんな風なのはなぜかと言えば、結局のところ主な理由は、四人以上になると言動を追うのが大変だからである。話題や流れを作り上げるのはもちろん、口調や語彙や性格の違いも考慮しないといけないし、そもそも何か言ったりやったりするたびに誰の言動か示す必要がある。恐ろしいほどテンポが崩れ、異常に重複する「言った」「見た」とかの語には絶えず工夫が求められる。単純かつ複雑な話だが、その全部が見栄えに関わるということまである。
これは日本語に限っても、小説の言葉というのが三遊亭園朝まで遡ると考えれば無理もないことで、話芸において登場人物を顔の向きだけで演じ分けられるのは二人まで、それより増えれば角が立つ。「牡丹燈籠」の速記なんか読んでいても、孝助出立という地語りを挟んでテンポを落としたくもない場面は、見送る三人がみな泣いて演じ分けもぼやけるため、台詞の最後で「婆ア何を泣く」と次の人物を示すなどなけなしの手で対処している。こういう工夫を凝らしたところで角を立てないためにはやはり四人――そのあたりに限界があるらしい。
話芸でいう上下をつけるだけ、つまり鉤括弧を改行して並べるだけでも小説は成り立つ。複数人の会話を書いたところで、労多くして功少なしというのもわかる。しかしここ数年毎月届く各文芸誌で小説が成り立っているのとか『嵐が丘』や『白鯨』とかを見て、私はその労を是非ともしたくなったのだが、もちろん理由はそれだけではない。
J・D・サリンジャーは、特に長さのある小説では、複数人での会話をあまり書かない作家である。さんざん人と喋っているように思える『キャッチャー・イン・ザ・ライ』でも、登場人物たちは一対一でしか話をしない。
その避け方はかなり徹底されている。寮の部屋にいる場面では、アックリーとストラドレイターは入れ代わりにしか出てこず、一分と同じ場にいない。ナイトクラブで出会った三人の女の子といても「ほとんど彼女ひとりに向かって話しかけている」と書いた上で残りの二人は台詞を与えられない。二人の修道女との会話でも喋るのは一人だけ。アントリーニ夫妻を訪ねた時に至っては「二人が同じ部屋に同時にいたためしがない」「変なうち」という奇妙な設定にしてまでも、三人の会話を避けている。フィービーとの対話は言うまでもない。
作中、三人が同じ場にいて全員が台詞を発する場面は、アックリーとストラドレイターが入れ代わる一瞬と、娼婦を買った際に金でもめるというか巻き上げられる時の、これも一瞬だけだ。そして後者では実に象徴的なことに、斡旋人モーリスとの一対一の対話に三人目の娼婦サリーが口を挟んで三人の会話になった途端、ホールデンは泣き出し、取り乱して罵倒したせいで殴られ、のされてしまう。
つまり、『キャッチャー』の中でホールデンは徹頭徹尾、一対一でしか話をしない、あるいはできない人間として描かれている。念のため言っておくと、これは無論サリンジャーの文章技術の問題ではない。『ナイン・ストーリーズ』に収められた執筆時期の近い短編では、三人以上の会話場面が描かれている。
身も蓋もない言い方になるが、サリンジャーは三人以上での会話をろくでもないものと考えていたに違いない。人が口に出して喋る言葉がそんなに高尚であるはずもないから現実においてもそうだというのもあるし、冒頭で書いたように小説上の問題すなわち三人以上になれば間に文が必要になるということでもある。話芸とはさらに異なり、文字表現において台詞と描写は、互いにとって時間と場所を取るノイズとして存在している。一対一なら描写はなくてもいいし、あったところで話を追うのは容易いのだ。
そして小説の全体を見てみれば、『キャッチャー』は一対零の対話という形式をとっており、ホールデンはその状況においてようやく、最も饒舌に、最も冷静に語ることができるのだった。
サリンジャーが書き言葉と話し言葉の問題について考え続けたのは作中の端々から伝わってくるのだが、一方でその考えは書き言葉によって行うしかないほど複雑になっていった。また「ズーイ」に顕著だが、自身の宗教への傾倒も会話文のあり方に影響を与えたはずだ。聖書でも禅問答でもバガヴァッド・ギーターでも、教義が対話形式で示される時、人称レベルでは一対一の形をとるのが基本である。とはいえ、それだって元々は前述したようなノイズを排除するという合理的な理由に基づくのだろう。
そんなサリンジャーが、比較的長い作品の中で、三人以上の会話を卓越した技術でしっかり描いたのは「フラニー」と「ズーイ」の間で発表した「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」だけである。ろくでもない三人以上の会話をろくでもある沈黙に対置し、そこにシーモアとバディさえ二重写しになるような構成がとられている。要は、ろくでもない三人以上の会話を書く理由を小説全体で用意周到に固めている。
そこまでしなければ書こうとしなかったのだから無理もないが、サリンジャーはそれから、三人以上の会話をまともに書くことはなかった。「ズーイ」では全編が人を替えながらの一対一の対話、続く「シーモア―序章―」や「ハプワース」では、一人が書いた記述となって対話すらなくなる。
私はサリンジャーの選択と信条に大いに納得して感化されてきたし、自分なりに小説を書いてどう生きるかについて考えてきたが、もはやサリンジャーを真似るだけでは考えを進められそうにない。サリンジャーを知るために、サリンジャーが選ばなかった道を踏んでみたいと思った。サリンジャーが複数人の会話を弁明的な構造以外では書かなくなったことが彼の人生と小説をどうしてしまったのか、考えたいと思った。コーニッシュでの隠遁生活において、サリンジャーは隣近所との日常会話を楽しんでいたという。
サリンジャーの裏に回ってその姿を見たい。これが『それは誠』でやろうとしたことではある。私が腰を据えて小説を書くとき、プロットは基本的に一つしかない。サリンジャーが小説家としては後期の作品で盛んに採用した「誰かが一人でそれを書いている」というものだ。
『それは誠』に取り組み始める時、その「誰かが書く」態度として、ホールデンから始め、早々に離れることだけは決まっていた。
何によって離れるかといえば、もちろん三人以上の会話を書く意志によって離れるのである。上述のように、三人以上の会話を書いた時点で決してホールデンではない。口調がどうとか考える内容がどうとかは、その決定的な断絶に比べればまったく些細で表面的なことだ。語りの全体についてホールデンを引き合いに出す評や何かが出ていることを想像するとぞっとしないが、出ているとすれば、サリンジャーやホールデンへの理解、小説における会話文への意識というのはやはりそんなものだということである。
ただ、会話が増えることで小説が俗な方に振られるのは避けられない。何度も言うが、会話というのは基本的にろくでもないもので、何かをまともに考える風にはできていないからだ。サリンジャーはそれを厭がったのだし、私としても、何かを考えるために会話を書こうという目論見と矛盾が生じる。
とはいえ、結論としてはやるべきことは一つだとも言える。要は、「書いている誰か」がそんな面倒な会話をあえて書こうと心を尽くすことが「書くこと」や「生き方」にまつわる葛藤や格闘を孕んでいればいいのである。閉じた言い方をするなら、その人物が〈通俗的〉に書こうとすること自体が〈文学的〉な試みであればいい。最大限に頭の悪そうな言い方をするなら、〈直木賞〉の書き方で〈芥川賞〉であればいい。むしろ盲目的に〈文学的〉な人々から〈通俗的〉とわざわざ思われる小説を目指すぐらいでなければ、この個人的な目的は達成できない。それでいて「読書の素人」がまだいることを願って書くのだから、読者には何も求めていないのと同じかも知れない。
そんな大枠も大枠を毎日考えて東京西部を歩き回っていたら、非常に複雑な状況に置かれた語り手の姿が少しずつ現れてきた。
最大の懸念は、この語り手がそれなりなんてレベルを超えた技術を持つことになるという点だ。文芸誌を開いたところで四人以上が入り乱れる会話なんてまず書かれず、たいていは地の文の塊の間に「」が三つ四つ並んで弁当箱のバランみたいな一群れをつくったり、敏感な人は地の文に散らし溶かしして表現を模索するという昨今である。その作者たちを見る限りサリンジャー的な偏執的な葛藤から会話を避けているわけでもあるまいから、これはよほど慣習の問題に近いと思われる。良い悪いではなく、全体的に長期的に小説がそういうものであったがために俎上にも上がらず、そういうものとして読まれ書かれながら工夫の方向が定まっているのだ。良い感想・書評・批評を書けるのが良い小説だというのは誰の腹にも少なからずある思いだが、新たなテーマだ構造だ文体だ人称だと次々短い命綱を結んであれこれやっているうちに、今さら取り立てて語るべきこともない職人的な身体能力や愚直な技術は業界全体から失われつつある。
というわけで、私は語り手=書き手を、こんな時代には珍しい複数人の会話文を書く泥臭い技術を持つ高校2年生として書き始めなければいけなくなった。これは、物語の展開のリアリティなんかとは比べ物にならないくらい、作者として自分を納得させるのが難しい問題である。物語の展開なんぞは、この時にこの場所にいればこんなことが本当に起こりうるというだけで十分だ。もちろん、そのためにはこの時この場所についての綿密な取材が必要になるが、現場に通い詰めてこの世界の驚きを根気よく集めるだけで話は一つにつながるのだから、日野に計一ヶ月も滞在して一日中歩き回る金と時間がかかったところで苦労とはいえない。先日の取材で「小説を肉体労働にしたい」と言ったのだけれど、これはずっと考えていたことで、私がペンネームに「乗代」という漢字を選んだのもそのためである。
さて、結果的に佐田誠の書いたものは、彼が書かなければならなかった思い出として原稿用紙300枚近い量になり、話者の入れ代わりの激しい同学年の男女七人とか同性四人の描写を交えた会話が大体を占めた。四人家族を書くのとはわけがちがうのを他人事のように見返しても、このような会話を長々書くのはかなり大変だろうと思える。でも、そんな高校生がいるかという問題について、私は途中から全く気にしなかった。高二で書き始めた頃を「大昔」という彼が、何歳でこの小説をこの形まで書き終えたのか知る由もないからだ。これはあくまでも私の感覚だが、思い出深い出来事を終えてそれを書くがために高二からろくな人間関係を持つこともなく、〈通俗的〉とか〈文学的〉とかを気にせず色んな文章を片っ端から書き写したり書き方を試したり独学で様々な練習をして、37歳ぐらいになったらこのくらい書けるかなと思うが、実際のところはわからない。ただ、「孤独」という言葉を誠にしようという自負と後悔と長い時間を経て彼がそこに座っていることをわかるような、「書く」を人間関係の手段にすることを拒んで生きること、そうして書くものの意味を知るような人がこの世にいてほしいとは思う。
とにかく、彼が会話を書かなければという決心を形にするその途中で、様々な理由で文体を変えていかなければいかなかったのは確かである。あらゆる困難に見舞われたはずだ。例えば、これも取材で訊かれて話したことなので書くと、吃音者の吃音を文字上に再現することが複数人の会話を書く上でどんなに自分を助けるのか、彼は実感しただろう。それを書くのか書かないのか、書くならどの程度書くのか、その選択自体が倫理的な問題として自らを締めつけていたにちがいない。
とか言いながら、それをさせているのはもちろん作者の私なのだが、その他にも彼に負わせた無数の困難を思うと、なかなかえらい奴だなと感じる。その困難やえらさを、私は彼として書くことで少しでも実感したい。そのために小説がある――とまでは言わないが、それを求めて、語り手をますます暗く狭いところへはまり込ませてしまう。
ただそこは、息苦しくとも、誰の声も聞かずに「素敵なこと」を信じられる場所ではある。そうなるとこれはどうもやはり、裏へ回ったはずなのに、サリンジャーと同じ穴にいるような気がするのだった。
こんなわずかなことは、ネタバレでも作者解題でもサリンジャー理解の糸口でもなんでもなく、個人的な志の問題に過ぎないが、それだって誰にも本当にはわかりはしないと思っているし、わかられてたまるかと思っている。たぶん恵まれているのだろうが、私は私が尊敬する人たちと同じように自分にだけわかるやり方でもっといい人間になりたい。こそこそといい人間になりたい。その独りよがりな願い自体をもっとずっと、見えなくなるくらいの透明な願いに、小説でしていきたいと考えている。
一生やれ、なんでもやれ、ほっといてくれ――これは私の二十年来の座右の銘で、それが書かれた『IMONを創る』(いがらみきお著)という本がこのたび石原書房から復刊されることになったので、どうぞよろしくお願いします。