『ローベルト・ヴァルザーとの散策』カール・ゼーリヒ、ルカス・グローアほか/ 新本史斉訳

 

「今日ローベルト・ヴァルザーが忘れられた作家のひとりに数えられていないのは、まずもって、カール・ゼーリヒがヴァルザーを気にかけた、という事実のおかげである」
W・G・ゼーバルト『鄙の宿』p.118)


 ゼーバルトはそう書いた上で、その功績として真っ先に「ヴァルザーとの散歩の報告」を挙げている。それは、精神病院で暮らしていたヴァルザーと接触し後見人となったゼーリヒが、二人で何度もした散歩について記録したもので、すなわち本書を指す。刊行は一九五七年だから、六十年以上経っての日本語訳ということになる。
 2020年、本書の訳者である新本史斉さんによるヴァルザー論なども出て、ようやく一般読者もヴァルザーの人となりについて触れられるようになったという昨今である。
 ちなみに、新本史斉さんと書くのは、自分がヴァルザーについて書いていたのを知っていただき、人の縁を通じて本書をご恵贈くださったからだ。ありがたい話である。
 とはいえ、本をもらったから書評を書いているわけでもない。本をいただく前に、書評する関係で読んでいた本のうちの一冊が本書で、そのために書いた書評に書き足しているのがこの文章である。じゃあなんでそれが文芸誌に載らないかというと、ちょっとややこしいのだが、新刊を十冊ぐらい読んで、四つ書評を書いて、二つ編集部に出して、一つを選んでもらったからだ。他のはいつかブログに載せようと思ってためている。

 さて、本邦におけるヴァルザー受容の状況みたいな話だったはずだ。
 それまで、日本語読者としては――自分の視野の狭さも大いにあるが――ゼーバルトの他にもベンヤミンブランショソンタグ、ビラ=マタス、アガンベンなんかで興味を持ったところで、ヴァルザーの人となりについてはどこか神話的な印象をたくましくしていくしかないというのが実情だった。
 しかし、ヴァルザー本人の文章を読んで思われるヴァルザーは、そこで語られているものとも違うところにあるような気もしていた。
 ヴァルザー自身は「ヴァルザーについてのヴァルザー」で「そういうわけで、わたしの望みは、注目されないことなのです。にもかかわらずわたしに注目したいというのであれば、わたしとしては、注目する人たちには注目しないことにするまでです」と、そんなに注目もされなくなった頃に書いている。
 彼ら「注目する人たち」の声に首肯してのみ作家を検討するような見方は、世間でも当たり前に行われていることだが、ヴァルザーがおそらくそれを素直に望むことがなかった以上、なんとも興味が続かない気もする。
 そんな自分もまた「注目する人」に過ぎないという誹りはもちろん免れないにしても、言ってしまえば自分は、ただヴァルザーと一緒に散策したいのである。ゼーリヒのように。だからこの本が出たことは素直にうれしかった。

 さて、もちろん本書は、伝記的あるいは文学史的な楽しみ方もできる。カフカが自分の愛読者だったことを伝えられても、ヴァルザーは「払いのけるような仕草で、カフカの作品はほとんど知らないと言う」のだから興味深い。
 伝記的といえば、さっきのような事情で同時期に出たトーベ・ヤンソンの伝記も並行して読んでいた関係で、月並みな表現になるが、色々なことを考えさせられた。
 ヴァルザーが精神病院に入った年に自画像を展覧会に出品してデビューしたトーベ・ヤンソンは以後、仕事が途切れず、学びながら苦悩しながら仲間の中で制作を続け、戦時下の一九四三年には「希望の光を灯すため」としてアトリエでパーティーを主催して過ごし、ムーミントロールの原型を初めて公に描いた。
 同年、ヴァルザーは軍隊の合間を縫って会いに来たゼーリヒを待ち構えてこう言っている。「なんと軍隊臭いんでしょう! 銃器油の、革の、藁の、それに汗の匂い――まるでわが家にいるような気分です。すばらしいことだと思いませんか、民衆とあれほど親しく、兄弟そのままに身を圧しつけあって生活するのは?」それを受けたゼーリヒが、軍隊での簡素な生活にはいつも心ひかれると言うと、こんな答えを返したそうだ。「それこそまさに軍隊生活の最たる利点の一つです。あり過ぎることは、煩わしいことでもあるのです。真なる美、日常の美は、乏しさと倹しさのうちにこそ、そっと姿を現すのです。」

 もう少し伝記的文学史的な話題を続けると、ヴァルザーの兄であり流行画家であったカールは、このまえ日本でも復刊された『トンネル』のベルンハルト・ケラーマンとともに日本へ来たことがある。ジャポニスムが流行の兆しを見せる頃、出版社主の肝いりで実現したシベリア鉄道を経由した旅行話は弟にも語られたようで、モスクワの広場で横柄な態度を取ったケラーマンを兄がビンタしたことまで知っている。
 同様に、ヴァルザーにもポーランド旅行記を書く依頼が来たが、「どこにも行きたくない」と断ったという。その言い分は「想像力がある限り、どうして作家が旅行する必要があるでしょう?」というもので、作家の不遜な言葉のように聞こえるかも知れないが、本書に散りばめられたヴァルザーの言葉に見れば、それがどういう思想に支えられている発言であるかは自ずと知れる。さらには、その思想がどう書くものへ結びついていったのかも。

 自分も散策を習慣としているため、「旅」と「旅行」を混同している人々から、もっと遠くへ行かないのかとか異国文化に触れるのはどうですかとか訊ねられることがある。そこにはずっと同じことばかりやっているじゃないかという含みもあるかも知れないが、ヴァルザーならこう言うね、ということになる。
「若い頃はとかく祝祭的なものに惹かれるのです。日常に対しては敵意すら抱いてしまう。翻って老年にあっては、祝祭日よりも日常を信頼するのです。普通のことのほうが、不信感をもたらす普通でないことよりも好ましくなるのです」

 経験というのは、馴染みの場所と離れているからといって価値が高まるマイルのようなものではない。まして、それで小説が書けるなんて思うのは、それこそ想像力に欠けた発言だろう。
 どこかに行けば何か書けるというのは、どこにいようと何か書けるということでしかない。まして、土地というのは、世界というのは、一度や二度訪れてその気になっている者に心を開いてはくれないものだ。

 なにしろヴァルザーを気にかけたゼーリヒだから、もちろん想像力と旅行についての発言意図は理解してくれる。その考えをあなたの本で見たと伝え、本人に向かって引用までしてみせるのだから行き届いている。
「自然が外国へ出かけて行くでしょうか? わたしはいつも樹々を見つめ、ひとりつぶやくのです、こいつらもどこかへ出かけたりはしない、どうしてわたしがとどまっていけないはずがあろう。」
 これに対してヴァルザーが自問自答するように答えたというのは面白い。自分は、書く上で考えていたことを言い当てられたようで感動した。
「そうです、大切なのは自分自身に向かって旅することだけです。」

 その旅が、その足取りが、あの有名な紙切れどもにびっしり書かれたわけで、この頃にはもう書かなくなっていたとはいえ、それに裏書きをしてくれるのが本書にある数々のエピソードである。ゼーリヒの解釈は否応なく混じろうが、そこにはやはりヴァルザーがいると思える。
 例えば、中編その名も「散歩」における窓辺で歌う少女を長々と賞賛する場面は、現実の街角で、自転車で通り過ぎた品のよい娘のスカートがはためいて腿がのぞくのを見てにこにこしているヴァルザーの感慨と対応するように思われる。現実の方の言葉だけを抜き出してみる。
「なんと愛らしい眺めでしょう、あのような娘さんの脚は」「純粋無垢なる詩です――」「その際にいかがわしいことを考える必要はないのです。」

 こうした場面が今に晒されてどんな批評がつけられるのか不安がないでもない。それは、ゼーバルトが書いたように「生涯童貞だったと断じて差し支えない」ヴァルザーだとしても、信じられない人には信じられない言葉なのだろうし、老人がどう思っていようと見られる方の娘さんからしたらたまったものではないということだろう。
 しかし、あらゆる人が「希望の光を灯す」ことのできる、そんな世の中の実現へますます息巻くばかりの我々も、弱々しい光を夢中で焚きつける動きの後ろに別の陰ができることを忘れてはなるまい。そこには当人以外には感知することのできないような光によって人生を全うしている樹々のような人間が潜んでいるかも知れない。

 「散歩」にはヴァルザーの持論と言ってもよさそうな「散歩の思考」が、無名人ではない場合の散歩の難点を挟みながら並べられているが、新本史斉はそれを「世界を圧倒する思考ではなく、世界に圧倒されることで到来する思考」(『微笑む言葉、舞い落ちる散文――ローベルト・ヴァルザー論』p.216)だと書いている。
 読むだけなら簡単だが、その「世界」とは、ヴァルザーによれば次のようなものだ。

 散歩する者は、きわめて愛情深く注意深く、いかなる極小の、生あるものをも、それが子どもであれ犬であれ蚊であれ蝶であれ雀であれ毛虫であれ花であれ男であれ家であれ木であれ垣根であれカタツムリであれ鼠であれ雲であれ山であれ一枚の葉っぱであれ、あるいはまた、ひょっとすると可愛らしい良い子の生徒がはじめて書きつけた慣れない手つきの文字が記されている、哀れな投げ捨てられた紙切れであれ、観察し見つめなければならないのです。彼にとっては、もっとも高いものともっとも低いもの、もっとも真面目なものともっとも愉快なものは、等しなみに愛おしく美しく価値あるものなのです。
(「散歩」『ローベルト・ヴァルザー作品集4:散文小品集』p.263-264)


 こんな記事だけ読んでその気になられても困るので詳しく説明はしないけれど、『微笑む言葉、舞い落ちる散文――ローベルト・ヴァルザー論』で、この部分の引用に付された解説は、自分にとって実に感動的なものであった。
 それこそヴァルザーを見ればわかるように、書くことに他人の励ましや評や賞などまったく用はないが、このような読みをする人間が「可愛らしい良い子の生徒がはじめて書きつけた慣れない手つき」に目をとめ手をつけることで、ヴァルザーが「世界」に見初めて紙に書いた価値が、その手つきを重ねた上でこの「世界」に留まる。
 文学が「世界」と関わる方法はそれしかないと思っているが、再びヴァルザーを見ればわかるように、こういうことに仲間はいないし、いたとしても「払いのけるような仕草」をとり続けなければ、「はじめて書きつけた慣れない手つき」を維持することなどできはしない。

 すぐに「犯罪者の顔をしているから」と人を警戒するヴァルザーの肩を持つわけでもないが、本書を読んでいると、あらゆる欺瞞から離れて陰へ陰へと引っ込んでいく心や、欺瞞なき親切が散歩の内になら見つかるという信頼には共感せざるを得ない。聖人君子のようではないにしろ、あらゆるものを観察して「等しなみに愛おしく美しく価値あるもの」を追い求める心は晩年に至っても消えていない。
 新聞やラジオで誕生日を祝われていたと伝えても「私には何の関係もないことです!」と不機嫌になり、街で優しくされれば上機嫌だ。「ローベルトはずいぶん後になっても、彼の背中をさすってくれた恰幅の良い、斜視のウェイトレスの話をやめない。「もっとあそこにいればよかった」と。」

 老いたヴァルザーにとって想像力とは、自分自身に向かっての旅とは、樹々や樹々のような人々がいることを知り、時に自分が樹々として関わることであったらしい。その欲求は散策が満たした。書き伝える必要がなくなり、ゼーリヒ以外とは芸術の話題を拒んだらしいのも当然だ。なぜなら、ヴァルザーにとってそうした行為は、もうすでにというかとっくの昔に、かつて書かれた次のような諦念の、さらに奥底に沈んでいたのだから。

「娘は眼を瞠って真剣にわたしの話す言葉を聞いていましたが、今ではわたしは彼女に認めてもらうため理解してもらうためというよりも、むしろ自分自身が楽しむためにしゃべっていたのであって、そもそも彼女は理解できるほどに成熟してはいなかったのでした。」
(「散歩」『ローベルト・ヴァルザー作品集4:散文小品集』)

 散策は、書くことから離れると同時に、隙あらば浮いてくる諦念を払いのけ続けるための運動でもあったのだろう。結局、それをやり遂げたのだから大したものだと勝手に決めつけながら、いつもヴァルザーに励まされている。