全力じゃなきゃ 見逃しちゃう

 

旅する練習

旅する練習

  • 作者:乗代 雄介
  • 発売日: 2021/01/14
  • メディア: 単行本
 

 それというよりは、それを書いていた時のことを、今回については、今回に限った個人的な事情がために書いておきたい。別のところでも何か書いているので、甘くしかかぶらないように。

 2020年の初春から秋まで、何度も我孫子から鹿島まで歩いた。ある時は何泊もしながら全ての道を、ある時は一泊だけしてその一部を。その間にコロナ禍と呼ばれる状況になり、日本でも緊急事態宣言が出て解除され、新しい生活様式が広がる中で感染者数が増え、今また緊急事態宣言が出されている。
 もう忘れてしまいそうな感覚なので書いておくと、一度目に歩いた3月はじめはマスクが品薄で手に入らなかったが、ないならないで普通だった。剥き出しの鼻口でどこに入ろうが気がとがめるような感じや責められる感じはまったくなかったし、店頭の消毒液も置いてある方が稀だった。小見川で話しかけてくれた地元の方に庚申塔馬頭観音の場所を訊ねて立ち話したり、成田線のある駅近くの公園で自転車を地面に放り出してとめるような女児四人組にからまれて電車が来るまでちょっと遊んだりしたって、お互いに気にしないという状況で、小説でもそんな時期について書いている。
 緊急事態宣言以降で状況は一変した。たどり着いた町の中や店内ホテル内ではマスクをするし、往来ですれ違うにもちょっとした緊張を催し、ほとんど誰とも言葉を交わすことなく帰って来るようになった。昨年の秋に出したブログを元にした本の中で笠間日動美術館で作品を見た佐竹徳のことを書いた関係で、ありがたいことに招待券を送っていただき、春になったらうかがおうと楽しみにしていたのだが、緊急事態宣言のうちに期限が切れてしまい心を痛めた。

 とはいえ、思い出せる不都合といえばそんなところで、人とも会わないから別に生活自体は変わらない。誰と関わるものではないし、一応仕事の一環だからと風景描写用のノートとサッカーボールを携えて、利根川沿いと鹿島地域を歩く旅に何度も出掛けていくのだった。
 川沿いは、冬に歩くと鳥が多くて実に楽しい。水鳥として年中いるカワウやバンやオオバンやサギ類に、春が来れば大方いなくなる色も形もとりどりのカモ、陸鳥はカワラヒワがヨシやススキの原を群れ飛んで黄色い帯をつくり、目先の地べたにツグミが跳ねては止まり、その名の通りに噤んでいる。

 累計の日数としては一ヶ月ほども我孫子~鹿島の間を歩き回っていたか、三、四十分も一所に腰かけて暢気に書いたりしていると、珍しい場面に出くわしたりもする。早朝の手賀沼の東端の畔、アオサギダイサギが少し離れて水辺にいるのをヨシの間に腰かけて見ていると、カワウの小さな群れが着水して集団で魚を取り始めた。サギ連中はその場を離れることなく、むしろカワウに合わせて場所を替えるように動いて、捕食を続けた。

 カワウの生態を研究している筑波大学の熊田那央さんは、富士川流域での広範囲にわたる観察調査から、カワウは川岸に立つサギ類を目印に飛来しており、サギ類のおかげで餌の発見効率が高まっているのではないか、と考えている。
(坪井潤一『空飛ぶ漁師カワウとヒトとの上手な付き合い方―被害の真相とその解決策を探る―』p.80)

 本で読んだ場面に現実で遭遇するごとに、自然観察の楽しみは高まる。人間の埒外で鳥がする営みの一場面を著者が見て考え、書き、それを読んだ自分が同じ営みを目にして考え、書く。時も場所も異なる我々を、鳥たちは仲立ちなどしている気はない。
 それなのに確かに繋がっていると信じられるこんな方法を人間だけが見つけ、長く続けてきた。最近、『チ。―地球の運動について―』を読んでも思ったけれど、この方法というのは無論、書くことに限らない。

 一体それが何であるかを考える道は、いつ何時どんな状況であろうと楽しかった。それらの考えは、小説として想定されて、だんだん形を取るようでもあった。

(つづく)