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旅する練習

旅する練習

  • 作者:乗代 雄介
  • 発売日: 2021/01/14
  • メディア: 単行本
 

 

 https://tree-novel.com/works/episode/4e10f1331de8b606ab925ba9ab72c64f.html

「装幀のあとがき」なんてものを読む機会が来るとは思わなかった。
 装幀について何か言ったことはない。全ておまかせしているし、川名さんとはお目にかかったこともないし、なんなら直接メッセージを送ったことすらない。
 それでも、何冊も装幀を担当していただく中でわかってもらえていると思うことが多く――なんてのはえらそうな言い方だけれど、そういうことは少なくとも自分の人生の中ではあまり起こらなかったから、デビュー前から書いたブログをまとめた本から一番新しい本まで多くを担当してもらえたのを、はっきり伝えないまでも、とても喜んでいる。
 ここで書かれているような理由ではなかったけれど、カバーは写真か抽象的な絵がいいというのはなんとなく思っていたことで、尾柳佳枝さんの絵になってよかった。この小説に入れるだけ入れようとしたことがみな、見える人には見える幽霊となってそこにいるような絵。(おジャ魔女たちの色が全部入っているのもうれしい。ももこが好きだから背景の黄色がかかったクリーム色もうれしい)

 さて、「装幀のあとがき」を読んで一番驚いたのは、川名さんが書き手が小説家という職業であることをかなりのところまで重視していることだ。

 自分は書き手が何者であるかということをかなり意識して書いてきて、(編集者が送ってくれた場合には)目に入る色々な評を見ると、それに言及されていることも多い。とはいえ、この「語り手」(自分の場合は「書き手」と同義になるが)の問題というのは議論が尽くされているわけでもないのか、紙幅の問題なのか、大抵は構造の問題の説明に留まっている。
 その記述の内容については、例えばそれが乞食の学ない少年であるとかハツカネズミしか同志のいない知的障害者であるとか極端な場合を除くと、いつの間にか大元の作家の技術の話にすり替わっていることも多い。
 つまり、持って回った表現が多いとか読みづらいとかいう場合、その「語り手」ではなく、その小説家がそんな風にしか書けないからに違いなく、今回はその手癖が少し改善されている、ずいぶん読みやすくなったとかなんとか。

 はっきり言ってしまえば、今回の小説がおそらく巷で感じられているように今までより読みやすい文章になっているのは、その「語り手」が、プロの小説家だからという理由でしかない。
 逆に言えば、一人黙々と自分のためにだけ書いている妙齢の女性の文章が、読みやすい文章であるはずがない。そんな意識で書く必要なんて彼女にはこれっぽっちもないのだし、ましてそのように書けば何か心に秘めたものを裏切ることになってしまうなら、彼女は断固拒否するはずだ。もしもその文章が読みやすくなってきたように見えるのなら、彼女には退っ引きならない理由があって、自分自身でそれをいやというほど自覚しているに違いない。なぜなら、「書く」という行為の遠慮も含めた作為こそ、彼女の最も憎むものだからである。

 一方、「語り手」がプロの小説家であれば、それが世に出るという「想定」をしないはずがないし、世に出せる形として配慮しないはずがない。もちろん、その配慮をどこまで突き通すかに「語り手」の葛藤が生まれてくるわけで、その配慮が、彼にとって許容できない作為やおためごかしに堕する危険がある場合は、彼もやっぱり、涙を呑むか大いに流しながら、断固拒否せざるを得ないだろう。
 それに対して、後ろ指をさされるかも知れないが、なぜかその指はたいてい現実出版上の作者である自分の方を向いているので、「語り手」の彼は安心してよいのだし、そうであれば自分としても痛くもかゆくもない。もちろん、今回の小説では、その区別はほとんどないようにしてあるからこんなことも他の作とちがって沢山書けるのだが、それにしたってだ。
 それに、「語り手」を侵害しない大元の作者としての擁護の方法だってないわけではない。それを密かにあれこれ講じるのは、我々を孤独な書く楽しみの中に匿ってくれる。

 と、こういう説明を衒いなくできるのも、川名さんが「語り手」が何者であるかを、かなりのところまで重視してくれたからだ。そして、そうだと書いてくれたからだ。
 もともと人の意見を気にする方ではないので、応答という形でしか考え始められないし、口に出せないということがある。上のようなことは、自分にとってあまりにも当然のことだから、言葉にしたのは初めてである。

 そんな貴重な場を、読みの解釈としての装幀によって設けてくれるような人物と仕事ができることが、ありがたくないはずがない。
 作家だってもっと積極的に造本に関わるべきだという意見もあるだろうが、こういう無上の機会をなくして「いい本を作りましょう!」と力と膝を合わせて襟を開き合うほど、異分野のプロフェッショナルへの信頼や畏怖や感謝の念を失っているわけではないというのが自分の個人的な思いである。


(つづく)

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