見て見て、華麗なわざを 腰ぬかすかもよ

 

旅する練習

旅する練習

 

 

 文芸誌か何かに載せてもらえる以上は完成とせざるを得ないけれど、小説には、入れるつもりはなくともそれを書くという行為のうちに含まれなければならない文章というのが沢山ある(と思っている)。それは、伊能忠敬や他のことをわざわざ書かないでおくのとはちょっと感じが異なる。

 ここに載せるようなことはしないけれど、サッカーに関する二人の会話を沢山書いた。その内容は内の外の話だから、あくまで自分の思い出話として紹介する。

 まずは、レヴァークーゼン柏レイソルで活躍して引退した今も、日本で普通に働きながら暮らしているとかいうフランサのこと。


(フランサ)Jクロニクルベスト:2008ベストゴール

 2008年J1第20節浦和レッズとのアウェイ戦、途中出場からアディショナル・タイムにあげたこの同点ゴールは、自分もテレビで試合を見ていたから思い出深い。最終盤、誰もがボールウォッチャーになる中、ゴールキックを競った闘莉王のいないディフェンスライン手前のスペースへ入り込み、身体をぶつけるのをためらわないタイプのDF堀之内とかぶる難しいトラップで跳ね上がったボールの回転と高さを見た瞬間、体の向きを変えてまっすぐインステップに当てれば、アウトサイドで蹴ったような斜めのドライブ回転のボールが飛んでいくと判断する感覚と、それを実現するための軸足を強引にゴールに向けてもぶれない体幹の強さ、正確なキックの技術。スタメンで走り回った右サイドの太田圭輔にパスを出す選択肢は、初めからなかっただろう。そして、キーパーから最も遠いポスト内側に逃げていったボールがゴールに吸いこまれたあとの、「魔法使い」という二つ名にふさわしい、スタジアムに魔法をかけるゴール・パフォーマンス。
 フランサは、履き込んでつま先全体がぱっくり裂けたスパイクを、足に馴染むからと公式戦でも使用していた。

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https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11100833591

 それから、ナポリマラドーナとプレーし、その黄金期を支えた後で「ジーコが日本にもたらしたようなことを自分もできたら」と当時JFLの柏レイソルでプレーすることを選び、Jリーグ昇格に導いたカレカのこと。
 そして、その時は引退するなど思いも寄らなかった中村憲剛の、コースを覗きこむように出される長いインサイドのスルーパスと、川崎という町との結びつきの中で成し遂げてきたこと。

 彼らはみんな、ミズノのスパイクを履いていたフットボーラーである。
 カレカはモレリアの開発に関わってワールドカップでも使用し、プロ2年目からモレリアを履き続けた中村憲剛の引退にあたってミズノはフロンターレカラーの特別なスパイクとYouTubeでメッセージ動画を贈った。フランサが履きつぶしてなお履いていたのはモレリアではなくアマドールだと思うが、とにかく、商売道具であるスパイクへの思い入れ熱い選手たちである。

 ジーコが現役復帰して日本リーグ住友金属に入団して我慢ならなかったのは、ロッカールームでの商売道具に対する扱いだったという。

 私は、落ちているスパイクの一つを拾い上げて、「これは誰のスパイクだ」と尋ねました。周りの選手は首を振りました。
 スポンサーがついて、スパイクを支給されているためなのか、自分のものであるという意識が低く、誰の物かわからないとは……。
 今ではJリーグのチームにもホペイロという用具係がいます。選手のスパイクからユニフォームまで管理してくれる、チームを陰から支えてくれる人たちです。選手は手ぶらで練習場や試合場に行けば、必要なものはすべて揃っており、サッカーをすることだけに専念すればいいようになっています。
 しかし、その当時の住友金属というチームは、ほとんどの選手がアマチュアでしたし、当然ホペイロなどはいません。自分の用具は自分で管理しなければなりませんでした。
 私が最初のスパイクを手に入れたのは、66年、私が13歳の時でした。その頃私は、ジュベントージというサロンフットボールのチームに入って、プレーをしていました。その時、私は兄たちのスパイクを借りてプレーしており、自分のものを持っていませんでした。フラメンゴのテストを受けられることになり、それを聞きつけた父の友人がスパイクをプレゼントしてくれたのです。それが初めてのスパイクでした。私はそのスパイクを履いて、フラメンゴのテストに合格したのでした。
 今の子供は、誰だってサッカーボールの一つは持っているでしょう。持っていなくても、欲しいと思えばそう問題なく手に入れられるでしょう。しかし、私の少年時代はそうではありませんでした。
 自分のスパイクを持つなんていうのは夢でした。だから、スパイクを初めて手にした時は本当にうれしかったのです。真新しいスパイクを履いてみると、自分に不可能なプレーはないように思われました。スパイクは私にとって「魔法の靴」なのです。
「来週までに、ここにあるスパイクを片付けなさい」
 私はそういうと、自分のスパイクを靴クリームで磨き始めました。
 驚いたのは周りの選手たちです。まさか、私がスパイクを磨くとは思っていなかったのでしょう。私はサッカーで名声を得て財産もある程度はできました。しかし、初めてスパイクを貰ったあの時の気持ちは忘れていません。
 その当時、私にとってはホペイロが用具のメンテナンスをしてくれることが、当たり前のことになっていました。しかし、目の前に泥のついた「魔法の靴」が転がっていれば、黙っているわけにはいかなかったのです。
ジーコジーコイズム』p.92-93) 


 自分が人から隠れた場所に座って風景描写する時のシャープペンシルは、もう七年近く使っている。それは道具で、スパイクと同じく身体にとっての異物に間違いないが、行為の積み重ねや募る思い入れがその齟齬を鞣していくという感覚が、いつからか自分の元にもあると思えるようになった。
 今はあえて他のペンで書こうとは思えない。

(つづく)

  

 

小説で少女が履いているのはこのシューズである。厳密にはフットサル用だが、小学生が練習をする環境(人工芝や固い土)を思えば、ほとんどのスポーツ店ではトレーニングシューズとして紹介してくれるだろう。足がすぐに大きくなる小中学生でこれを買ってもらえる子はそんなにいないと思うけれど。

 

ジーコイズム (週刊ポストBOOKS)

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