とどくのかな? スリルだよ かなり技術いるもんね
(結果はともかく予約連投されるようになっております)
そんな感じで、人間の営みとは何であるかと考えても何か答えがあるわけではないし、小説になったところで答えではないけれど、考えるのは楽しい。特に、国内で最も広い流域面積の川を下ってきて、工業地帯にぶつかった時なんかには。
地図の上に定規で、あたかも恣意的に、Y字型の岸壁ラインが走る。そのラインの突っ先が、情容赦なく、古くからそこにある神の池に突きさし、そして更にぬけて走っている。現在、この完成しつつある港をみると、その完成美をみるとともに、かつての神の池があとかたもなく消え去っているのを見るのである。神栖の農業と切り離すことのできなかった神の池、村の人びとのいとなみと心と結びついて静かにそこになければならなかった。その池が消えていくことによって、これまでの農業と人びとの生活の一基盤が崩壊してしまったといえよう。しかしだからといって、いたずらに懐古的になることはやめたい。ただ、そこに新しいいとなみが現出しようと、それが人間らしい静かなものであることだけを、たしかめたいとねがうのである。
(『開発と地域の変貌 鹿島臨海工業地帯』p.216)
もちろん、開発で失われるものもあるが、そこにあった人々の発願の並々ならなさというのは、そこにおらず、今も暮らさぬ人々がとやかく言えるものではない。日川石塚地区の息栖神社跡地には実に立派な「石塚開発の碑」が立っており、鹿島開発に「水も洩らさぬ一致協力」をして発展に尽くしたという人々の様が、かなりの長文で、補助金や負担金の額まで子細に力強く彫り込まれている。この碑を囲おうとする草の刈り取られている切り口が鋭いのを見て思い知ったが、これらは決して、建物の詰まった都会に住まう我々が生半可な社会科の知識で思いがちな、のどかな農村が工場用地になってしまったなんて話ではないのである。
利根川沿いで少年時代を過ごした柳田國男の興味も「新しいいとなみ」に端を発して後ろに遡っていったように思う。人間がする限り、あらゆる時代のあらゆる行為に、人間らしさが存するのは疑いようがなく、そこからものを考えなければならない。
そのためには、自分ばかりを見ていては覚束ない。自分の内面のみに閉じた切実さを、過剰に重大に取り扱う恥のなさを、ましてその極みとして小説の題材にするという行為を柳田が嫌悪したのは、後の興味と使命の裏返しだったろう。利根川沿いの佐原女学校で一年ほど勤務した小島信夫も、そういうことは馬鹿馬鹿しさの中に身を沈めるようにしか書かなかった。
「鬼」もそんな短編で、自分はかなり好きである。主人公が作中で翻弄される横利根閘門を、佐原に着くたび水郷大橋を渡って見に行った。そのたびにその場面を思い返し、馬鹿馬鹿しくて胸がすいた。
これは小説には書かなかったが、佐原は伊能忠敬が商家の婿養子の当主として十七歳から暮らした町でもある。
隠居後に日本全国を歩いて測量し、日本地図の完成を後世に託した男の像は佐原駅前と、そこから少し歩いた小さな公園に立っているが、今から数ヶ月前、最後にそのルートを旅した時にもういっぺん公園まで立ち寄って見上げたら、なかなか感じ入るものがあった。というのも彼は、その歩いて辿った道筋が亡くなった後で人々の参照する図として残ったという点で、この旅路について書く間に絶えず思い出していた人物であったから。
こういうことは、学校の歴史の授業でちょっとは触れるかも知れないぐらいの知識だとしても、あえて書かなければ誰も言わないのに作中に書き込めば説教くさいと言われる類のことだ。
そういう説明が多かれ少なかれ(自分は多かれの方の人たちから励ましを受けて書いてきたからかなり多い方だと思うが)、言外というか棚に上げられているのが小説というもので、その全部に読み手が気付けるなら、作品解釈というのはさぞかしやりやすくなるだろう。
もちろん、それがカワウと柳田國男と「おジャ魔女どれみ」とジーコみたいな組み合わせの場合、それぞれの棚の上をすっかり覗き込める人など多くは望めないし、さらにもちろん、望む必要なんてありはしない。棚の上に面白みがあるわけではない。
小ネタなんて言葉は好かないにしても、上に挙げた4つのトピックそれぞれの専門家なら言外に気付けることも沢山あるだろうが、書き手と読み手の知っていること、どちらが上であれ下であれ、互いの足る足らんの断層に現れるそこにしか見ることのできない何かの方が、我々当人にとってはよほど重要なのは間違いがない。
願わくば、それを真摯に見つめて何事かに活かそうとするような気概が、この世にあふれているといい。そのうちいつか、巨人の肩に乗って雑多な棚の上を一望して同感する誰かが現れるかもしれないと思うような楽観も、そんな気概に支えられているのだから。
(つづく)