『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』梯久美子

 

サガレン 樺太/サハリン  境界を旅する

サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する

  • 作者:梯 久美子
  • 発売日: 2020/04/24
  • メディア: 単行本
 

 

 サガレンはサハリン/樺太の旧名である。

 死んだら人はどうなるか。どこに行くか。というか、この前死んだ「わたくしのいもうと」のトシはどうなったのか、どこに行ったのか。宮沢賢治は花巻からサガレンへ行きて帰りし旅の中でそれについて考えた。

 というのは年譜に照らして詩を読めばそれはそうだという比較的知られた話で、研究も沢山ある。そして、さすがの賢治もそのためだけに樺太まで行ったわけでもなく、表向きの目的は、樺太王子製紙に勤めていた旧友を訪ね、教え子の就職を頼むためだ。実際、二人ほど就職したという。

 研究によって、人間が人々に資するようなよい形に仕立て上げられるうちに、変なところが混ざるかはしょられるかする。それに感づいた上でそれを払っていく行程を経ることで、本当に資するのはこの真実の姿なんだと思うかする、それもまた変なところで、結局、人のことなんてどこまでいってもわかったとは言い切れない。自分だって、書くんだ読むんだそう生きるんだと文面で装ってはいるが平常の生活があって、それをみんな見られたら、調子のいいこと言いやがってと思うだろう。

 だから、あまり神格化しないでちゃんとやろうよということなのだが、宮沢賢治くらいちゃんとやってないものが大量にくっついている人も珍しい。
 例えば、本書で紹介されるように、賢治が花巻から青森に向かう際に書いた「青森挽歌」に「わたくしの汽車は北へ走つてゐるはずなのに/ここではみなみへかけてゐる」という部分があるのを、疲労で意識が朦朧としているためとか、「方角や場所、あるいは時間といったものの所在が生と死という異質なものと等質化を遂げようとすると、まったく意味を喪失してしまう」ことを示しているとかいう解説を付したものがあったりする。これの何がちゃんとしていないかというと、賢治が乗った東北本線には、単純に南下する区間があるだけなのだった。

 出来上がりが文字の並びであるのをいいことに机上で行われる研究から勘違いが生まれて、それが勘違いだとわかる。初めから調べておけば何事もなかったのだけれど、人間のやることだから仕方がない。そこから生まれた色々もある。

 まあ上のような例は机上でも対処できたはずとは思うけれども、書かれたもののうちには、どうしたって机上で対処できないものもある。特に宮沢賢治は外を歩き回る自分の心象をスケッチすることで自らの理想郷たるイーハトーヴを創り上げてきたのであって、それは到底机上と断じられるものではない。著者も当然、その手の考えを持っていて、だからサガレンまで行こうと試み、南へ向かう東北本線にも難なく気付く。

 先日、磯﨑憲一郎さんと「文學界」誌上で対談をした。話の頭を磯﨑さんが作ってくれたが、その内容は、図書新聞で自分の書いた『金太郎飴』の書評についてであった。そこで自分は、収録されているエッセイの一つに書かれた千葉の我孫子の古墳公園を実際に訪れて書評を書いたのだけれど、それで保坂和志さんの小説にある、老犬を散歩していた海で小学生の女の子たちがわざわざ膝まで水に浸かってかわいいかわいいと犬を撫でてくれたことの嬉しさを書いた場面を引き合いに出して、自分が書いたものにそんな風に歩み寄って来てくれたことが嬉しくて、それだけでいいというようなことを話された。

 最近、自分もそれを逆の立場で味わった。担当編集者がTwitterで秒速でいいねしたものが流れてきて、自分が小説に書いた場所を訪れている人を何人か見た。

 誰かと同じものを見たいという気持ちは何か。その誰かが死んでしまっている場合もあることを考えると、それを目に見える耳に聞こえる形で共有したいという願望でもなさそうなのに、我々はそれを見て確かめたがる。
 著者も旭川で賢治の見たのと同じかもしれない樹木を見つけてなんとなく嬉しそうだが、そういうのは不思議な気持ちだ。そこでは何が確かなものになっているのか。

 賢治は帰りの汽車、函館へ向かう途中、きれいな円形を描いた内浦湾(噴火湾)沿いを走る汽車で「噴火湾ノクターン)」を書いている。

稚いゑんどうの澱粉や緑金が
どこから来てこんなに照らすのか
  (車室は軋みわたくしはつかれて睡つてゐる)
とし子は大きく眼をあいて
烈しい薔薇いろの火に燃されながら
  (あの七月の高い熱……)
鳥が棲み空気の水のやうな林のことを考へてゐた
  (かんがえてゐたのか
   いまかんがへてゐるのか)
車室の軋りは二疋の栗鼠
   《ことしは勤めにそとへ出でゐないひとは
    みんなかはるがかる林へ行かう》
赤銅の半月刀を腰にさげて
どこかの生意気なアラビヤ酋長が言ふ
七月末のそのころに
思ひ余つたやうにとし子が言つた
  ⦅おらあど死んでもいゝはんて
   あの林の中さ行ぐだい
   うごいで熱は高ぐなつても
   あの林の中でだらほんとに死んでもいいはんて⦆
鳥のやうに栗鼠のやうに
そんなにさはやかな林を恋ひ
 (栗鼠の軋りは水車の夜明け
  大きなくるみの木のしただ)
一千九百二十三年の
とし子はやさしく眼をみひらいて
透明薔薇の身熱から
青い林をかんがへてゐる
アゴツトの声が前方にし
Funeral march があやしくいままたはじまり出す
  (車室の軋りはかなしみの二疋の栗鼠)
 ⦅栗鼠お魚たべあんすのすか⦆
  (二等室のガラスは霜のもやう)
もう明けがたに遠くない
崖の木や草も明らかに見え
車室の軋りもいつかかすれ
一ぴきのちひさなちひさな白い蛾が
天井のあかしのあたりを這つてゐる
  (車室の軋りは天の楽音)
噴火湾のこの黎明の水明り
室蘭通ひの汽船には
二つの赤い灯がともり
東の天末は濁つた孔雀石の縞
黒く立つものは樺の木と楊の木
駒ヶ岳駒ヶ岳
暗い金属の雲をかぶつて立つてゐる
そのまつくらな雲のなかに
とし子がかくされてゐるかもしれない
ああ何べん理智が教へても
私のさびしさはなほらない
わたくしの感じないちがつた空間に
いままでここにあつた現象がうつる
それはあんまりさびしいことだ
  (そのさびしいものを死といふのだ)
たとへそのちがつたきらびやかな空間で
とし子がしづかにわらはうと
わたくしのかなしみにいぢけた感情は
どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ

 トシが一九二二年の十一月に死んだ、その前の七月の高熱を賢治は思い出している。同時に「一千九百二十三年」、賢治が函館に向かう汽車で思うトシは、同じ青い林のことを「いまかんがへてゐる」。つまり、「わたくしの感じないちがつた空間」にトシが「うつる」。その時、生きている賢治は、目に映る風景の中、「駒ヶ岳」にかかった「まつくらな雲のなか」に、トシが「かくされてゐるかもしれない」と思う。

 もし、賢治が見たものしか心象スケッチに書き込まなかったのであれば、我々はそれをもう二度と見ることはできない。しかし、そこに隠されたものを見ようとしていたなら、それは百年後の自分にも、叶わぬ思いとして感得されるような気がする。もちろん、自分の場合は、トシを見たいのではなく、そう思った賢治を、サガレンに隠されたように思える賢治を見たいのだけれど。

 こんなことも机上に位置するにしたって、そこに発した思いがいつかのサガレンへ導く。自分も死ぬまでに一度は訪れてみたいと思う。そんな風に、自分の書いたものがある場所へ人を導くとすれば、それはやはり嬉しいことだ。

 

宮沢賢治全集〈1〉 (ちくま文庫)

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  • 作者:宮沢 賢治
  • 発売日: 1986/02/01
  • メディア: 文庫
 

  

宮沢賢治全集〈6〉 (ちくま文庫)

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  • 作者:宮沢 賢治
  • 発売日: 1986/05/01
  • メディア: 文庫
 

「サガレンと八月」収録

 

日本蒙昧前史

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