偏差値

 俺達の高校は偏差値が低い。それはわかっている。でも、たとえ偏差値が低くても、偏差値60あるかないかのように見られたいのが人情。ほうっておけばどんどん頭の悪そうな奴らが入学してくる現状に歯止めをかけようと、番長クラスの学生達が集結し会議が開かれた。
 番長の山城は半分に切ったキウイをスプーンですくいながら言った。
「うちの高校に偏差値のいい中学生を入学させることはまず不可能だ。なぜなら親がとめるから。ならどうする。どうすれば、偏差値を高そうに見せかけることができる。はい加藤」
「俺は、礼儀正しい中学生を集めることで、進学校みたいに装えるのではないかと考えます」
「ちょっと待てよ。礼儀正しいバカなんて見たこと無いよ」手を上げたのは家にテレビが無い竹内だった。「礼儀正しくない秀才なら見たことあるけど」
「大体、今の発言もちょっとバカっぽかったんじゃないの」放課後は妹を保育園に迎えに行かなくてはならない相川も加藤に向かって言った。
「喧嘩か!」加藤は立ち上がり、やがて着席した。
 山城はみんなが喋っている間、キウイをバクバク食べて、ついに食べ終わっていた。皮だけ残ってベロベロンになったキウイの感触を楽しみながら、もちろん話も聞いていた。落ち着いて仲間を見回してみると、まだ三分も話し合っていないのに、全員、腕を組んで、腰で椅子に座っている。これでは、意味に確信を持っていないが、まずイタチごっこ、小田原評定だろう。山城はここで話し合いのリズムを変えるため、一か八か普段あまり喋らない東堂を指名した。
 東堂は、しばらく口を開けたままぼんやりしていたが、急に手を上げた。
「は〜い、ぼくちゃんの考えは、大人びた中学生を探すんれ〜す!」
まことちゃん?」
 こうして高校生達は、近隣の公立中学をまわり、有望な学生――大人びた中学生――をスカウトすることに決めてしまった。 一人になると不安なのでみんなで行くことにしたが、いったん家に帰って私服に着替えてきてもいいかという質問が加藤から出たので「半に集合」ということになった。いざ半に集まってみると東堂がいなかった。
 作戦として、中学の正門で待ち伏せ、無表情な男子学生に片っ端から声をかけ、中学校の近辺に必ずあるという駐車場に連れ込み、大人びているかどうか徹底的に調べ上げるという流れだけを確認した。
 三十分後、何人もの中学生にがっかりさせられた後、一人のノッポの中学生が捕らえられた。
 ノッポの中学生は、竹内が後ろから羽交い絞めにしているので身動きが取れない。が、多少は取れるためジタバタしている。もう六人目とあって、竹内の腕はだるかった。
「カバンを調べさせてもらうぜ」
「やめろー」
 相川が問答無用でカバンのチャック(たこ焼きのキーホルダーがついている)をひどくゆっくり開けると、週刊少年ジャンプの背表紙が顔を出した。
「番長、また週刊少年ジャンプです。集英社です」
 山城は桃の皮を剥きつつ、果物ナイフを持ったベタベタの手でノッポを指さした。
「お前らはどうしてジャンプばかり読むんだ。だいたい今日は水曜日じゃないか。世の中には、カバンにパーゴルフが入っている中学生はいないのか」
 しかし、そうは言っても、これだけではまだ証拠不十分。沢山の大人が、通勤電車で少年ジャンプを読んでいる。帰りも読んでいる。
「今から俺の質問に答えろ。山頂で、なんて言う」竹内が後ろから聞く。
「え?」
「山に登ったら、頂上でなんて言うか聞いてんだよ!」
 そのタイミングで、ノッポを強くしめあげる竹内。
「痛い痛い痛いたい」
「どう言うの! ほら頂上でどう言うの!」
「ヤ……ヤッホーー!」
 山城は桃を剥く手をとめて、ノッポを、悲しそうな目で見つめた。
「竹内くん」
 なぜか君付けで呼ばれると、竹内はノッポを解放した。ノッポはすぐさまカバンに駆け寄り、ひざまずいてチャックを閉めた。
「あとお前あのぉ〜〜、マンガは、背表紙を下にして入れろよ」相川が若干のしかめ面で言った。「ジャンプの表紙はな、世界で一番薄いんだよ」
 ノッポは小さく返事すると、カバンを抱えて逃げていった。
「やっぱり違ったか」加藤が言った。「カバンのチャックにたこ焼きのキーホルダーがついている時点で違うとは思ってたんだ」
「そういうことは最初に言えよ、使えねえな! ドクソが!」狂犬・相川が噛みついた。「俺は、妹を迎えに行くぜ!」相川は幼児が乗る用のカゴを後ろにつけた自転車にまたがり、立ちこぎであっという間に小さくなっていった。
「喧嘩なのか!」加藤は数歩前に出ると、去りゆく相川に向かって叫んだ。
 人に喧嘩を吹っかけておいて妹を迎えに行く相川の勝率100%の必殺「地獄の保育園送り・迎え」が決まると、残った三人に、よい子のチャイムが鳴る二十分前に家が遠い友達が一人帰った時の気持ちが押し寄せてきた。一人不参加の上にこれでは、なってしまう。俺達も帰ろうか、になってしまう。
 自然と、加藤と竹内は番長である山城の方を振り返った。山城の口と手は、ベタベタだった。これ以上根性を出してむしゃぶりつきたくはない桃のグチョグチョ真ん中へんが、足元に落ちている。三人はしばらく見つめあった。
「俺達も」
 山城が言いかけた時、さっきのノッポがバタバタと足音をあげて戻ってきた。驚いて見つめる三人。実はこのとき、少しビビっていたという。
「何の用だ」山城がにらみつけた。
 ノッポは、息をきらせながら、途切れ途切れに喋った。
「ハァッ、ハァッ、裏門へ、裏門へ行って、みてください。そろそろ、ハァッ、あいつが日直当番を終えるころ……ハァッ、ハァッ、失礼します!」
 ノッポは駆けて行った。その足音が聞こえなくなった頃、三人はまた顔を見合わせた。
「え? 裏門に行けばいいの?」加藤がなんにもならないことを言った。
 早く原付免許が欲しいという話をしながら裏門の方にまわると、その通りには学生どころか人が全然いなかった。まして、犬のフンが乾ききっている。学校の向かいには、誰が住むんだよ、でも住んでるよレベルのアパートが立ち並び、静まり返っていた。
 不気味な雰囲気に、三人はせめて何かあったかいものが飲みたくなったが、その時、一人の中学生が門を出てきた。
「ま、待ちな」竹内がすかさず声をかける。
 相手が振り向いてみて、驚いた。こっちを向く前、背が低く、裾のあまった学ラン姿は、どっからどう見ても中学生だったはずだ。しかし今や、どっからどう見ても30代だった。脂が乗り切っている。三人とも、一瞬でこの中学生が筋斗雲に乗れないことを感じ取った。中学生は口を開こうとしない。竹内と中学生の視線が交錯する。
「質問に答えろ。山で頂上まで行った時、なんていう」緊張に耐え切れずに質問をぶつけた竹内の声は、いつもより高かった。
「……」中学生は姜尚中に負けないほど小さな声で喋った。
 三人は聞き取れず、息を呑んだ。なんて言ったんだ。あいつなんて言ったんだ。こちらで想定していた大人な答え『空が近い』と並ぶほどの、いや、それを凌ぐほどの答え……なのか? いやそうに決まってる。もはや三人の判断力は、テレビに出たいがためにビーチで麻婆豆腐を勘で作る水着の女ほどまで落ちていた。
「じゃあ、偏差値はいくつだよ!」山城は興奮し、中学生を指さして言った。
 確かに、頭がよければ全て終わりである。もし頭がよければ、立ち去ろうと思っていた。それに期待してもいた。三人は厳しい顔で答えを待った。
「40ほど」
 その答えを聞き、「う、うおー!」と叫びながら竹内が飛び出した。
「カバンを見せやがれー!」
「止めなよ」そう言いながらも、中学生はされるがままにしていた。
 竹内がカバンをひったくり、開けた。山城と加藤には、竹内がとにかくびっくりしているのが遠めにもわかった。竹内はカバンに手を突っ込み、何かを取り出す。それはAERAだった。恐る恐る取り出されたAERAが風にはためいている。山城も加藤も、そこに何が書いてあるのかこれっぽっちも知らなかったが、本屋で見たことはあった。竹内は、出版社の名前も言えずに、山城に向かって口をパクパクと動かした。
 中学生もこっちを見ているので、山城は、早く何か喋らなければいけない、なめられてはいけない、と脳をフル回転させた。
「君のような中学生を探していたんだ」平静を装って言った。「君のような、心にループタイをしている中学生をね」
「君の青春には白髪が生えている」加藤も付け加えた。「うちの高校に入って、我々と一緒に、偏差値が60あるかないかのような顔をしてみないか」
 中学生は、訝しげに三人を見た。そしてあごのあたりを二度、触った。
「あなた達の偏差値は、見たところ40いかないぐらいみたいだけど」
「な、なんだと!」加藤が叫ぶ。
「それとも、冗談は顔だけにしてくれてるのかな」
「くっそぉ〜、年下にここまでコケにされて……くっそぉ〜〜」山城はわなわな震えながら体をちぢこまらせていき、次の瞬間、爆発的に片手を振り上げた。「やっちまえ!」
「喧嘩なのか!」
 山城の横にいた加藤が二歩前に出て腹から声を出し、竹内は中学生のそばで、中学生のカバンをジャイアントスイングし始めた。