各親方のネーミングセンス、あとペットボトルのお茶も褒める会

 寝坊したのに、親方は現役時代よりもっとゆっくりした動きで稽古場へ現れた。見た人がせき込むほど相撲が弱かったのに親方になった苦労人の親方にしては珍しく朝寝坊してしまった。苦労人は朝ちゃんと起きるイメージがある。
 スズメがちゅんちゅん鳴く声をバックに親方の目に飛び込んできたのは、壁に尻がめりこんだ弟子の姿と、それを取り囲むこれも弟子の姿だった。気をつけてよく見ると、いつも通り弟子しかいなかった。過去一度だけ、知らない中学生がいたことがあった。「あっ」と言ったら慌てて逃げてった。
 弟子が弟子を呼ぶそんな光景を見た親方の脳裏に、女性ニュースキャスターの顔が浮かぶ。名前が思い出せないが、このままでは不祥事になってしまう。
「コラーお前ら! 稽古中に何をしてるんだ!!」
「やべえ、親方だ!」「やべえ」「やべえ、おはようございます!」
 弟子達は怒られると思って、あせあせと避難訓練の気持ちでズラリと横に並びはじめた。
「並べ並べ!」
 親方は並んでる途中で言ったので、言って2秒後には並び終わった。親方は映画カメラの要領で一人ひとり見ていく。それぞれ幅があるので、一番端っこの弟子は、並ぶ際にかなりの距離を走った計算になる。
「いじめはいけないだろ!」親方は威厳のある太った声で叫んだ。「どうしていじめるんだよ、まったくもう!」
「新入りの奴がかっこつけるんで、しめていたんです」弟子の中でもリーダーの役割をしているリーダー弟子が代表した。
「かっこつけることもあるだろ、いまどきの子なんだから! 見ろ! 新弟子 お尻だけ外に飛び出しちゃってるじゃないか!!」
 新弟子はケツがはまりこんだままピクリとも動かず、死んでいるのか、しかしよく見ると風邪を引いているだけなような気もする。
「なんだあれ! もしかして死んで……風邪?」
「親方、安心してください。気を失っているだけです」
 親方はホッと一安心した。死んでいなければ、もみ消せる。もんで、消せる。
「いくらかっこつけちゃったからって、こんなことは許されないぞお前ら! よし、歯を食いしばれ!」ヒョロリンヒョロヒョロの腕をまくって見せながら、前に出る親方。
「でも、新弟子のやつ、PUMAのまわしつけてるんですよ」
 声のしたほうを見ると、一番端っこの奴がかなり遠くで、身を乗り出すようにして言うのが見えた。
「PUMAのまわしぐらいつけるだろ、いまどきの子なんだから!」
「しかも聞いてください、親方」今度は、まわしをつけているように見えるフェイクタイツを着た弟子が話し始めた。「俺は前々から同じPUMAのまわしに目を付けていて、お金ができたんで、木曜日、銀座に買いに行ったんです」
「銀座に行くこともあるだろ、若いんだから! 何そのまわし!! そもそもまわしなの!?」
「親方聞いてください。まわしです。そしたら、持っていったお金が足りなくて買えなかったんです」
「値段知ってたんじゃないのか!! にしてもちゃんと多めに持っていくもんだろそこは! まわしなんだ!! タイツじゃなくて!?」
「でも見たのは結構前だし、少し安くなってると思ったんです。それよりここからですよ。買う時、値札に『まわし』って書いてあったんです。俺が郵便局で金をおろしてもう一度行くと」
「まさか……」親方は新弟子をチラリと見た。
「また金が足りないんです」
「えっ!」親方は心からびっくりしてしまった。「どうして!?」
「夕方になってたし、少し安くなってると思ったんです」
「まわしは安くならないよ スーパーのお寿司じゃ無いんだから!」
「半額になっているに違いないと思ったので、浮いた分で無地のティーシャツを買おうと思ったんです。合わせやすいからです」
「合わせるような格好しないじゃないか……それで、それからどうした!」
「今日来てみたら、この有様です。新入りがPUMAのを着ていて、俺が自分のまわしを自慢したらこいつが…」
「『それまわしなんですか?』って先輩に言ったんです」
「そりゃ言うよ!」
「そればかりか、『タイツじゃなくて?』とも言ったよ」
「言うって! さっき言っちゃった!」
「でも、それはいいんですよ親方。俺も、百歩譲ってそれはいいんです」
「変なまわしの方が百歩も譲るの?」
「こいつの悪行はそれだけじゃないですよ。こいつのかっこつけはそれだけに留まらないんです。おい朝だ、起きろ!!」
 タイツの弟子が、壁にめりこんで気絶した新入りの肩を揺すぶる。タイツは後ろ側もまわしの絵が描かれていた。
「起きろ! 朝だ!!」
「う、うぅ……もう朝だと……信じられねえ……」
「気がついたか新入り。大丈夫かっ!!」親方がニュースになった時のために駆け寄る。
「なぁに、大丈夫ですよ。あんまりケツだけスースーするんで、ちょっくら気絶しちまいました」
「それって大丈夫? おい、みんなで引っ張り出せ!」
 兄弟子達がしぶしぶ動き、朝稽古と毎ちゃんこの力で新入りは引っ張り出された。お尻がはまって開いた穴の向こうに、犬小屋の屋根が見える。昔そこで飼っていた犬も、今では稽古場の隅っこにつないである。あそこだ。こうしておけば、辛い稽古も頑張れるからだ。
「おい新入り、親方の前でさっきみたいに言ってみな! 言えるもんならな!!」
 兄弟子が新弟子にふっかける。一体、新弟子が何を言うというのか。
「ドゥスクッ」新入りはためらわずに言い、勢いこんで股割りをした。そして顎を地面につけたまま上をにらみつけ、また空気を切り裂く。
「ドゥスクッ」
 そして少しわざとらしくハァハァ言う。
「ハァッ、ハァッ」
 親方は何を言っているのかとんとわけがわからないので、兄弟子達を見た。兄弟子達ははいつくばった新弟子に向けて右足を一歩前に出し、右手も同じ方向に向けて指さし、発言を始める。
「こいつこれで、どすこいって言ってるつもりなんです!」「かっこつけてるんです!」「疲れてないのにわざとハァハァ言うんです!」
「ドゥスクッ、ドゥスクッ……ハァッ、ハァッ」
 新入りはゆっくり立ち上がり、犬がつないである柱まですり足で向かう。
「ドゥスクッ、スクッ、ドゥスクッ」
「スクッ?」
 そして新弟子は一心不乱にてっぽうをはじめた。新弟子だからあんまり柱は揺れないが、少なくともやってる感は出ている。柱の根本にねっころがっていた犬は「ク〜ン」とさびしそうに言いながらその場をちょっと離れて、壁を向いてまたねっころがった。相当毛並みが悪い。
「ドゥスクッ、ドゥドゥスクッ、ドゥスクッ、ハァッ、ハァッ」
「犬までどかしてドゥンスクドゥンスク……あいつやりたい放題だぜ!」「親方、しめちゃってください!」「親方!」
 親方の悩みは今、世界を股にかけて悩ましかった。外国人力士が横綱の位を占める中、腹の底から求められるのは、英語っぽい掛け声で頑張り、七つの海に塩をまく、グローバルスタンダードを地でいくパイオニア三枚目なのではないか。親方はその後姿に全てを託す気持ちになっていた。
 新弟子はその心を背中(汚い)で感じたのか、振り返った。
「キャタピラ、その通りです」
「キャタピラ?」
「俺は、まったく新しいタイプのrixiを目指す」
「rixi?」
 新弟子はまた柱を向き、一発打ち込んだ。そしてボソリ。
「俺が、俺の目指す最強のrixiになれたとき、俺はぼんちおさむのような動きをしているのに、勝ちまくると思う」
 ぼんちおさむと聞いた瞬間、犬が急に起き上がってキョロキョロした。どうしたんだろう。