ダーティヒーロ

 こんな大変な時期に「メキシコからやってきた」と真顔で言うダーティヒーローは、見た目ダンディだ。近所の評判もよく、住んでいるマンションでは挨拶をする方、裏口のドアを静かに閉める方のグループに属していた。
 公園に吹く風は、不良が決闘する日取りのように乾いていた。この味は。ダーティヒーローが活動している。強いタバコの煙が住宅街の空気を汚している。
「へなちょこ人間なぞ、糞味噌だ!」
 対峙したメガネ君の肩をつかみ、殴りかかるダーティ。あえてメガネの上から、パスケースに入っていたメガネ君のお母さんの古い写真を握り込んだ拳をたたっこむ。私も痛いんだよ、という顔でたたっこむ。
「メガネくーん!」「確かに万引きは悪いことだけど、逃げろー!」
 偶然居合わせた、メガネ君とは違う学校で少年探偵団のようなクラブ活動をしている子供たちが心配の声を上げる。
 きれいに入ったパンチは三発。メガネは鼻あて部分で、そっちにだけは曲がって欲しくなかった方向へエビぞっていた。しかもまだかかっていた。
「まだメガネくんだ!」「大丈夫かー! まだメガネくんーーー!」「レンズだけでも、なんとしてもサバイバルさせるんだーー!」
 ダーティヒーローはサービス残業を噛み潰したような顔でさらに語気を強める。
「父子家庭の分際で、私立中学だと!」
 怒りはどんどん引き締まる。心はぐんぐん深緑色になる。きっと今夜は眠れない。握りしまった拳から、お母さんの顔がはみ出した。
 恐怖と悲痛にゆがんだメガネ君の顔から、生気とメガネが取れそうになった。しかし、両方とも、ぎりぎり左耳だけで生き残った。
「ぎり、メガネくんだ」「ぎり、メガネくーーん! 逃げろー!」「一回下へ逃げろー!」
 駆け込んでくるパンチを感じた瞬間、アドバイスを受けてメガネ君はしゃがみこむ。人の意見に耳を傾けられる子だと聞いている。コンマ2秒後、ダーティヒーロのパンチがメガネを単品でとらえた。
 メガネは真っ二つになって砂場に落ちたが、当のメガネ君は、すでに裸眼で出口の方へ走り出している。
「ええぞ〜!」「うわ〜〜!」
 見ていた子供たち(年下、小学三年生)から歓声が上がる。
 しかしまあクールなほどに冷徹なダーティヒーローは舌打ちをする暇もない。栄養の行き渡っていない後ろ姿をにらみつけて、叫ぶ。
「追いかけて 馬乗りで ………タコ殴りだっ!!」
 ダーティヒーローが走り出す 走り出したら止まらない 止まり出したら疲れてる それかもしくは終えている すでに誰かが喰われてる まっすぐ汚いやり方さ 貝印を忍ばせて ぬくめた腹が黒光り ついた二つ名ダーティヒーロー 家電は拾ったものばかり ダーティ ダーティ ダーティヒーロー いまどきガムを吐き捨てる。
 子供たちは、テーマソングが流れていたこともあるが、まったく声をかけられなかった。大人が本気で走るとあんなに速いんだ。私服であんなに風(かぜ)なんだ。恐ろしかった。大人が末恐ろしかった。わからなかった。だいたい、メガネが取れた今、彼をなんと呼んでいいのかわからなかった。
 さっきまでメガネ君だった中学生を後ろから突き飛ばし、チャリにまたがるように颯爽とした一跨ぎでマウントポジションになったダーティヒーロー。これは仕置きだ。万引きをする性根の汚ぇ中学生にまたがり、体重が全乗っかりしたパンチを顔にスタートさせながら、公園中に響き渡ろうという低い声で怒鳴る。
「すきっ歯めっ! 死ねっ!」
「すきっ歯ーーーー!!」
 汚ぇ奴らは汚ぇ奴で片付ける。そうすりゃ掃除が一度で済む。こういうことは、拳で語った場合、まあまあ説得力がある。