読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

野球拳

 精も根も尽き果て、先輩はパンツ一丁メガネワンフレームの貧相な姿でグーを出して負けた。ネグリジェみたいなものを着た女がパーを出したまま嗤う。先輩の2m後ろでは後輩が二人、拳を畳にたたきつけて悔しがった。
「静かにして、静かにっ……ほんとにっ」
 審判がすかさず注意する。深夜だからだ。
「はいこっち、一枚脱いで」
 続けて審判は、こしょこしょ話で先輩に指示する。
 先輩は覚悟したように、仰向けになり、もはやこれまで。どこで買ったかも知れないパンツに手をかけた。
「おい待て待て待て待て! 落ち着いてください!」
 後輩の一人が身を乗り出して叫び、
「終わっちゃうだろ! やめてください!」
 もう一人も何がなんだか泣きそうな顔でしきりに手を横に振る。かなり辛そうだ。審判は、だから静かに、の顔で、今度は何も言わなかった。
「メガネを取ればいいんでしょ、先輩」
「でもお前ら……」
 先輩は悲しげな天井一点見つめで、パンツにかけた指をにじらせる。
「やめろーーー!!」
「いいかよく聞け。俺の視力は裸眼で0.02。メガネを取ってしまえば、世界もおっぱいもだいたいの感じになってしまう。お前らはいいよ。このあと俺が勝てば、画素数の高いおっぱいを見ることが可能だ。でもその時、俺はだいたいの感じの乳房を見ている。ふくらみも乳輪も、あってないようなもんだ。もしくは、乳輪が大きければ大きいほど、視力検査の要領で見えてくる。むしろがっかりな時に俺の目は見えてくる。でもやっぱり、すっごくいい感じのだと思いたいじゃない。それは信じたいじゃない。だからみんな宝くじを買うんじゃないの。でも、キレイだったところで、しょせん俺にはだいたいの感じになっちゃう。そんな…だいたいのおっぱいなんて……」
「だいたいのおっぱいなんて?」「だいたいのおっぱいなんてなんなのー?」
 後輩たちはここぞとばかりに威勢を上げて、先輩の本音を引っ張り出しにかかる。
「あの……」
「言っちゃえよ!」「思いきって言っちゃえよ!」「だいたいのおっぱいだとしてもぉ!?」
「……好き」
「はいきたー!」
 後輩同士ハイタッチで勝負の再開が決定。先輩はすっくと立ち上がり、顔を固定したまま、自らのメガネを手首のスナップではじき飛ばして畳に転げさす。
「さあ来い!」
「こんなところに置かないで……! 危ない、危ないっ…!」
 自分の足元のメガネを指さした審判の声が、座敷中に響き渡る。先輩はしゃがみこみメガネを取るや否や、前を向いたまま、部屋の隅っこ、積み重なった座布団に向かって仙道のやり方で華麗に裏投げした。
「さあ来い!」
 先輩が女に正対して構えた瞬間、続けざまにこれも先輩が叫んだ。
「ダメだやっぱ見えない!」
 その場で勢いよく仰向けに倒れ、腰だけ上げてトランクスに手をかけた――奴め、全身バネか!――ので、
「バカヤロウ、やめろ!」「タイムタイム!」
 後輩が慌てて駆け寄り、パンツをわきの辺りまで引っ張り上げた。
「タイムアウトッ……!」
 審判が手を上げて、声を潜める。女の方も出されていた座布団に座った。
「先輩、勘弁してくださいよ」
「ゲームをやりすぎた」
 先輩は腰を上げたまま、遠い目をしている。
「小さい頃からテレビの近くでゲームをやりすぎた」
「本当だよ、先輩。ゲームのやりすぎだ」
「こんなことがあると聞かされていたら、ゲームなんてしなかったんだ。あんなにドクターマリオにはまらなかったんだ」
「でも先輩。ものは考えよう。逆に、メガネをしていなかったら、もう負けになっていました。ドクターマリオのおかげで、首の皮一枚つながったんです。だから良かったんですよ」
「でもこの場だけじゃなくて、日常生活でも困ることいっぱいあるよ。それはどうなの? そっちの問題はどうなんの?」
「それは……」
 後輩たちは黙りこくる。
「な? こうするしかないんだよ」
 先輩はゆっくりとパンツをずらし始めた。後輩はとりあえずそれを制して、いいこと思いつきましたよ顔から先に各駅で発車させ、
「先輩 そうだ!」
 とまずは注意を逸らす。先輩の手が止まるのを見ると、それから話の内容を組み立てつつ、特別快速で発車させる。こうすれば立川あたりで同時に停車するのだ。
「あの……ほらテレカの穴! テレカの穴を使えばいいんですよ!」
「え?」
「テレカの穴から見たら、よく見えるようになるって言うじゃないですか」
「そうですよ先輩。テレカならオッケーですよ」
 それを聞いた先輩は手を止めて、上半身だけ起き上がって今までよりずっといい顔を見せた。
「ピンホールだね。ピンホールのあの効果だね」
「ピンホール、そうだっけ? そうですよ先輩。そうです。この勝負いけますよ!」
 先輩は立ち上がり、裸の腕をプロレスラーのように大きく振り、かっぽんかっぽんと音を立てて、
「テレカを持ってこい!」
 叫ぶ。
「静かにぃ……っ!」
 審判もなかなか静かにしてくれないので、どうしてこんなに言ってるのに静かにしてくれないのと、かなりきつい顔になっている。小学生の時、副学級委員の女の子がこんな顔をしていた。
 その間に後輩たちは丸井で買ったお気に入りのマイ財布を調べていたが、いまどきテレカなんか持っていなかった。
「先輩、テレカが無いです」
「俺も…すいません」
 先輩の顔が暗黒のおっぱいしっかり見れな沼に沈みかけたその時だった。
「俺のを使いな」
 座敷は天井が高く、吹き抜けのようになっていて、その二階部分にあのなんていうか、体育館の二階のあの見物できる周りのやつみたいになっているところがあった。説明がなんてへたくそなんだ。そんな少し高い所から見物している黒いスーツの、グラサンの曲がった男が初めて声を出した。右目のレンズがだいぶ下にあるこの男は一体!?
「あんたは、俺たちのパトロン、ドン助平!」
「そう俺はドン助平。こちとらお前さんらに金を積んでんだ。絶対にあのナオンのブラジャーをひっぺがえしてくれなきゃ割に合わねえぞ」
 そして少し高いところから身を乗り出し、テレカを渡そうとする。お互いに手を伸ばし、ぎりぎりで、本当にぎりぎりのところで、テレカを渡すことに成功した。グラサンが派手に落ちた。
「ドン助平 ありがとう。……え、ええ!?」
 後輩はテレカを見てビックリ仰天の叫び声を上げた。
「これは、堀北真希テレカじゃないか」
「いいんですか……ドン助平」
「いや終わったら返せよ」
「そ、そうか」
「にしてもドン助平さんこういうの実際に使っちゃうんですね」
「バカヤロウ」
 ドン助平は
「元日本代表の名波浩はこう言った。俺がジダンにスパイクをもらったとしたら、飾ったりなんかせず履いてプレイしちゃうよ。……グラサン取ってくれる?」
 オオ〜〜、という声が座敷中からおこって、
「野球拳再開……っ!」
 審判の声にも張り――俺たち何かでかいことやろうとしてるぜ感――が出た。グラサンは流れ上ほっとかれた。
 先輩はテレカを目に押し付けて女を見る。
「見える、見えるぞ! 見え、見えるけど……遠い、なんか遠いんだ。遠いし……壁を感じる。ネグリジェと俺の間に壁を感じる」
 最後の方はほとんど泣きっ面で聞こえなかった。
「先輩、テレカっす。あ〜」「その壁、テレカっす。あ〜もう」
 後輩も不安を押しこんで叫ぶが、まだ不安が、一番外側の生地だけチャックからはみ出してしまった。
「メソメソするな!」
 ドン助平は長い棒を先輩の目の前に突き出した。棒の先端にはペロペロキャンディがくくりつけられている。先輩は目の前のそれを、ひとなめ、ふたなめ。キャンディが引っ込まないので思案してもうひとなめ。20分後、全部なめきった。
「結局全部なめちまいやがった!」「棒だけにしちまいやがった!」
 ここが感情のキープのしどころと後輩がでかい声を出して驚いた。
「それだけじゃねえ……お前ら、見な」
 ドン助平は棒を、座り込んでしまった女の上を大回りさせて、後輩たちに見せる。
「ああっ。こ、これは……」
「この豪傑、棒もガッシガシに噛んでいやがる。こいつならきっとやってくれるぜ。俺らに初おっぱいを拝ませてくれるぜ」
「イ、イェ〜イ!」「お初で〜す!」
「だから静っ、静かにっ」審判は静かに地団駄を踏んだ。「あと長いからつづくっ……もうっ!」