任侠立ち食い殺し

 最近じゃヤクザモンの世界も大人しいもんだ。そう思ってるそこの君! 間違ってるよ。話が始まる前に、それだけは言っておこう。


 ヤクザ坊主の俺は、貧乏大学生ここにありという服装(毛玉パーカー)で、かけうどんをすすっていた。誰がどう見ても立ち食いそば屋である。うどんもある。
 二席離れたところには、白いスーツの男前と、怪しい人相の男。
 白いスーツの男前とは、何を隠そう我が講談組の若頭である。となりの怪しい男と、ホームレスも一発でハイになれる白い粉の値段交渉をするためだけに極秘で訪れている。裏をかいて立ち食いそば屋で交渉することで、本人たちも満足な気持ちになれる。
 俺はうどんをすすりすすり、立ち食いうどん屋の鉄則「黙って食え」の掟に従い、まっすぐにだしつゆを見ていた。むろん、耳に神経を集中させて。
「タダ券あるよ? イカ天のタダ券あるよ?」
 聞こえる聞こえる。若頭の声が。
「いや、カレーうどん食べるので」
 優しい若頭の好意を男の方はかたくなに拒み、強い押しでカレーうどんボタンを選択した。
 それでもなお、若頭はしきりに「カレーうどんにイカ天とか?」と勧めてタダ券をピラピラ振るが、男は無視した。
 思えば、この時から、なんだかいやな予感がしていたのだ。
 二人は、食券をパートのおばはんに手渡し、水もくまずに立ち食い席についた。と、若頭は急に怖い顔で言った。
「で?」
 若頭は、得意技のすごく甘いアメと良くしなるムチを駆使し、これまで嘘みたいな値段で交渉をまとめてきた。2リットルペットボトルに半分くらい入った麻薬を800円とオードリー・ヘップバーンのテレカで仕入れてきた時は組員一同、鼻水が出た。
「まずは食べましょうよ」
 男は、うどんが今にも出来上がろうとするのを確認してほほえみを見せた。パートのおばはんがいい仕事をしている。
「天ぷらうどんのお客様」
「はい」
「カレーうどんのお客様」
 男は黙って手を上げた。
 その時、壁に貼られたメニューの札が一枚、はらりと落ちた。
「誰だ!」
 でかい声で振り向いた男の顔が、一瞬だけ劇画タッチにゆがんだのを俺は見た。初めて伸びた奴の首筋には、確かに、さいとうプロと書いてあった。俺は確信した。
 こいつ、殺し屋だ。
「なんだ、ワカメうどんか」
 な〜んちゃって声で殺し屋の男は取り繕った。
「驚かさないでくださいよ」
 お茶目にしているが、今ので若頭も男が殺し屋だということに気づいたようだ。眉毛がみるみるうちに太くなっていく。ついでに言うとパートのおばはんも薄々気づいたらしい。口に手を当てて、険しい顔で何か考えている。しかしまあいい。とにかく、少しでもおかしな動きをしたら、一客を装った俺のドンパッチマッシーンが火を噴くから何の心配もない。
「うまそうだな。いただきます」
 人間がいただきますして一口目に向かう時に絶対しない形に、下を向いた男の口が不気味にゆがんだ。いきなりか。俺の中にこんなにパトランプがあったのか、そしてパトランプの形は水野晴郎が考えたのか、と思うほど、俺の頭の中の何かが、何かがというかパトランプが真っ赤に虫を知らせた。こいつはいきなりやべえ、やばすぎる。俺は叫んだ。
「待ちやがれ!」
 俺が動きだし、内ポケットのドンパッチマッシーンに手をかけた瞬間、男の方からゾッ、ズルズルッといやな音がして、そのリズムで、若頭の体が小刻みに動いた。
 若頭の動きが止まった。
「このやろう!」
 俺は迷わずドンパッチマッシーンを出し、叫んだ。しかし、それ以上言葉を継げなかった。
 若頭の体が、力が抜けたようにくずれ、何かの反動でゆっくりと後ろに倒れていく。俺は息をするのも忘れて、それをただ見ていた。
 狭い店内、若頭は、頭から壁にぶつかって、もたれかかる格好になった。据わらない首が、ごろりと俺の方を向いた。
 俺は息をのみ、パートのおばはんは口をつぐんで首を振った。
 若頭の額には、無数の小さな穴が開き、血が流れ出していた。そう、ちょうど水滴大の。
 若頭が、カレーうどんに撃ち抜かれた。
 俺はそんな不可思議な状況でもなんとか頭を動かそうとしていた。俺は若頭を守れなかった。それだけがはっきりしていた。ふがいなさと怒り以外、余計なものは何もなかった。だからこそ、行動することができた。
 俺は何も言わず、ドンパッチの封を開け、口に放り込み、もぐもぐすると、俺に向かって第二のカレーうどんをすすろうとしている男に、回り込むように飛びかかった。俺の小さい頃からとがり澄まされた犬歯が、頸動脈に突き立てられる。生温かい、鉄臭い、外道の味が口に広がり、ドンパッチが激しく炸裂した。
 男の首は一発で裂けた。何度かに分けて徐々にはがれ、最後に首ごと吹っ飛んだ時、俺の歯は全て粉々になくなり、左半身はカレーうどんの穴だらけになっていた。
 俺は最後の力を振り絞り、テーブルに出しっぱなしにしてあったイカ天のタダ券をおばはんに渡した。沈痛な面持ちでうなずくおばはんからイカ天を素手で受け取ると、ずいぶん遠くに吹っ飛んだ男の首まで這っていき、その口に押し込んだ。それから死んだ。