授業参観で産まれた子供、2014年の松本人志添え

「母ちゃん、無理して来ちゃダメだからな!! ぜったい、来るなよ!!」
 キッチンに向かって一発、大声で告げ、「来たら承知しないぞ!!」とダメ押しして、オイラは学校へと全力疾走した。
 オイラのクラスでは、先生も含めた少子化24人クラス全員の、どいつもこいつもが、この夏、オイラの母ちゃんの出産シーンを、異常に、どんな手を使ってでも、見たがっていた。冗談ではない。みんな、人が変わるほど、何ヶ月間も、ずっと見たがっていて、なけなしの小遣いで購入されたたまごクラブで、学級文庫の棚がはちきれそうだった。
 そして、今日は授業参観日。母ちゃんはオイラのがんばってる姿を見たいと言うけど、妊娠中のオイラの母ちゃんが、そんな魔窟にやって来たら、一体どうなってしまうのか。想像しただけで、額にフシギな山芋の紋章がくっきりと浮かび上がってきて、猛烈なかゆみを生む。
 汁がにじみ出てくる額をかきむしりながら、ガラリとドアを開けて教室に入ると、全ての人間がオイラの方を向いて、不気味に息をひそめた。額からジワジワにじみ出たとろろが眉間から垂れてきた。
 いや、落ち着けオイラ。落ち着き払えオイラ。バスケットボールの中の空気。それぞれ7個と8個ある2種類のグミ。べっ甲メガネ職人の休日……そんなものを胸騒ぎに投入して、上から毛布をかけるイメージで。そのイメージで、落ち着いてきた。オイラはずいぶん強くなった。
「すみません、遅刻しました」そう、オイラは遅刻してしまったのだった。
「いいんだよ、尾形くん」と先生はおだやかに言った。そして、嬉しそうに、うんうんとうなずいた。「謝る姿も、すっかりお兄ちゃんじゃないか」
「そんなことはないです。今度から気をつけます」
 オイラは教室のど真ん中にある自分の席に座った。唐突に、先生がこの前の日曜日にオートバックスに車検に行った話を始めた。かなりどうでもいいスタートを合図に、小さく折り畳まれた紙が、オイラの八方位から集まってきた。内容は、一つ開けば十分だった。
『お母さんと弟くんは今日来るの?』
 オイラは返事を書いて戻した。『オイラに弟はまだいないよ』
『勇み足だったかwww』とよこされた。
 それを目にした途端、机の上に、ボタボタとすり下ろした山芋が垂れて音を立てた。隣の美馬さんが、心配そうな顔で、タオルを3枚ほど、オイラの机の上に重ねて置いた。美馬さんの目は、使って、なんでも言って、と告げていた。オイラはそれを使わず、まっすぐ前を向いて垂れ流された山芋を、口を開けて食べ続けた。味が、ない。

 1時間目が無事終わった。オイラはすでにかなり腹いっぱいになっていたが、オイラの母ちゃんはまだ来なかった。このまま来ないでほしいと願った。どういうわけか、クラスのみんなは1時間目に最も期待をかけていたらしく、1時間目の終わりを告げるチャイムが鳴ると同時に、一斉に机に突っ伏して、机を叩いた。

 2時間目が始まった。1時間目は期待にいやらしく輝いていたクラスメイトたちの顔つきが、急に、子供とは思えないほど肉の折り重なったしかめ面に変わり、それこそクラス中が、2014年の松本人志みたいな感じになっていた。父兄からも、不思議そうに「なんか、ほら、2014年の…」とささやき合う声が漏れる。やる気のない先生も、黒板の隅に「2014年の松本仁志」とまちがえて書き、それがいつまでも消されずに残っているほど、教室の雰囲気はだらけきっていた。

 3時間目になると、先生は父兄が来ているのにガムを噛み始めた。味がなくなりかける寸前に次のガムを追加していく家だけでやる食べ方で口をいっぱいにしながら「クチャクチャ、この時、ごんの気持ちはいかばかりか。クッチャクッチャ。山本くん」と言った。
「はい。うんと、えっと……」
「クチャクチャ」
「クチャクチャクチャクチャ……ウナギを逃がしてしまったことに対する、後悔?」
「正解」
 すると先生は「2014年の松本仁志」のすぐ隣に、「後悔の気持ち」と書き足した。父兄からぱらぱらと拍手が起こった。

 授業参観としては最後の時間になった。理科だったけど、先生は何にもやる気が出ないというように教材ビデオの準備を始めた。授業参観なのに、ビデオを見せるらしい。
 授業が始まり、「今見始めると中途半端に時間があまってしまうから」と、少しのあいだ、テレビで「ヒルナンデス」を見ていたその時だった。
「ヒル ヒル ヒルナンデス 昼はワタシの戦場です」
 シックス・いやなセンスがして振り向いたオイラは、絶望の淵にたたき落とされた。心臓は止まりそうになり、膵臓は3回ねじられ、肝臓は使い古したグローブみたいになり、腸の壁にスプレーでめちゃくちゃ落書きされた。
 そうだ。後ろの扉から、オイラの母ちゃんが、大きなお腹を抱えて入ってきたのだ。母ちゃんは、ほかの父兄のみなさんに気遣われ、道を空けられ、真ん中の特等席まで通された。
「あれほど来るなって言ったのに……!」
 振り返ったオイラのおでこから、とろろがいやらしぃ~く、天井に達するほど噴き上がったので、みんなも気づいた。背後を盗み見て妊婦の存在を確認した全員が、同時に背筋を正したので、教室が逆毛立ったみたいだった。
「デハ、授業ヲ始メルゾ!!」
 冷静にその状況を見ていた先生が再生ボタンを押した。テレビ画面が一瞬暗くなって、ナンチャンの幻影が消えると同時に、大きく苦しそうな呻り声とともに牛の出産シーンが映し出された。ムツゴロウ王国の映像だった。
「ウッ」思わず、オイラの母ちゃんがお腹を押さえてうずくまった。「ムツゴロウ王国ッ」
「もらい赤だ!」と誰かが叫んだ。そんなの、あんまりじゃないか。
 オイラがどうしていいかわからずオロオロしていると、後ろの方の席の男子が、机の上に立って、オイラの母ちゃんに向かって、シゲキックスを、袋から一粒ずつ取って次々に投げ始めた。
「や、やめろおおおおおーーー!! 酸っぱいものを投げるなーーーーー!!!」とオイラは叫んだ。おでこからはとろろが、空気のまじった音を立てながら、その穴を押し広げんばかりに噴出した。
 汁気の猛烈な勢いで机がクラスメイトをまきこんで倒れ、悲鳴が上がった。父兄も金切り声を上げて、教室はパニック状態になった。
 しかし、オイラの怒りもむなしく、シゲキックスの雨あられを受けて、かがみこみ、さらにその背中にも投げつけられて、徐々に、顔を苦しそうにしかめながら、分娩のポーズになっていくオイラの母ちゃん。優しかった母ちゃん。
「よせえええええええーーーー!!!」
 一方では、女子が大量の湯を沸かし始め、熱気がゆらゆらとのぼり、徐々に立ちこめ始めた。横にはありったけのタオルが積み上がっている。いつの間にか大音量にされた映像は、馬、豚の出産シーンを経て、新山千春まできてしまった。
「それ以上はダメだあああああああーーーー!!」溢れ出るとろろの色は濃くなり、荒く、筋張ってきた。おでこが割れるように痛い。これじゃまるで、これじゃまるで……
「鼻からスイカを出すみてえじゃないか……!!!!」
 その言葉もただの呻り声になった。母ちゃんに声をかけようとしてもかけられない。2014年の松本人志のように顔を多重にしかめて、母ちゃんを見る。
 ああ、母ちゃんもまた、2014年の松本人志の顔で、自分に当たって床に転がったシゲキックスを、ひろいあつめて食っていた。母ちゃん。酸っぱいものが欲しいってそこまでのことかよ。生命の神秘に、神も仏もないのか。オイラにゃ信じられないよ。母ちゃん。
「もしもし、尾形くんのお父様ですか? 至急、学校まで来てもらえますか?」
 オイラのすぐ背後で、学級委員長の福田くんが、オイラの父ちゃんに電話で告げた。丁寧な受け答えだから、取り次いでもらえたにちがいない。
「奥さんが、破水しましたよ」
 破水!? オイラは驚いて母ちゃんの方を振り返った。したらなるほど、オイラの愛する母ちゃんは、まぎれもなく破水していた。あれが、まぎれもない破水か。
「はい、いえ、だいじょうぶです、もう産まれそうですよ」
「う、う、う、産まれるうううう~~~~~!!!!!!」と母ちゃんが叫んだ。
 オイラは、そんなでかい母ちゃんの声を、どこかコメディタッチの声を、初めて聴いた。
 その刹那、オイラの眉間の奥の袋小路から、快感に似たようなものが爆発的に生まれて、出口まで、通り道をさんざん刺激しながら、向かってくるのがわかった。オイラの頭には、そんなもの、耐えきれなかった。あと少しというところで、オイラの頭は、ニキビがつぶれるように破裂して、そこから逃げるように、ブブビッと勢いよく飛び出た、どろどろなのに粉っぽい、ピンクがかった熱い塊が、今にも子を産もうとしている母ちゃんに、覆い被さるようにぶつかり、その粘り気をこの世の重力に任せて、身体という身体を隅々まで覆い隠した。肌にべったり貼りついてくる重苦しい濡れた音を、オイラは母ちゃんの股の間に埋もれながら確かに聞いた。