転校生に目をつけられる

 東京から越してきた広瀬くんは、TOKIOの長瀬くんと同じイントネーションで自分の名前と趣味と推しメンを発表すると、華麗なターンでチョークを手に取った。間髪入れずに黄色い声が上がった。
「群馬県民のみなさんに紹介したいものがあります。今、すごく東京で流行っているものです」
 黄色い声のオクターブが一段上がった。女子たちはもう、こんな石原慎太郎の下でヘーコラ6年間も学校に通ってきた男のことが気になり始めているらしい。
「ちょいお待ち」
 広瀬くんは、手元のメモを見ながら、黒板にスラスラと何か書いていた。その後ろ姿はどうだ。清潔感のある白いポロシャツは襟だけ派手な花柄模様で、逆にどこか荒々しい意図を主張していた。あれはおそらく渋谷ハチ公前で待ち合わせた上でスクランブル交差点をポケットに手を突っ込みながら無視したあと109(マルキュー)でろくに選びもせず買ったものに違いない。足に吸い付く緑のズボンはメイドインどこのだろうか。
 僕が持てる知識を総動員して彼をスッポンポンにすべく分析を進めているまさにその時、彼の右足が直立不動の状態からスイと動いた。そして、その右足がまた戻ったかと思うと、今度は左足が横に出た。そしてまた右足。交互に。まるで交互に。スッスッスッスッスッ。
 まばらに起こった女子たちの拍手が、僕の耳をつんざくほどに膨れあがるまでそう長い時間はかからなかった。
 醒めない悪夢のような足の動きが止まった時、彼の手には、いつの間にか紅白帽が軽く持たれていた。体を傾けながら大袈裟にかぶって、踊って、外す。次の瞬間、ビリー・ジーン投法で、帽子が開いた扉から教室の外に飛んでいった。
 一瞬そちらに奪われた視線をUターンさせると、彼は両膝を曲げたつま先立ちで静止していた。あらぬ方向を指さしたまま微動だにしないその姿に、誰もが、時が止まったように錯覚したに違いない。その時、教室で息をしている者は一人もいなかった。
「フーズバァッ……」
 魔性の囁きを合図に、我に返った女子たちが、ギリシャマイケル・彫刻ジャクソンのように固まった彼の姿を、机の上にデッサンする音が聞こえ始めた。
 僕の胸が、これ以上はヤバイと告げていた。
「踊ってばかりいないで早く黒板に続きを書けよ! 転校生!」
 すぐに、女子たちの肉食動物の威嚇のような怒号が僕に浴びせられた。全員一斉に金切り声をあげるので、何を言っているかもわからない。
 すさまじい喧噪の間、彼は膝の曲がったつま先立ちのまま徐々に体の向きだけを変えて、一度行き過ぎて戻ってきたあと、さしっぱなしの指を僕に向けて止まった。そしてそのまま動かなかった。
「フーズバァッ……」
 僕はその指先でまっすぐ額を焼かれるような心地がして、思わず顔を背けた。
 野田先生は女子を制するわけでもなく、踊った時に床に落ちていた広瀬くんのメモを拾い、続きを書き始めた。
 僕は女子に罵られながら、指をさされながら、じっと黒板を見つめていた。
 乾いた音とともに書かれたのは、YouTubeのURLだった。
 僕は自分でも驚くほどの、桂馬をどこに置こうか考える時に限りなく近いタイプの集中力で、そいつを記憶した。女が騒ぐ時、男は覚える。男が騒ぐ時、女は忘れる。
「トイレに行ってきます!」僕は勢いよく立ち上がった。「とめてくれるなおっかさん!」
 僕は、僕を追いかけて広瀬くんが回転するのを感じながら教室を飛び出し、トイレの個室に飛び込んだ。携帯電話を取り出す。YouTubeを呼び出し、そのURLに覚えた文字列を入力する。決定する。
 少し待ってから表示されたのは、Tシャツの重ね着のギネスチャレンジの動画だった。
 短時間でまとめられたその動画はすぐに見終わってしまった。どうしたことだろう。全然おもしろくない。僕は混乱した。
 だから、狭い個室の中、あの指先に背を向けていることに気づかなかった。ちょうどまっすぐ教室の方、僕の背中の一点から煙が出て、服が燃え始めていることに気づかなかった。
 動画をもう一度再生しようとする間に、僕は炎に包まれていた。