子どもたちよ!
子どもはみんな似ている。それぞれ個性はあっても、みんな子どもという魂を共有している。むろん、ぼくもあなたも子どもだった。その魂は、二十三歳の晩春にもくすぶっている。
今日は、涙を誘ういじらしい子どもたちを紹介します。
まず最初に紹介するのは、死んじゃった金魚への気持ちの示し方がわからず、子ども電話相談室に電話をかけてきた女の子。
杉浦宏――あるとき、女の子からこんな電話がありました。「金魚が死んだけど、お母さんが箸でつまんでポリバケツに捨てなさいって」と言ったきり、ずっと黙ってる。聞くと、毎朝起きたらすぐに水槽に見にいっていた金魚が、その朝死んでいた。お母さんは朝の支度で忙しいし、死んだ生魚の処置としては、生ゴミと一緒に捨てるのが適切だと思ったんでしょう。お母さんに悪気はなかったと思うんです。ところが子どもは、死んじゃった金魚がかわいそうなんだ、すごく悲しい。
石川良輔――お母さんは、自分で生きものを飼ったことがないんですよ。
杉浦宏――その子は金魚を捨てることもできず、悶々として夕方の四時まで待って、電話してきたんです。それで、「きみは宝物を入れるような小さい箱を持っていないかい? その箱に白い脱脂綿を敷いて金魚を寝かし、箱を公園の片隅にでも埋めてやるといいよ」と言ったら、その子は、「わかった」と答えたかと思うと、すぐにガチャンと電話を切っちゃった。僕は「ありがとう」なんていう言葉はどうでもいい。今やれることが決まって、その子はたぶん、急いで箱を探しに行ったんだと思う。そして、これであの金魚をポリバケツに捨てなくてもすむんだと、すごくほっとしたんじゃないかな。
子どもが子どもであるがゆえに途方に暮れているだけでドキドキする。みんな大変だ。助けてやってくれ。
母親の意見に納得できず、考えに考えてどうしようもなく子ども電話相談室のダイヤルをまわす気持ちがどうしてこんなにわかるのか自分でもわからないけど、「よかったなァ〜!」としか思えない。
『葬式は、要らない』という本が売れていて、日本の葬式は金がかかりすぎだという。日本人の葬儀費用は平均231万円。イギリスの12万円、韓国の37万円と比較して格段に高く、浪費の国アメリカでさえ44万円だというお話だ。檀家制度が育んだ葬式仏教は無駄だと、だいたいそういうことを言っていた。
葬式にお金がかかるのは、言わば、死んだ金魚を宝物を入れるような小さい箱に入れたいからだ。どこの国でも宗教でも、花を放ったネアンデルタール人でも、そういう理由が根底にある。それを人にやってもらうことで金がかかるなら、もうちょっと自分でやるようになれば金もかからないんでいいよなと、島田裕巳はそういうことを言ってた。
女の子も、毎日気にして金魚のために、死んだあとでも何かしたかったわけで、金魚のことをマジで考えていたら、子どもだし、電話すぐ切っちゃうよ。もっと言えば、電話をかけるのだって相当な勇気がいるはずだ。黙り込んじゃってるし。やっとの思いで電話をかけ、一言告げたのは、金魚のためじゃないか。なんて泣かせるんだ。
続いては、オウムの麻原彰晃(松本智津夫)の子供たち。
「だいたいあの麻原の子供たちを普通の子と同じように考えることが無理なんです。不気味だと思うのは当然でしょう? あなたがたは他所に暮らしているから、実際に近くにいる私たちのこの切実さがわからないんですよ!」
発言したのは民主党の県会議員。二〇〇〇年八月。麻原被告の三人の子供たちが転入してきて就学問題で揺れる茨城県竜ヶ崎で、人権団体がシンポジウムを開催した。報せを聞いてカメラを手に駆けつけたが、当日の参加者は五〇名足らず。しかも肝心の地元住民はほとんど参加していない。「この集会に参加すればオウム擁護派のレッテルを貼られます」と、一人の住民が僕に苦笑した。
冒頭の発言があったのは会の中盤。人権派の運動家や大学教授たちの、「これは明白な人権侵害であり、子供たちの居住はもちろん就学だって認めるべきだ」との主張に対して、挙手した県会議員は頬を紅潮させながら、一気にまくしたてた。状況に無闇に関与すべきではない。なぜなら今日の僕は撮影のためにここにいる。そう思いながらもその瞬間、(安っぽい表現だけど)僕は切れた。
県会議員が座る席の四列ほど前には、三人の子供たちが所在なげに座っている。麻原の子供たちだ。最初の頃はじっと座っていた二人の弟たちは、とうとう会の中盤で、持参していた布の袋からドラえもんの単行本を取り出すと夢中になって読み始めた。何度も読み返されているのか、本は一冊残らず擦りきれたように垢じみていた。十一歳になる四女は、幼い二人の弟たちに注意をすべきだろうかとためらうような素振りを一瞬見せてから、思い直したように背筋を真直ぐに伸ばし、人権や公共の福祉などの言葉が頻発する皆の話を、じっと無言のまま聞いていた。
県会議員が声を荒げたとき、彼女は表情を変えないまま、少しだけ肩で息をついた。ドラえもんに夢中の弟たちは、自分たちが不気味な存在だと名指しされたことに、どうやら気づいていないようだ。
僕はカメラのスイッチを切って足許に置いた。会が始まる前から着席していた子供たちの存在に、県会議員が気づいていないはずはない。一言だけだ。記録者としての領分から逸脱した行為であることは百も承知だけど、でも一言だけ彼に伝えたい。
森達也『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』ちくま文庫、P189〜190
何にも知らないところに連れ出されて、退屈に耐えられなくなって、早くドラえもんが読みたいな。そんな気持ち、凄くよくわかる。
確かに、当時、オウムが自分の町に来るとなったら正直いやだと思う。十数年前の話だけど、人々の危険分子への認識は基本的に今も変わっていないはずだ。逆にエスカレートしているかもしれない。
でも、この布袋から取り出されたボロボロの『ドラえもん』に何も感じないなら、それでも人間か。
固定観念に毒されたヒステリックな声が飛び交う会場で、麻原の子どもを指さして、
「でも、ドラえもん読んでるよ」
そう言うだけで何かが変わるような国がいい国だと思いたい。そして、それで本当に何かが変わるんじゃないかと信じたい。ぼくたちの中にあるものはそれほどちっぽけではないはず。少なくとも、麻原の子供たちとドラえもんの話はできるじゃないか。
そして、弟たちと複雑すぎる状況の狭間で自らの態度を決めかねる四女の姿。後に江川紹子を後見人として家族と別れ、さらに江川紹子が後見人を辞退し、その後ネットカフェ難民やホームレスをしつつ暮らしているという彼女の手記なども読むと言葉が出ない。
自らに責任のないことで権利を制限されることはあっちゃならない。人権っていうのは、そういう意外といい話だ。人はいい話になってからしか興味が持てないくそくらえな弱さがある。人のことを言える自信は全然ない。
続いて、どうしようもない悲劇の中で凛と立つ子ども。
次の日、久しぶりにほとんど留守家族が来ないので、やれやれとしているときふと気がつくと、私の机から頭だけ見えるくらいの少女が、チョコンと立って、私の顔をマヂマヂと見つめていた。
私が姿勢を正して、なにかを問いかけようとすると、
「あたち、小学二年生なの。おとうちゃんは、フィリッピンに行ったの。おとうちゃんの名は、○○○○なの。いえには、おじいちゃんと、おばあちゃんがいるけど、たべものがわるいので、びょうきして、ねているの。それで、それで、わたしに、この手紙をもって、おとうちゃんのことをきいておいでというので、あたし、きたの。」
顔中に汗をしたたらせて、一いきにこれだけいうと、大きく肩で息をした。
私はだまって机の上に差し出した小さい手から葉書を見ると、復員局からの通知書があった。住所は、東京都の中野であった。
私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると比島のルソンのバギオで、戦死になっていた。
「あなたのお父さんは――」
と言いかけて、私は少女の顔を見た。
やせた、真黒な顔、伸びたオカッパの下に切れ長の長い眼を、一杯に開いて、私の唇をみつめていた。
私は少女に答えねばならぬ、答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。
「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです。」
といって、声がつづかなくなった。瞬間少女は、精一杯に開いた眼をさらにパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。
涙が、眼一杯にあふれそうになっているのを必死にこらえていた。それを見ている内に、私の眼に、涙があふれて、ほほをつたわりはじめた。私の方が声をあげて泣きたくなった。しかし、少女は、
「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。おとうちゃまが、戦死していたら、係のおじちゃまに、おとうちゃまの戦死したところと、戦死した、ぢょうきょう、ぢょうきょうですね、それを、かいて、もらっておいで、といわれたの。」
私はだまって、うなずいて、紙を出して、書こうとして、うつむいた瞬間、紙の上にボタ、ボタ、涙が落ちて、書けなくなった。
少女は、不思議そうに、私の顔を見つめていたのに困った。
やっと、書き終えて、封筒に入れ、少女に渡すと、小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。
涙一滴、落とさず、一声も声をあげなかった。肩に手をやって、なにかいおうと思い、顔をのぞき込むと、下唇を血が出るようにかみしめて、カッと眼を開いて肩で息をしていた。
私は、声を呑んで、しばらくして、
「ひとりで、帰れるの。」と聞いた。少女は、私の顔をみつめて、
「あたし、おじいちゃまにいわれたの、泣いては、いけないって。おじいちゃまから、おばあちゃまから、電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。だから、ゆけるね、となんども、なんども、いわれたの。」と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなづいてみせた。
私は、体中が熱くなってしまった。帰る途中で、私に話した。
「あたし、いもうとが二人いるのよ。おかあさんも、しんだの。だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。あたしは、泣いてはいけないんだって。」と、小さい手をひく私の手に、何度も、何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。
杉山龍丸
酷な運命の中で子どもさえ大人にならなければいけないそんな時があって、どういうわけか、ぼくに想像もつかない方法で毅然と大人の言いつけを守り、自らの強さに還元している姿は本当にどういうことだろう。
俗っぽい言い方になるけど、お父さんの戦死の報せを聞きに行くはじめてのおつかいは、本当になんて悲劇だろう。おかあさんはいないし、おじいちゃんもおばあちゃんも動けないし、それでも一人で立派に電車に乗って、復員事務の窓口までやってくるのだから。
もう……なんも言えねえ。
子どもは何にも知らない。それなのに、何かをしたくて、しようとして、出来たり出来なかったりする。もしくはそのまま、したくなくて、しようとしないこともある。
そんな子どもの影が、今もぼくの中でどうしたものかとたたずんでいるのだが、こういうものを読んでいると、逆にその輪郭はぼやけ、消えそうになりながら、愛おしい存在として切ない煙を残すようでもあります。
だから電車とかでギャースカいってる子どもも割と平気だぜ。
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