新アイドル

 女ニートのミズエは自称家事手伝い、インターネットで自身が運営するサイト(オリジナルの面白フェイスペイントを紹介するサイト)で顔写真を何百枚も病的に公開していたところをアイドルとしてスカウトされた(メールで)。
 ニートから脱却したいと思いつつも、明日でいいや明日頑張ろうっていうか今年はいいや充電期間充電期間と済ませてきたミズエだったが、このチャンスだけは絶対に逃してはならない、これが最後のチャンスなんだから! と強く親に言われたので、久々の日光に目も開かない中、電車に乗り、人混みに体がブルブル震える中をプロダクションまでやってきた。
 急に話しかけてきた受付を最初は無視してしまったが、どうにか話をして、怪しがられながらも指定された部屋にこうにか入ると、社長らしき男と女性社員が長机に肘をついて座っていた。机の上には、ペットボトルの水と書類、ボールペンなどが置いてあった。
「はいそこ座ろう。その椅子に座ってみよう」と社長が言った。
 ミズエはパイプ椅子に腰掛けた。
「私が、この社長プロダクションの社長をやっている…………社長だ。そうだな!?」社長は前を向いたまま叫んだ。
「そうです」と隣の女性社員が言った。
 ミズエはそんな大きな声を出されたら、体をそむけて、両手で顔をかばわずにはいられなかった。しかし、こうしてスカウトされてきたわけだし、引きこもりのプライドを保つためにもなんとか手を膝の上におろした。
「そうだよ、そうやって頑張れって言ってるんだよ。我々は、声をかけてるんだよ。頑張れ頑張れ! そうやって声を嗄らして叫んでるんだよ。聞こえるか、その声が。どうなんだ。聞こえるのかよ。みんなの声が。聞こえてるのか、おおぉい!」社長は机から身を乗り出すように立ち上がった。
「聞こえてます、聞こえてます」ミズエは恐怖のあまり椅子から中腰で立ち上がって、いつでも逃げられる体勢を取った。
「嘘をつくな!」社長が机に足を上げて叫んだ。「一日中家の中にいて、聞こえるわけないんだよ! くの一ニート気取りなのか!? 聞こえるわけないよ、みんなの声なんか聞こえてないんだよ君は。聞こえてないんだな!?」
「聞こえてません」女社員が間髪入れずに言った。
 ミズエは椅子の後ろにまわりこんで隠れ、逃げようとするのをこらえながら、なんとかその場に踏みとどまっていた。
「こっちは、そんな引きこもりのニートをアイドルにしてやろうって言ってるんだよ。逆に、そこを売りにしていこうって腹なんだよ。君ね、しょこたんいるね、中川翔子。私も一目置いてるんだよ。彼女もね、知らないけど、引きこもりみたいなもんだったんだよ、全然知らないけど。知らないな!?」
「知りません」と女性社員。
「でも、彼女はあそこまで上り詰めたんだよ。でもね、君は無理だよ。しょこたんと張り合おうなんて、しょこたんとの天王山なんて、考えないほうがいいよ、無理だよ、君には。君には無理なんだよ。君みたいな引きこもりには、土台無理な話なんだよ。君が引きこもりなら、君が引きこもりでくるなら、しょこたんは押しこもりなんだよ、こもっていても、押してるんだよ。グイグイ押してるんだよ、しょこたんは。押し出しだよ! 上手投げだな!?」
「いえ、押し出しです」と女性社員。
「押し出しだよ! よく考えろよ!」社長はミズエを指さしながら、一方で握り締めたこぶしを机に叩きつけた。
 机の上のミネラルウォーターのペットボトルが、衝撃で跳ね上がってから倒れた。
 ミズエは口を手で押さえ、吐きそうになるのを必死でこらえていた。大人が大人に怒鳴られるなんて、机を叩いてミネラルウォーターが倒れるなんて、全部フィクションだと思っていたのだ。
「でも、君に勝ち目がないわけじゃないんだよ。勝機あるよ。だからこうしてスカウティングしてるわけだよ。君、あきらめるのはまだ早いんだよ。全然早い。君が勝ってるのはどこだ、君がしょこたんに勝ってるところは、どこなんだよ」
「そんなとこ、どこも……」ミズエは息も絶え絶えに言った。
「そうだよ、どこもないんだよ。言わば、どこも勝ってないところが勝ってるんだよ。しょこたんよりも引きこもりなんだよ、君は。わかるね! しょこたんが押しこもってくるんなら、押しこもりなら……押しこもりってなんだよ!」
 ミズエは口を開けて目を見開き、恐怖をあらわにした。しばらく間があった。
「とにかく、だから君はより一層、引きこもっていくんだよ。自分の特徴を磨くんだよ。そこに活路を見いだすんだよ。部屋の鍵のかかり具合で勝負するんだよ。逆転の発想だよ。押すのがダメなら、引いて引いて、引きおとしなんだよ、はたきこみだな!?」
「引きおとしです」
「引きおとしなんだよ! はたきこみじゃないんだよ! そのために、私も、考えたんだよ。プロデュースプロデュースの毎日だよ。君、最近、色々あるんだよ。タルドルだケガドルだって、より取り見取りの安かろう悪かろうのアイディア勝負の思いつきワゴンセールなんだよ。糞みたいな業界だここは! 才能のない奴ばっかりだ! うちのダクション、プロダクションね。ダクションも、色々やったよ。フルドル、フルーツアイドルね。最悪だよ。バナナとかメロンとか色々、全部失敗だよ、もう全部腐りかけ、ブヨブヨだよ! それを繰り返すまいと、君で勝負に出たわけなんだよ」
「私が……」とミズエ。
「おい! 説明してやれ!」社長は女性社員を見た。
 女性社員は、たっぷり間を取ってうなずいた。ミズエの方を見た。
「あなたのコンセプトは『死んドル』です」
「シンドル……?」
「死んでるんだよ。まったく新しい、死んでるアイドルなんだよ。デビューから死んでるんだよ。死んじゃってるんだよ! 死んでるあの娘の御陀仏デビュー、なんだよ! 御陀仏だな!?」
「御陀仏です!」と語気を上げる女性社員。
「そんな……じゃあ、私は」
「御陀仏デビューするんだよ!」
「死ぬんですか?」と怯えるミズエ。「死ななきゃいけないんですか?」
「だから、今から何枚か写真撮るから、そしたら今まで通り引きこもってろって言ってんだよ! 後は勝手にやるから! わかれよ! わかったら頑張れよ!」社長は握り締めたこぶしを前に伸ばした。「よし、まず、早速こいつを、耳と鼻に詰めてみろ!」
 すると、社長がゆっくりと開いた手から、小さく丸めた綿が四つ、手の平から離れる時間差で床に落ちた。
「死んだおじいちゃんみたいに早速詰めてみろ!」社長は大声で言った。
 社長と女性社員が目を光らせる中、ミズエは動き出した。今まさにアイドルへと生まれ変わろうとしているミズエは、というか、それなら今までどおり家の中で楽しくやれるかな、在宅ワークかな、とぼんやり考えているミズエは、ゆっくりと椅子から離れ、その手を前に伸ばしながら、死んだおじいちゃんのスピードで、フラフラと四つの綿の方に進み始めた。