ワインディング・ノート21(手塚治虫・個性・『火の鳥』)

 つげ義春の初期は白土三平手塚治虫の影響が色濃く見られます。手塚が「個性」と呼ぶのはそれ以後の時期に決まっています。ちなみに、この対談は1983年の『ユリイカ』に掲載されていて、ちょうどつげ義春が「ねじ式」「やなぎ屋主人」なんかで評価されたガロ時代を経て、夢をモチーフにした作品群のあと、マンガを描かなくなって『つげ義春日記』を書いて夫婦げんかしたりしている頃のものです。
 水木しげるも、現在知られているようなタッチではなく、様々な画風を研究・実践していた貸本時代を経て、「水木しげる」となりました。もともとが画家になりたかった人ですから、画風というのには敏感なのです。ウィキペディアにはこんな記述もあります。

売れない貸本漫画家時代から、膨大な「絵についての資料」をスクラップ・ブックにしてコレクションしていた(貸本漫画家時代は100冊。現在は300冊を超えるという)。また、「ハヤカワ・ミステリ」などの書籍も「ネタになる」と、多数購入していた。妖怪関連書も神保町の古本屋で、古いものまで集めていた。それを見た桜井昌一は、「この人は絶対、世に出る」と感じたという。のちに、若き時代の呉智英などが、その資料の整理を手伝った。

  加えて、影響の話にからめるならば、マンガが掲載されたあと、指摘されて星新一を盗作したことを認め、謝罪したこともあります。

 彼らもまた地層を「がらんとした空」として見る者ではなかったし、最初から「つげ義春」や「水木しげる」ではなかったということなのですが、それでも彼らには「個性」があると手塚は言います。
 彼らは、様々な影響を認めた上で、それから逃れるように新たな地場を踏み固め、過去のものから逃れきり、そこでようやく目をつぶったのです。そんなに簡単に言えることではないですが、「個性」とはそういうものではありませんか、とはさっきも言った通りです。
 表現者としての人は、雑多な影響をわが身に合成されたキメラであるのです。これを「客観的」に眺めれば、引用の塊であるわけで、極論すれば、異常にグロテスクな姿です。
 しかし、目を閉じれば、そこには統合された自分というものしかいなくなる。そうやって固定され、やっと信じられるものが「個性」の正体ではないでしょうか。

 では、生真面目に影響を自覚し続け、水木しげるに「一番病」と揶揄されながらマンガ界のトップに君臨し、それでもなお対談のような、固有名詞の頻出する話を延々くっちゃべっている手塚はどうでしょうか。『罪と罰』を三〇回以上読んだとかとち狂ったことを言って全然疑わせない手塚治虫はどうでしょうか。

手塚 本当に味つけをしないかぎり、生きてこないんですよ。それがぼくにはできないんです。
巖谷 手塚さんの絵自体がそうですね。
手塚 そうなんです。絵もそうだし、内容もなにかひとつの大筋はつくれるんですけど、そこに自分の個性を入れることができない。

 
 手塚は、自分を「個性」がないと断言します。「ずるい」グロテスクな混ぜ物の姿に対して、決して目をつぶろうとしないのです。それはもちろん、画風の問題もあったのでしょうが、それよりもなお、僕には作家倫理の問題であるように感じられてなりません。
 つまり、「異郷」からの影響に対して、それを受けた自分の姿について目を開き続けている手塚治虫だけが、自分の「個性」を信じられず、その結果、「無個性の個性」へとたどり着けたのではないでしょうか。
 遺作「ルードウィヒ・B」で主人公は「自分を大事にして自分の個性を出していく者が結局強いんですよ。どこでも通用するんすよ。こういうのが自分の個性で勝つんすよ」と語ります。

 手塚が異様に他のマンガ家へ執着したのも、こういうことと無関係ではないでしょう。
 先ほどもチラとあげた「一番病」の話は、水木しげるの「墓場の鬼太郎」を読んだ手塚が衝撃を受け、そのくせパーティーで初めて会った時にこき下ろしたという話が元になっています。
 手塚が「個性」について恨み節になるのは、確かに自分がそこへたどり着けなかったということがあるのでしょうが、これほどの人間を、そんなコンプレックスで片付けていいものか。僕にはそうは思えません。

 そこで一つ問いを立ててみます。
 手塚が個性にたどり着けなかったのはどうしてなのか?

 莫大に多くの要素を含んだキメラは、畢竟、その姿を「理想の美人」のような全ての平均へと近づけてしまうはずです。そこでどうすれば「自分を大事に」することができるでしょうか。
 全てを知る平均的なもの。これは極論をすれば「神」と呼ぶべきものでしょう。
 奇しくも「マンガの神様」と呼ばれた手塚ですが、彼の苦悩とは、つまるところ「神」のそれなのではないかという気が僕にはするのです。

 よく考えてみてください。
 影響が地層の下で関連づけられているならば、全ての影響を最も貪欲に取り込み、自覚し、マンガの世界に解き放ったのが手塚ならば、その手塚の作品は、それ以降の全ての手塚自身が影響を与えた者たちの作品がつくりだす平均に限りなく近づいてしまうのではないでしょうか。
 まして、そこから逃れて「個性」を獲得した水木しげるつげ義春のような努力家の天才たちの作品をすら、永遠に目を開き監視を続ける手塚は「異郷」のものとして取り込み、だからこそ自分の個性を信じられず、ますます平均的な姿に近づいていくのです。
 そこに「完璧」はありえるかと言えば、答えは火を見るより明らかです。残酷な時の流れというものが、広すぎるこの世界が「完璧」を許しません。
 結果、手塚治虫は「個性」にたどり着かないのです。

 これはもう、永遠に強者を吸収し続けるセルです。至る所をさまよい、因縁をふっかけて吸収しようとし続け、その証拠として自分のマンガに登場させるセル。それでも一向に満足できず「仕事をさせてくれ」と遺言を残したセル。そして(セルに喩えておいてなんなんですが)、火の鳥は、作中、それとよく似たことをしてはいなかったでしょうか。
 『火の鳥』はそういうことについて考えた作品としか、今の僕には思えません。だから、『火の鳥』はまさに、手塚治虫のライフワークと言えるのです。
 永遠の生命をもつものとして火の鳥はいました。しかし、それは理想です。その血を飲み、永遠に生きて「仕事を続ける」ことが手塚の「理想」でもあったでしょう。しかし、現実に生きている世界はそうなっていない。人間が永遠に生きたらどうなるかについて手塚が考えた末路は『火の鳥』にはっきりと描かれています。

 「完璧な者」や「全世界を異郷と思う者」がどんな者か、いろんな人を例にとって、だいぶ前にお話したと思います。ありえるはずのない「中学生の考えるやうな」ことを、なんだか知らないが深く追い求めずにはいられない人物たちです。
 「無個性の個性」とは、それを端的に表した言葉であると言えるでしょう。永遠の生命と時間を持たない人間には、それに接近できても、完璧に実現することは不可能なことなのです。

火の鳥 全13巻セット (角川文庫)

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ルードウィヒ・B (手塚治虫文庫全集)

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