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愛のアサシン

 家が建ったから見に来いという誘いに応じて十年ぶりに故郷へ帰ってみると、坂の上、かつて何の変哲もないが幸福の象徴であるかのような赤い屋根の家があった場所に、まがまがしい突起物が天辺にそそり立った紫屋根の家が見えた。
 家の周りには人だかりができていた。
「見ろよ、チンポだ! 本当にチンポだったんだ!」
 二百人ほど自分の実家に寄り集まっていた汚れきった土方たちが、屋根の上を指さして叫んでは馬鹿笑いをして写メを撮影していた。
 連中は俺がこの家の関係者であることを一瞬で見て取り、道を空けた。
 出迎えたのは、先日、本物の歯をすべて引っこ抜き、それよりも10本多いインプラントを埋め込んだという母親で、連絡はこまめにとっていたとはいえ十年ぶりに会った割に全く印象が変わらず、拍子抜けした。
「母さん、あの肉体労働者の群れは、いったいどういうことだ。そして、どうして屋根の上にチンポなんか飾ったんだ?」
twitterで声を掛け合って全国から集まってくるのよ。ああいう人達ってそういうところにしか生き甲斐を見いだせないでしょう? 少なくとも行動力はあるらしいね。鍛えているんで馬力が違うから侮れない」
 この家は土方を中心にしてtwitterで評判になっているらしく、全国から休みを見つけて駆けつけてくるそうだ。チンポの件を聞いていない振りをする母親に無性に腹が立ち、大袈裟な舌打ちをしてリビングに行くと、ますます美しく成長した妹の襟子と見知らぬ痩せた男がいるのだった。
「こいつは誰だ!」
 横の壁を拳で殴りつけて声を荒げた俺に対して、母親が慌てて駆けてきた。
「ご近所の岡本さん。ほらあなた小さい頃、よく岡本さんのお宅の棚から映画のDVDを山ほど……一度、一緒に謝りに行ったでしょう。あなたはもう飲酒と煙草と本番もさせてくれないような風俗通いをお止めなさい。金をけちったフェラチオで射精したところで何になると言うの? そんな自堕落な生活をしているから記憶力も悪くなる。自分でもわかっているんじゃない?」
 そうか。あの時俺はこいつに頭を下げていたんだな…。一挙に記憶がよみがえってきたことで、この世界の真理は少なくとも70年代から変わっていないという思いを確認できた。
 一連の話を聞いても、表情一つ変えずに男は言った。
「襟子さんに花をプレゼントしようと持ってきたんですよ。趣味で、洋蘭を育てていまして、あまりにも出来がよかったので見せたくなりまして。明日の深夜には、わざわざ僕に会うためだけにやってくるブラジルの洋蘭マニアとロイヤルホストで夜通し話をする予定なんですよ。なにぶんブラジルからくるので、時差ボケがありますからね…」
 ダイニングのテーブルの上に、化け物のような青い洋蘭が置いてあった。異様に巨大化したそれは病的な存在感で、きちんと中央に置かれたにもかかわらず、葉をテーブルの外、床スレスレにまで垂れ流していた。この常軌を逸した洋蘭は、この見知らぬやせ馬のような男がホームセンターで株を購入し、家のベランダで、朝晩の排泄物を全て一滴残らず、毎日欠かすことなく肥料として与え、過剰に立派に育て上げたものだということが直感的にわかった。つまり、この常軌を逸した洋蘭は、妹への行き過ぎた異常な愛情が身をやつし、ほとんど地球外生命体のような過成長を遂げてしまったのだ。何を食っているのだろう。
「この洋蘭、すごくいい香りがするのよ。いつも持ってきてくださるの。ところでお兄ちゃん、ずいぶん久しぶりね…。全然、手紙も寄越さないし、電話だって…」
 そう言いながら、襟子が使用済みコンドームのように瑞々しく垂れて膨らんだ花弁に鼻を寄せるので、俺はリビングのコーヒーテーブルの上にぽつんと置いてあったバッファロー社のハードディスク・ドライブを握りしめて、妹の様子を後ろ手組んで眺めて、案の定、斜め後ろからでも確認できるほど勃起した男に歩み寄った。
「悪かったと思っているし、お前にはずっと会いたかったんだ……。でも、俺が関わっていると、お前に迷惑がかかると思っていたから、お前には手紙も書かなかったし、電話もしなかったんだ。今、お前の顔を見てそれが間違いないと確信したよ。俺はお前の思春期に悪影響を与えずに済んだんだ。俺がどんなにお前のことを愛おしく思っていたか、お前にはわからないだろうね……。たった一人の妹だもの。偽善者がたまたまテレビで見ただけで絶賛するドキュメンタリなんか何百万本見逃してもいいから、お前のことを一つでも知りたかったんだ……。お前は自分では見れないけれども器量はいいし、頭もいい。何か一つのものだけ信じて身を持ち崩すなんて馬鹿な真似は止めて、どんな芸能人よりも幸せになってほしいと本気で思っているんだ」
 と言いながら、油断している男の後頭部にハードディスク・ドライブを突き刺すと、男はわずかにうめいて、傷口と自前の口、前から後ろから血の泡を吹いて前のめりに倒れそうになる。それを捕まえてまた何発もお見舞いしてから、ソファにうつぶせに寝かせた。そのオーソドックスな死に様を見下ろした途端、ブラジルの洋蘭マニアに悪いことをしたという思いがむくむくと湧き上がってきた。今頃は機内で、何も知らずにジャッキー・チェンの映画でも見ているに違いない……。そんなことを考えたら、眠くなってきた……。
 血のにおいがどうしても気になるので廊下で寝たはずが、起きるとソファーの上にいた。視線の先には天井があった。驚いたことに、新しい実家は一階から屋根まで吹き抜けという馬鹿らしい造りになっているようだ。その一番先に、無性にリアルで低俗な金玉の意匠がぶら下がっている。
「あれかい?」
 俺の様子は見えないはずなのに、母親が台所から声をかけてきた。
「あれは内と外でセットになっているのよ。父さんはいらないと言ったんだけど、設計士がどうしてもと言って、つけてもつけなくても値段は一緒だからとまで詰め寄ってきたもんだから、折角だし取り付けることにしたんだ」
 目をこらすと、しわを象った溝の一点に黒い光の反射が少しだけ感じられた。
「あれは……カメラがついているのか?」
「そうよ。ご飯の時に、あんたが入ってきてから今までの、みんなで見ようか」
 そうか。そうしよう。俺は体を起こした。家族でホームビデオを見るなんて久しぶりだ。小さい頃は、映像を見て妹によく解説してやったものだ。なつかしくて涙が出てくる。
「見れば、叔父さんにもまともに感謝する気になるだろう」
 部屋はすっかり片付いていて、俺が寝ている間に叔父さんが来たらしい。叔父さんは掃除屋をしていて、これでは今年もまたお中元を贈らないといけない。古風なところがなければ陽気でいい人なのだが……。
 その夜、俺はあまり面白味のない自分の殺害シーンと、背虫のような叔父さんの地味で退屈な死体掃除シーンを見ながら、唯一、小六の俺と小一の妹が二人とも参加した運動会の映像を見ているかのように、妹に向かって話し続けた。俺は組体操のピラミッドの一番下、恨むようにカメラを睨みつけている……。月夜は特にチンポが見事に輝くので見物が多いらしく、外は土方の粗野な雰囲気でざわついていた。