気持ち悪っ、おばあちゃん

「山菜とってんの? 山菜とってんだろババア。なあ、おい! おばあちゃん!」
 ぼくとおばあちゃんは意気揚々と山菜取りに来たところをチンピラにからまれたので、家を出た頃のやる気とか、お母さんに言った「いっぱい取ってくるね!」とか、「運動靴の方がいいよね?」とかの全てが虚無的なものに感じられた。
 おばあちゃんはチンピラがぼく達を発見して川のせせらぎを越えてくる前に手を合わせ、精神を宇宙に飛ばして全てを無に帰した。
 ぼくも慌てて手を合わせ、拝んだ。ぼくの家が代々信仰してきたチョコバッター様を心に思い浮かべた。
 チョコバッター様、お願いします。ぼくを極楽ツーベースヒットで宇宙へ飛ばしてください。榎本榎本榎本喜八。
 でも、ぼくの打率(チョコバッター様に願いが届けられる率)はまだまだ低かったので、ぼくの精神は宇宙まで届かず、熱圏(高度80-800km)で止まった。そこは灼熱地獄だった。
 熱い……熱いよ……。
 2000℃に燃え盛るぼくの意識はむしろはっきりしており、近づいてくるチンピラの姿も見えていた。おばあちゃんは精神どころか体も浮いてきて、風船みたいにブナの木に引っかかっていた。
 おばあちゃん……おばあちゃん……。
 ぼくはおばあちゃんを呼んだ。その時、ぼくの視界が真っ赤になった。気付くと、今度は体中が熱く、むき出しの腕を見ると泡立っていた。どうやら、ぼくは本当に熱圏にいるらしい。
「タカヒロ、こっち涼しいよ」とおばあちゃんが遠くで言った。
 赤い膜の向こうにおばあちゃんはいた。そこに広がる漆黒の色が、赤い色に透けていた。
「おばあちゃん、ぼく、そこまで行けないよ。とても熱くて、動けないんだ」
「頑張ればいけるって。タカヒロ。あきらめちゃダメだよ。男の子男の子」
「おばあちゃん、助けに来て、ここまで。お願いだよ。もうお小遣いを欲しがらないし、農業の手伝いも一生懸命するよ。だから、頼むよ」ぼくは息絶え絶えに言った。
「タカヒロ、待ってな」おばあちゃんはしばらくぼくを見てから言った。
 おばあちゃんがこちらに一歩踏み出した時、おばあちゃんは誰かに肩を掴まれた。体中を刺してくる物凄い熱さに遠ざかっていく意識の中、ぼくにはその手がかろうじて見えた。
 おばあちゃんは振り返ると口を開け、その人を見て驚いた様子を見せた。おばあちゃんは何かを気遣うようにぼくの方をチラチラと見た。おばあちゃんの肩をつかんでいた手は離れ、そのまま肩を越えて下がってきて、灰色のスウェット生地に包まれた腕がおばあちゃんの胸の前にだらりと垂れた。すると、ヒゲ面に薄い茶のサングラスをかけた男の顔が、おばあちゃんの顔の横に浮かびあがった。茶色いレンズの奥の白い目がぼくをとらえ、男はそのままにやりと笑った。
 それはチョコバッター様だった。
「チョコバッター様……」おばあちゃんは見上げるようにして、たしなめるように言った。
「早く来いよ」とチョコバッターはおばあちゃんを睨むようにして言った。
 おばあちゃんはぼくを返り見るようにしながら、チョコバッター様にくっついて後ろを向いてしまった。チョコバッターの手がおばあちゃんの腰にまわっていた。おばあちゃんはチョコバッター様に寄りかかるようにして、そのまま遠ざかっていった。
 ぼくはしばらく呆然としていたけれど、おばあちゃんなんか、あんなババアなんか知るもんか、と心に繰り返した。そして振り返り、先の見えない真っ赤な道なき道を、熱をかきわけて進んだ。指先が燃えるように熱かった。