『声と日本人』米山文明

 

声と日本人

声と日本人

  • 作者:米山文明
  • 発売日: 1998/02/01
  • メディア: オンデマンド (ペーパーバック)
 

 

 何か創作したいと思って、まず人はその創作物から学ぼうとする。映画から映画を、マンガからマンガを、小説から小説を考える。そして、絵画からマンガを、演劇から映画を、お笑いから小説を考えたりする。もちろん、世界に生み出された作品の数を考えればそれだけでもきりがないのだけれど、世界はそれよりもっと広いのだから、創作物から創作物について考えることすら、せせこましい気もしてくる、だんだん。
 いくとこまでいった人ほど、その枠を越えたあらゆるものから自分の分野に資するものを得るのに貪欲だという傾向はありそうだ。世の人はそこへ能動的に学ぶ姿勢を見出して感心したりするが、年がら年中一つのことについて考えているから、触れたもの全てをそれに繋げて考えてしまうだけというのが本当に近いと思う。
 逆に言えば、異分野から学び考えることができないのは、年がら年中そのことについて考えられないある種の未熟さを表すと言えるかも知れない。もちろん、そのあることで何者かになりたいと思っているなら、だけれど。

 異分野のそれとは自分に加える変数みたいなもので、奇特なものだろうと別に構わないが、あんまり好き勝手にやっても、外れるのはいくらでも外れられるのだからつまらない。個人的な意見として、例えば小説について考えることが野放図にならぬよう、一方に文学史や理論があり、自分が有象無象から学ぶべきものを大きく選りわけてくれている気がする。その知識が、縁遠いと思われる異分野に広く目を配る時の命綱となる。
 どんな分野でも、そんな感じで使えるものは何でも使おうと、いやな言い方をすれば「役に立つもの」を渉猟していくわけだ。そうやって桑田は古武術を学ぶ。その師である甲野善紀も、まあ快く思わない人もあるだろうが、自分の技を「役に立つもの」として積極的に他分野へ広めている。
 本書にも「人体を使って表現するあらゆる行動で、呼吸はその原点になる。各種スポーツ、芸術、その他における例は枚挙にいとまがないほどである」(p.40)と書かれ、あらゆる分野の人々がその専門家である著者を頼ってくる様子が豊富に紹介されている。
 自分がこんな本を読むのも、「役に立つもの」かも知れないという期待があることは否定できない。ふつうは今の引用中の「人体を使って表現するあらゆる行動」の中に文学を含めたりはしないかも知れないが、自分は含める。だからそのまま活かすことができると都合よく考えるし、そうでなくとも、転義法が全てを学びに変えてしまうということもある。

 人間にとって「生きる」ことは「呼吸(イキ)」ることである。息を吸う吸気によって大気中の酸素の多い空気を体内に取り入れ、体内で不要になった血液中の老廃物を息を吐く呼気として体外に排出する。そしてその排出するときの呼気流と呼気圧を利用して「声」をつくる。この発声をする際の呼気と吸気をいかにうまく、効率よく使いこなせるかという点が最も肝要でしかも難しい課題になる。呼吸は「声」にとって根源的な役割をはたしており、呼吸がなければ声も生まれ得ない。声は排出する不要のガスのリサイクルである。

 (p.26)

  転義法とは、こういうものを読んで、いとも簡単に次のように考えることができるということだ。

 人間にとって「生きる」ことは「書く」ことである。言葉を知ることで世界を認識するための新たな情報を取り込み、その意味では不要になった老廃物を文字として体外に排出する。そしてその排出するときの圧力を利用して「小説」をつくる。「小説」は排出する不要の言葉のリサイクルである。

 突飛なことで筋も通ってるんだかないんだか、何言ってるんだと思われるかも知れないが、この文章を読まなければ、およそ思いつかないようなことであるのは間違いがない。正しいとか正しくないとか、そんな問題ではない。
 およそ自分を喜ばせる新しさとは、何言ってるんだと思えるけれど関連がないとは言いきれないような何かでしかなく、それは、こうした無理筋の転義法の中で、それ以上解釈の難しい文章そのままの形として多く収穫される。もちろん、元々の文章そのものが興味深いものでなければそんな気も起こらないのだけれど、実際、自分は上の文章について考え続ける意義があると思っている。

 本当はそれぞれがこういう少しでも変わったことをどんどん考えて共有していかなければならないと思うが、大半の人が取り組んでいるような創作物から創作物について一生懸命学ぶ方法では、こんな幸運はほとんど起こらないということは、僭越ながらよくわかっているつもりだ。自分も以前はそんな風だったから。
 でも、そんな風だった長い時を経なければ、こんなことが自然に行えないことも知っている。じゃあその長い時の道筋はどうであったかということも、転義法を好き放題に用いれば、本書の中にヒントが書いてある。
 例外的な境遇は除いて、小説が別に誰にでも書けるのは、歌が誰にでも歌えるのと似ている。しかし、その先で「何者かになりたい」と思うとして、「何者か」と「そうでない者」の違いがどこにあるのか、「才能」と「努力」と呼んでしまっているものをどう捉えるのか。何より、その根本となる「どのように言葉を取り込むのか」について、次の文は多くのことを示唆してくれるだろう。

 呼吸の方式は前述のように胸式と腹式に大別され、安静時(声を出していないとき)の呼吸では胸部と腹部はほとんど同時に動く。これを等時性(synchronism)という。このときは胸郭と横隔膜とはほぼ同時に動いている。ところが発声時(話すとき、歌うとき)には同時に動かず、瞬間的なズレが起こる。これまでの内外の研究を要約すると、特に歌う場合、熟練した歌手では腹部の動きと横隔膜の動きが時間的にずれ、同時に動かない。腹部と横隔膜だけでなく、胸部と腹部も非等時性が顕著になるといわれる。
 歌うとき、話すときには非等時性がある方が有利だということになる。ある程度パターンのきまっている横隔膜の動きと、かなり複雑な動きの可能な補助呼吸筋すなわち腹筋群(腹筋、背筋、骨盤筋、臀筋、その他)とが同時に動くのは未熟な歌手の証拠だということになる。
 まとめてみると、発声時に望ましい呼吸とは
①腹筋周辺の動きと横隔膜そのものの動きとは非等時性がある
②胸部の動きと横隔膜そのものの動きとはほぼ等時性がある
③胸部の動きと腹部周辺筋群の動きとは非等時性がある。
ということになる。
 発声のための呼吸訓練をする上で肝要な点は、横隔膜そのものの訓練だけではなく、意識的にコントロールしやすいその周辺の補助呼気筋群その他を使って、間接的に横隔膜の動きを自分の意識下のコントロールといかに結びつけられるかということである。
(p.37)

 

声の呼吸法-美しい響きをつくる (平凡社ライブラリー)

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  • 作者:米山 文明
  • 発売日: 2011/03/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

古武術に学ぶ身体操法 (岩波現代文庫)

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  • 作者:甲野 善紀
  • 発売日: 2014/03/15
  • メディア: 文庫