飛行機のなかで、ごはんを食べるほかは、わたしはずっと、寝ていたようです。温度が、ちょうどよかったのです。キングスフォオド・スミス空港にあと1時間という頃、入国カアドを書くために、おとなりの安田さんに起こされました。
たいへんなスケジュールだと思いましたけれど、ホテルに荷物を置いてすぐ、連れて行かれたのは、とても抜けのいい一面の草原でした。砂漠が多いと聞いていたのですけれど、なんだか拍子抜けです。わたしは、砂漠のほうを、なんとなく好きになります。
そこで、同じ高校二年生なのですけれど、わたしたちの学校の一つの班と、オオストラリアの学校の一つのグルウプが合わさって、一つのグルウプをつくって、交流を深めるのですが、わたしのそのグルウプに、アンドリュウという男子生徒がいました。
アンドリュウは抜群にハンサムで、わたしの班の沼田さんや近藤さんも、若い時のレオナルド・ディカプリオやブラッド・ピッドを足して二で割ったとかいう、独自の計算式に当てはめて、彼を盛んに褒めそやしました。彼の方でも、何が気に入ったのか、やたらめったらことあるごとに、わたしの方へ話しかけるので、彼女たちの興味は、すぐに粗野でおおっぴらで、ぞんざいなものに変わってゆきました。
アンドリュウが「何色が好きか」と真面目に言うので、「アイ ライク ブルー」だとわたしは伝えました。いつも青色のヘアゴムでウォオキングをしているということも、浪岡さんの助けを借りて教えてあげました。
広場で、お互いの国のゲームなどで遊んだあと、グルウプごとにカレエライスを作りました。おまえたちは内向的だから、と先生からも言われてしまう日本の生徒たちが、自分から主体的に動いて、オオストラリアの生徒たちに指示し、懇意を深めるという狙いがあったのでしょう、沼田さんに聞くと先生方は、実際そうも言っていたそうですが、このゲエムは、実際、当たらずとも遠からずといった効果を生んで、カレエがカレエらしくなる頃には、誰も彼も、文化や言語の壁を超えて、なんとなくの会話を、厭わなくなっていました。
アンドリュウは、わたしのそばから離れないで、野菜を切ったり、日本のカレエルウを折り入れたり、火加減にちょっかいを出したり、わたしとたくさんの話をしました。このあたりになると、誰も、わたしたちの邪魔をしなくなりました。出来上がると、彼は、わたしの分のカレエをよそってくれて、芝生に座るわたしの隣に、我が青春の時の時といったような、頓狂な奇声を上げながら、勢いよく座りました。
ほとんど同時に、少しずれようと腰を上げたわたしは、勝手にバランスを、おっと、というように、崩したのです。カレエの盛られた深い紙皿は、手からすべり、カレエが、芝の上に、ぶちまかりました。
方々から短い声と、ウゥと下がって響く外国らしい、声を聞きました。
まだずいぶん高いところにある、異国の太陽によって、青々と輝いている芝の上に、白いごはんが裏返しに転がり、その横で茶色いカレエルウが大きな塊をつくって少し、浮いておりました。
わたしは、それに目を奪われました。じっとそれを見つめて、思わず、ごくりと唾を飲みこみました。
ところが、次の瞬間には、ハッと身をこわばらせなければいけませんでした。アンドリュウがたくましい手を、わたしの頬に添えたのです。ひどく、ひどく熱い手でした。彼は、何も反応することができないわたしの顔を、無理やり自分の方に向けると、憂いを帯びた青い瞳をはっきり向けました。
今しも何やらささやきかけてきそうだと思いましたので、わたしは、立ち上がって「だいじょうぶだから」と言って、みなに移動をうながしました。
もったいないけどしょうがない、服にかからなかったかなと、みなが口々に心配してくれました。ロビイはこぼれたカレエとごはんを芝生にならしてくれましたし、ベスはわたしのカレエを盛りに、どこかユウモラスな、大急ぎの、後ろ姿を見せてくれました。それを待つ間ずっと、アンドリュウはわたしの肩に手を置いて、まぶしいような険しい表情を浮かべていました。
わたしは不思議に、カレエルウを見ていました。心配顔で寄ってこられた、向こうの先生に訊ねましたら、大柄なその先生は、そのまま放っておけばいいという意味のことを、すごく早口の英語で言いました。わたしはなんだか、すごく頼もしく、嬉しい気持ちがしたものです。
それから、日も暮れかけた後、丸い砂地のくぼみに組み上げたキャンプファイヤアなんかもおこしました。陽気にしていると、アンドリュウがさかんに話しかけてくるもので、わたしはわざわざと意気消沈して、ずっとうつむき加減に、ぜんぜん火なんか見ませんでした。赤い火によって、枯れ葉のように鈍く光る、異国の芝を見ながら、さっきわたしがもりもりカレエを食べているところを見たというのに、やはり白人というのは、すごく、なんというか、トンマなところがあるのだと一つの真理を持った気がしました。