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東京ペンギン警察

 まだくそ寒い3月初旬、東京のど真ん中。警視庁のトップである警視総監が、自宅マンションの一室で全裸のまま凍死していた。まだマスコミはこの大事件を知らなかった。
 直後から、200人の警察官が、この事件が事故なのか自殺なのか他殺なのかあれこれと会議した。
 150人は冷凍庫を開けっ放しにしていたせいだと決めつけた。その中には、ついさっき新たに任命された警視総監も入っていた。元副警視総監である。だから、149人の公僕たちは自信満々で、首に『冷凍庫開けっ放し』派を示すカードをぶらさげ、隠す様子もない。
 それとは対照的に、部屋の隅っこで暗闇に栄養を与えているのが、『ペンギンの仕業だ』派の五名だ。ほとんどはカードも裏返してしまって、もう一押しで、大人で警察なのに泣きそうだ。
「おい! 次は『ペンギンの仕業だ』派の発表の順番だぞ!」
「早いとこ犯人のペンギンをつれてきてみろよ!」
「そもそも、どうやってペンギンを逮捕するつもりなんだ!」
 冷凍庫派から声が飛び、そうだそうだという意味の野次・拍手が追いかけてきた。いよいよ『ペンギンの仕業だ』派をつぶしにかかっている。
 すると、反対側からも品の悪い声が聞こえてきた。
「とっとと言えー、ペンギンクラブどもが!」
「山賊版だろー!」
 『冷凍庫開けっ放し』派に次ぐ無責任な一大勢力『正直、見当もつかねえ』派である。テーブルの縁を警棒でがんがん叩いたり、ふざけて銃を向ける奴がいたりして、全体的に自由な雰囲気だ。
「さあ山賊ども。ホシがペンギンだと思うなら、さっさと動物園に張り込みしてこい! どうした! 行けないのか!」
 五分前、『冷凍庫開けっ放し』派に吸収された『犯人はわかっているが今は言いたくない』派からも、張り込みのプロ、山さんが声を荒げる。もう事件発生から四時間。みんな、腹が減っているのだ。
 それでも、ペンギン派はちぢこまってなかなか意見を言わなかった。しびれを切らした警視総監が挙手無しで発言した。
「『ペンギンの仕業だ』派は、さっさと意見を発表するか、『冷凍庫開けっ放し』派につくように。なんだかんだ理由つけて免職にしちまうぞ。おい、尾傘くん」
 警視総監の側近、尾傘が勢いよく立ち上がり、手を叩いて甲高い音を響かせた。
「はい急いで移動!」
 ペンギン派の人間が少しずつ、椅子ごと、皮肉にもペンギンのように移動し始めた。拍手と指笛がそこかしこでわき起こる。マジックペンで次々と胸のカードが書き換えられる中、ざわめきが起こった。視線が一つに集まる。
 ペンギン派のスペースには、まだ一人残っていた。それは意外にも、これまで誰も声を聞いたことがない五十代の警部、保坂さんだった。その表情は落ち着いていたが、決然とした迫力があった。160cmちょいの静かな炎が会議室でゆらめいているようにさえ見えた。
 警視総監が前に乗り出してド迫力でにらみつけても、保坂さんは少しも動じなかった。小役人タイプのオーラが、どういう理屈なのか、警視総監の権力ビームを跳ね返している。『冷凍庫開けっ放し』派は顔を見合わせ、銃を保坂さんに向けた。『正直、見当もつかねえ』派は、うまいものが食べたい、酒が飲みたい、いい女が抱きたい、そしてこれから何が始まるんだ。そんな気持ちだった。
「なんか保坂さん、胸元がボッコリしているな」
 保坂さんはそう言った誰かの方をちらりと見て、小さな声で話し始めた。
「私が現場のマンション前のコンビニのゴミ箱を調べたところ、こんなものが何本も見つかりました」
 そして、おもむろに胸元のボッコリから筒状の何かを取り出した。
「あ、あれは!」
「ギャツビー アイスデオドラントスプレーだ!」
 大騒ぎする『正直、見当もつかねえ』派の一方で、百数十人分、劇鉄をおろす音が聞こえた。見ると、『冷凍庫開けっ放し』派が、ここまではなんだかんだ楽しくやってきたはずなのに、おふざけゼロの顔で拳銃を保坂さんに向けていた。それでもなお保坂さんは続けた。
「こんな季節に、こんなものが何本もあるのは、どういうことでしょうか。思い出してください。警視総監殿が死亡していた一室は、そこで死んでいるのに、男子高校生のような強くさわやかな香りに包まれていました。警視総監殿は、ギャツビーのコールドスプレーをなくなるまで、一斉に噴射され続けて凍死したのです。私がそれに気づいたのは、警視総監殿のチン毛が、真っ白に凍り付いていたからです。おもしろがって、よってたかってそこに噴射したせいで、チン毛だけ、時間が経っても真っ白なままだったのです」
 保坂さんが実際にスプレーすると、力のない音はすぐかき消えた。
「どうですか」
 みんな黙り込むなか、尾傘が警視総監に足を踏まれて立ち上がった。
「くだらないことを言うのはやめないか」尾傘は保坂さんを指さして言った。「まず間違いなく、白かったのは白髪チン毛だ。警視総監でも年齢には逆らえない。100パーセント、白髪チン毛と断言しよう」
「時間が経つと、黒く戻りました。黒チン毛でした」
「ならば、鑑識がポンポンってやったから白かったんだ」
「鑑識はチン毛をポンポンってしません。指紋が残らないからです」
 尾傘が悔しそうに黙ると、保坂さんは続けた。
「私は、会議の間、みなさんのことを観察していました。そして、はじめから『冷凍庫開けっ放し』派だったほとんどのみなさんの制服の胸元が、ボッコリしていることを確認しました。そのボッコリをどうぞ私に――」
「撃て!」
 警視総監のかけ声で、会議室に銃声が十秒間こだました。保坂さんはきっかり十秒フラメンコダンサーみたいな動きを披露したあと、血まみれ穴だらけで崩れ落ちた。
「尾傘くん、後は頼んだよ。俺は帰る」
 警視総監は顔色一つ変えずに席を立った。
「社長」
 尾傘が声をかけ、カバンから雑誌を手渡した。
「うむ」
 警視総監は、ペンギンクラブを携えて出て行った。なんで社長って呼ぶんだろう。その疑問が、将来の不安への答えだった。