俺の文学ザ・人間賛歌

 背後でニワトリが鳴いた瞬間、朝日がのぼった。
 俺は着の身着のままパジャマのまま家を出た。鍵をかけた瞬間、もう枕を小脇に抱えて走り出していた。なぜなら俺は朝に強いっていうよりやっぱボクサーだから。俺が考えるボクサーの三大義務とはたった一つ、いつでも減量に励むこと。
 道路の白いラインの家側を走ることで、かなり安心して減量に励むことができていると感じ入ることができている俺を、犬が抜かしてった。しかし俺は、慌てない、目くじら立てない、マジにならない(アメマの約束。これを守ってさえいれば、前立腺が冒されようとも地球一周できるという)で、その肛門を凝視する。肛門を凝視することで対抗する。
 立ちはだかる困難を凝視しろ、立ち向かえ人間ども。よくおじさんが言っていたっけ。公園の駐車場に乗り付けた知らない、あの左翼のおじさん。左翼のおじさんが言っていて、感動したっけ。
 犬の肛門はしっとりと、上品な洋菓子のように少し濡れていた。俺は自分の喩えに食欲を感じ(ボクサーの性)、犬に遅れないようにスピードをあげた(ボクサーの意地)。スピードを上げれば上げるほど、体重が減りゆき、遠くまで道ゆき、ボクサーとして完全体になりゆくという。
 犬を安定して追いかけられる状態にまで自分をゾーン(いわゆる一つの無敵状態。タイガーウッズがセックス中毒と両立させることで世間にも広く知られることとなった)に入れ込んできたところで、
「三大義務って言ってるのにたった一つだとあと二つ足りないけど、どゆこと!?」
 と自分にツッコミを入れた。俺のツッコミはよく長いといわれるが、今日はうまくまとまった方だ。
 すると、犬がツッコミにびっくりして振り返った。犬もびっくりしたら振り返るんだな。そうだよな、お前も生きているんだもんな。思いながら、さらにぎゅんとスピードを上げた犬に必死で食らいついた。
 犬が商店街に入った。商店街の朝は不動産屋以外早い。不動産屋というのは小金持ちが率先して選び取る信用ならない商売だから、早起きして頑張ろうという気持ちが一つもない。だから、俺のような夢を追いかける若者にニワトリとお化けがいっぱい出る部屋を紹介し、はんこ一発契約で住まわせることで、紹介料の鬼の異名をとって、正義のアパマン気取りときたもんだ。こういう人っていつもそうなのだろうか。まったく暢気な商売をやっている。ボクサーとは正反対にいる連中だ。ボクサーがゲーセンで友達ともう五百円両替しようか決めかねている時、不動産屋はその金にものを言わせ、サイゼリヤで汚い笑顔を浮かべてエスカルゴをふざけ注文しているに違いない。
 パン屋の夫婦や八百屋のおばさんが「急がないと、電車に乗り遅れるぞ!」と、俺が遅刻しそうだから一生懸命走っていると勘違いして、応援してくれた。
「格好! お前の格好!」
 俺を指をさし、併走して叫ぶおばさん。パジャマ姿で枕を持って走っているので、どうやら寝ぼけていると思われているらしい。
「格好!」
「いや、いいの。これ、トレーニング」
「スーツ! 忘れてる! スーツ!」
「トレーニング。これ、トレーニング」
 必死に訴え続ける俺に、おばさんはあきれ顔で駅を指さした。
「もういいや、急げ!」
「いや、ちがくて!」
「急げ! 駅はあっちだ! いいから!」
 そして、道路の両脇にはずらりと人が出て来ていた。商店街のみなさんは、みなまで言うなという笑顔で、
「いいから、いいから!」
 と繰り返していた。キラキラ輝きを放つメッセが色々たくさん出ていた。みんながそれを伝えたがっていた。その後ろにもたくさんの光と熱が散らばっていた。
 俺は、知らぬ間に、そのピースフル、ほんでもってハートフルなヴァイブスに心からあてられていた。鼻炎のCMで言えば、心のGスポッツ(意外とたくさんある)に、きのこの山がはまれるだけはまった。
 今まで、おいらはボクサー、いかれたボクサーと館ひろしを決めこみ、ストイックを秘密の呪文にして孤独にロンリネス誰も信用できねえと走り抜いてきたピープルの一人として言っておく、こんな時代だから、根本的に少しだけ間違っていた。自分が何のために走っていたのか今やっとわかった気ぃする。今日、停電も大丈夫だったしなんかわかった気ぃする。俺んちにはいいとこもある。
 前を見ると、もう犬の肛門は洋菓子に見えなかった。ちゃんと犬の肛門に見えた。その足でどこかへ向かっていた。そして周りの人の声がよく聞こえた。きっと俺は電車に間に合うと思った。