キャッチャー蓋淵くん

 5回表、ポンポンと2アウトを取って八番バッターを打席に迎えるというところでキャッチャーの蓋淵くんがマウンドにやって来たので、僕は怒られてしまうのだと思った。
「この調子でいこう」
 蓋淵くんはマスクをかぶったままそう言うと、戻って行った。怒られなかったことにはホッとしたけど、やっぱり蓋淵くんは気付いているんだと思った。普通なら、こんな何でもないところでマウンドに来たりしない。蓋淵くんは全てわかっている。
 僕が、全ての投球で蓋淵くんの金玉を狙って投げていることをわかっているんだ。
 もちろん、僕は蓋淵くんと違ってあまり野球が上手くないから、最初のうちは、全ての球を蓋淵くんの金玉の少し前に叩きつけることなんてできなかった。そうやってショートバウンドで金玉にぶつけることが出来れば一番いいけど、僕にそんなコントロールはないのだ。だから、しつこく金玉を狙い続けても、そこそこ野球の試合になる。全体的に低目に投げて来いという蓋淵くんの指示もあって、僕はこれまで、いけしゃあしゃあと蓋淵くんの金玉にボールをぶつけようと投げ込んできたのだ。でも、それをやっているうちに、だんだん僕にもコントロールがついてくる。ボールが金玉に集まってきたのだ。それで、蓋淵くんは気付いたのだろう。蓋淵くんはキャッチャーだから頭もいい。僕は蓋淵くんが高めに要求した時だって構わず金玉を狙いにいったから、わかってしまったのだ。
 でも、蓋淵くんは本当に野球が上手いから、僕は蓋淵くんの金玉にボールを当てたことが一度もない。僕が最高の球を、蓋淵くんの金玉の手前でバウンドする最高の一球を投げても、蓋淵くんはミットを差し出してすくい上げてしまう。僕のお父さんだって、これほど上手くない。お父さんと練習している時は、僕の投げたボールがちゃんとお父さんの金玉をショートバウンドで直撃する。お父さんは甲子園にも出ているぐらいなのだから、これは蓋淵くんが抜群に上手いのだ。
 蓋淵くんがしゃがんでミットを低目に構えたので、僕もセットして、マウンドからホームベースを見下ろした。ベースの先端、あそこにボールを叩きつけるんだ。あそこに叩きつければ、バウンドして蓋淵くんの金玉に直撃する。今日こそ、当てるんだ。蓋淵くんの金玉に、ボールを、思いきり。
 僕の頭の中で、白い軟球が蓋淵くんの金玉を深くえぐり上げた。僕は思わず、プレートから足を外した。落ち着くんだ。落ち着かなければ、金玉には絶対に当たらない。金玉はとても小さいのだ。蓋淵くんの金玉に比べたら、ストライクゾーンなんかたんたんたぬきの金玉だ。
 汗をふいて帽子をかぶり直すと、僕は河川敷の堤防の上から試合を見ているお父さんに目をやった。こっちを見ていることだけがわかった。その隣では、お母さんが僕に向かって手を振った。お母さんは笑っている。でも、お父さんの表情はわからない。お父さんはお母さんの手をつかんで下ろさせると、何か注意するようにお母さんの方を向いた。
 二人とも、僕のことなんか何にも知らないのだ。僕が蓋淵くんの金玉を狙って投げ続けていることなんか、夢にも思わないに違いない。蓋淵くんだけが、それをわかっている。でも、すっかりわかっているわけじゃない。蓋淵くんだって、僕が、その金玉にボールを直撃させるために、どんなに練習しているのか知らないのだ。蓋淵くんがど真ん中に構え直すのを見て、僕は人差し指と中指でボールを挟み込んだ。