私がイラッとした時の人間学

 所属するゼミの先生が、大学時代の恩師にあたる偉い教授と対談するということで、私は勇んで見に行きました。四百人は入るという大教室はすでにいっぱいで、私は席に座ることができず、一番後ろで立ち見することになりました。
「須藤君、今日はおもしろい試みをしたいと思うんだ」
「なんでしょう」
「少しでもイラッとしたら、相手をぶん殴る」
「いいですね」
 そこで、ドッと笑いが起こりました。お二人は口裏を合わせて、ふざけているのです。私も楽しくなって、くつくつと笑いました。こうした場で飛び出すユーモアというのが、私は大好きです。
「それでテーマなんだけど、何にしようか。僕は、『沈黙は、完全性の属性のひとつである』というカフカの言葉について話してみたいと思うんだがね」
「大学生には刺激になるでしょうね」
「相手を言い負かしたい連中ばかりだからね」
 その時、先生が突然立ち上がると、教授をぶん殴りました。教授はパイプ椅子に座っていましたが、そのまま椅子ごと後ろに倒れました。マイクが飛んで床を跳ね、ドッドと音がしました。
 私は唖然としました。教室に緊張が走るのがはっきりとわかりました。
「そんなことないでしょう」
 先生が教授を見下ろしながらマイクを通さず直接空気を震わせた音は、一番後ろにいる私にも微かに聞き取ることができました。
 教授は何も言わず、ガタガタと椅子を直して、また座りました。そして、何事もなかったように喋り始めました。
「君の方から何もなければ、それで一つ話してみようと思うよ」
「それなら僕はあれですね、カフカならば『意識に制約をもうけることは、社会的要求である。すべての徳行は個人的であり、すべての悪徳は社会的である。社会的徳行と見なされているもの、たとえば愛、無私、正義、自己犠牲などは、〈おどろくほど〉弱められた社会的悪徳にすぎない』というやつの方が」
 その時、教授が飛び掛るように椅子を立って、先生をぶん殴りました。先生は「新婚さんいらっしゃい」の桂三枝のような動きで、椅子ごと横に倒れてしまいました。また、マイクが床に当たるゴツゴツとした音が教室に流れました。そして、教授がマイクを通さない声で言いました。
「それなら僕はあれですね、ってなんだよ」
 私は、少し理不尽だと思いました。あの教授は、それしきのことでイラッとするなんて、大人気ないのではないでしょうか。先ほど先生が教授をぶん殴ったのは、私達大学生が侮辱されたからです。それなのに、教授の方は、個人的にイラッとしたので先生をぶん殴ったのです。
 教授は、先生が椅子を戻す前に喋り始めました。
「今の二つは、ほとんど同じ話題なんじゃないか。意識の制約が社会的に強く要求されれば、究極には沈黙の形を取らざるを得ない。だからこそ、沈黙は完全性の一つの属性となる。愛や正義に基づく徳行を為せるとしても、それが個人的なものから逸脱すれば悪徳だ。徳行が沈黙しないのならね。逆に言って構わないなら、社会においては主張そのものが悪徳となる。報道なんて徳行のフィルター、悪徳の鋳型そのものだ。しかしそれならば、我々がこうして喋るのも悪徳ということになるね」
 その間に、先生はようやく椅子を直して座りました。
「悪徳でしょうね」
 教授は、また先生をぶん殴りました。先生は、今度は椅子ごと後ろに倒れました。でも、これは教授が倒れる時に一度見た動きです。先生は油断していたのか、マイクが派手に飛んで、離れたところに落ちました。ゴッ、ドッとこれまでで一番大きな音がしました。
「目を見て喋るな」
 教授は、今度はマイクを口に当てたまま言いました。私は衝撃を受けました。私だけではありません、教室中が、ざわめきました。みんな、小さい頃から、人の目を見て喋ったり聞いたりするように教わってきたのです。
 先生が黙って椅子を直すのを、私はじっと見つめていました。先生は襟を正してから椅子に座りましたが、教授をイラッとさせるのが怖いのか、なかなか喋りだそうとしませんでした。しかし、そのまま口を噤んでいたら、きっと教授をイラッとさせてしまうのです。沈黙は、完全性の属性の一つに過ぎないのです。
 しばらくの間、教室は静寂に包まれました。私は息を呑んで、その様子を見守っていました。
 やがて、教授が大きく息をついて、窓の外に目をやりました。が、次の瞬間、ゆっくりと先生の方を向きながら立ち上がり、歩み寄ると、思いきりぶん殴りました。
「あっ」
 私は驚いて、思わず声を出してしまいましたが、そういう人は何人もいました。
 教授のその拳は、今までで一番力のこもったものでした。先生は、斜め後ろに、吹き飛ばされるように倒れました。マイクも同じ方へ飛ばされて、学生の座っている最前列の席へぶつかって、その場所とスピーカーから大きな音が聞こえました。
 誰もが、教授はどうしてイラッとしたのかと外に目をやりました。すると、雨がぽつぽつと降り出していました。
「傘を持ってきてないんだ!」
 誰かが叫びました。私はなるほどと思いましたが、教授の荷物が置いてある場所を見ると、椅子のところに、傘の柄が見えました。
「傘は持ってきてるわ!」
 私は一歩前に出て、そこを指さし、大きな声で叫びました。教室中の人が私を振り返りました。自分でもこんな大胆なことをするのに驚きましたが、私は知らぬ間に、ノリノリになっていたのです。
「傘はあるけど、ただ単にイラッとしたんだわ!」
 私は、人間こうでなくっちゃと、なんだか途轍もない感銘を受けていることがはっきりとわかりました。私は今、人間のことが、どんな言葉で語られるよりも、ずっと鮮明にわかって、悲しくなるよりは、なんだか清々しいような気がしたのです。出かけた先で雨が降り出してイラッとした時、私達は、傘があろうとなかろうと、目の前の人間をぶん殴りたいに違いない、なぜだかそう思いました。
 その時、私は、否応無く秋葉原の事件を思い起こしたのです。私達はイラッとします。彼の人生をなぞっても、彼のイラッを知ることは出来ません。誰のイラッも知ることが出来ません。でも、誰のイラッも同じような気もするのです。私は時々イラッとしますが、ずっとずっとイラッとしていたら、人をぶち殺してしまうというのは、今この瞬間だけかも知れませんし大きな声では言えませんが、なんだか少しわかる気がするのです。イラッとしてぶん殴れるような今のこの気持ちなら、イラッとして殺してしまうのも、もう一息だというような気もしてしまうのです。でも、私はまだこの先、いいことがあると自分で思っていますし、期待しているし、そして実際、いいことは多分あるのです。私を「普通の生活」にとどめて置いているのは、そのことだけかも知れません。そして彼は、他の人にとっての「かけがえのない人生」というのはそういうものであるということを、むしろ私達よりも考えていたように思えるのです。こうした事件が起こって思い出すようにそれを考えまた忘れてを繰り返す私達よりも、ずっと長い間、彼は考えていたと思うのです。もしくは、考えざるを得なかったと思うのです。私の憶測ですから確かなことは言えませんが、件の携帯掲示板にあったような単純な文章を書く人が、そういうことをずっと、じっと考えるということは、特殊なことではないでしょうか。その考えには、私や誰彼がこうした話題を話す時に混じるような知的好奇心のようなものが、きっと恐ろしいほど極端に、無い、ような気がします。それでも、彼は考え続けたのです。私は、それが一番不思議な気もするのです。だから、彼の考えは私達ほどなんというか進んでいませんし、とても感情的だったと思うのですが、今、私達が既に語り始めていることとは全く別なことのように思うのです。より切実であるということでもなく、彼にとっては自分のことで私達にとっては他人事であるというのでもなく、単に、考えの種類のようなものが違っているような気がするのです。私達の多くは、彼がイラッとしたことについて考えているのですが、彼はイラッとして殺すことそのものについて考えていたように思えるのです。私達は、そこの接続のことだけをうやむやにし、「なぜ」という言葉で片付けています。もしそれを考えるとして、彼がそのことを考えるのにかけた時間に遠く及ばないのです。とはいえ、本当のことはわかりませんし、もしそうだとしてもそんなことは犯罪を正当化する理由にはなりません。もちろん、まったく別の問題です。あの男は、気が狂っていておかしくて本当に最悪で死刑になればいいのです。私はそうも思えるのです。でも、私は、イラッとしてぶん殴る教授を見ていて、それ以外のことも考えなければいけないような気がしたのです。心の闇や社会の状況ではなく、彼のことでなく、私のことを、人間のこと自体を、考えなければいけないと思ったのです。そして、イラッとしてぶん殴りたくなる理由を、私は絶対に知らないのです。
 私が我に返ると、ぶん殴られて床に女座りになった先生が、遠く私を見上げていました。その目! その顔! 私は、もし壇上にいたなら、イラッとしてぶん殴ってしまっているのだろうと思いました。