乗車券はクソガキ(リメイク)

 ダイジロウは引っ込み思案、成績も悪い。でも絵が上手いし、サボテンに話しかける優しい心を持っている。本当にもうすぐにびびってしまうので、今日の帰りの会で隣の奴岡くんから小さな手紙をまわされた時も、先生に見つかるのが怖くて開くことが出来なかった。帰りの会が終わった途端、奴岡くんはランドセルを振り乱して走り出て行ってしまった。だからダイジロウは、その手紙を読んで困り果てた。
『今日の深夜、ナイナイのオールナイトニッポンが始まる時間、学校の裏山に、来い』
 ナイナイのオールナイトニッポンは、前に奴岡くんから面白いよと言って教えてもらったことがあるのだった。芸人の裏話とかあるよ、と奴岡君は言った。でも、夜になるとすぐ眠くなってしまうダイジロウはいつも聞くことが出来なかった。ナイナイのオールナイトニッポンは深夜一時から始まるのだ。
 しかし、今日ばかりはダイジロウは起きていた。裏山に行くことにしたのだ。そして、「ミューコミ」という毒にも薬にもならない番組がやっている時間にこっそり家を抜け出した。
 雑木林には三両編成の汽車が一台止まっていた。客車の明かりがあたりを照らしている。それを頼りに、小学校五つ分はあろうかという沢山の男の子たちがうろつきまわっていた。
「やっぱり来たな」
 ダイジロウが振り返ると、そこには奴岡くんが腕を組んで立っていた。
「奴岡くん、これは一体どういうこと?」
「おっと、奴岡くんは止めてくれ。オレの名前は……チョロ松。ここではチョロ松って呼んでくれよ」
「チョロ松?」
「そうさ、チョロ松だ」
「でも、あの、これってどうなってるの? どうしてこんなところに汽車が」
「この汽車は、その名も『くそがき』だ。この列車に乗れば、ガキ帝国に行けるんだ」
「ガキ帝国?」
「そうさ。そこはクソガキの楽園。一日中、停車してる車のタイヤに給食で余ったジャムをしかけようが、新品のチョークをボキボキに折ろうが、少々高いところから飛び降りようが、完全な自由。注意する大人もいない。エアガン撃ち放題、炭酸も飲み放題だ」
「これに乗れば、そんなところに行けるの?」
「あたぼうよ」
 それは本当だった。この場合のガキ帝国は、集まっている子供たちは知る由も無かったが、井筒監督が島田紳助を主演にして撮影したヤンキー映画とはまったく関係が無かった。ダイジロウは、大好きな『ウォーリーを探せ』を一日中やっていられるなら、ガキ帝国に行くのも悪くないと思った。
「奴岡くん、ぼくもこの汽車に乗れるかな」
「チョロ松」
「ぼくにも、乗る権利が――」
「マイ・ネーム・イズ・チョロ松」
 チョロ松こと奴岡くんの目は、学級会が白熱してきた時のように、鈍く光っていた。ダイジロウは怖くなったので、恥ずかしかったが、言うことにした。
「チョロ松くん、どうかな」
 奴岡くんはダイジロウを虎のような目でにらみつけた。
「おい、手巻き寿司。お前、本当にガキ帝国に行く気があるのかよ」
 ダイジロウは自分が手巻き寿司というあだ名になったことを一瞬で察知した。
「この船には、選ばれしクソガキしか乗れないんだぜ」
 なぜか奴岡くんは汽車のことを船と呼んだが、これはチョロ松がもうかなりこのクソガキ選抜ゲームに入り込んでいる証拠なのだ。
「あだ名で呼び合わないなんて、自殺行為だ。ましてや君付けなんて、学級委員に立候補するようなもんだぜ。学級委員がクソガキと言えるかよ!」
 その時、大きな汽笛が鳴った。汽車ポッポと呼ばれる時のポッポが、みんな大好き煙突部分から勢いよく噴き出した。
「ルールは一つだけ、乗車券はクソガキ。タイムリミットが近づいてる。急がなくちゃならねえんだ」
 チョロ松と手巻き寿司は駆け出した。手巻き寿司も頑張ろうと思った。
 二人はまず乗車口までやって来た。一段高くなったところに、サングラスをかけた大人が一人、立ちふさがるように見下ろし、その周りを子供達が何重にもとりまいている。そこをかき分けて、二人は大人の前に立った。
「クソガキです、入れてください」手巻き寿司がおずおずと言った。
「本当にクソガキか」
「それは……」手巻き寿司はいつもの悪い癖でモジモジした。
 すると、チョロ松が手巻き寿司の足を踏んだ。バカヤロウ、クソガキはモジモジするもんか。クソガキはどんなに気まずくてもモジモジなんかしないんだ。悪い通知表だって放り出して遊びに行くんだ。牛乳は最初に飲み干して困れ。絶対にモジモジしたら……いや、一つだけ……好きな女の子と二人きりになったらその時は……だからその時までモジモジしちゃあいけないんだ!
 手巻き寿司がハッとして顔を上げたその時、二人の横を、子供が一人駆け抜けた。その子供は、大人の脇のかなり狭いスペースに飛び込むようにして、乗車した。
「無理やり突破するクソガキ一人乗車です」大人が、胸にかけたトランシーバーのようなものを取って、そこに向かって言った。
 周りで見ていた子供たちが歓声をあげた。
 乗車に成功したそのクソガキは、その大人の股の間から顔を出すというなめきった態度で、二人を見下ろして言った。
「クソガキの出入り口はいつだって狭いのさ、覚えておきな」
「お前の名前は」チョロ松が言った。
「床屋嫌い。クソガキさ」
「クソガキネーム床屋嫌い、覚えておくぜ」
 床屋嫌いは乗車席の方へと消えていった。そしてすぐに冷凍ミカンを食べ始めたのが窓から見えた。未だ乗車できない子供たちは、羨望の眼差しでそれを見ていた。床屋嫌いはそれに気付いて、窓にハァハァ息を吐いて曇らせると、そこにバーカと書いたが、外から見ると完全に逆さまだった。
「あいつ、並のクソガキじゃねえ」チョロ松は苦々しく言った。「相当のクソガキだぜ。見たところ小学四年生だが、六年生の先輩からも一目おかれるような相当の……」
「ねえチョロ松、ぼくたちも、あそこから無理やり飛び込めばどうかな」
「ダメだ。もう、無理やり突破するクソガキは、そのクソガキは一人乗車した。やるだけ無駄だ。他の方法を考えるんだ」
 確かに、それから飛び込もうとした何十人もの子供は、全て大人に弾き返された。それから、誰も無理やり飛び込まなくなった。
「ああ、本当だ。もうダメなんだ。でも、何か別の作戦があるかな」手巻き寿司は不安になって言った。
 その時、また歓声があがった。驚いて振り返ると、また一人乗車したらしく、大人の股の間から顔をのぞかせ、さらに大人の腿の外から手をまわしてちょうど顔の横でダブルピースまでしていた。チョロ松はそれを見ていた子供のところに駆け寄った。
「今、どうやったんだ!」チョロ松はなぜかそいつの胸倉をつかんだ。
「あのクソガキ、やりやがったぜ。あいつは、それでも飛び込んだんだ。もうわかりきったことなのに自分で試してみなきゃ気が済まねえあきらめの悪いクソガキ、そのクソガキ枠はまだ残されていたんだ」
「なっ」チョロ松は手を離し、膝から崩れ落ちた。そしてそのまま、大人ではなかなか出来ない、お姉さん座り状態からの背中ペタンまでもっていった。
 胸倉をつかまれた子供は、伸びてしまったTシャツの胸のところをバフバフしながらチョロ松に軽蔑の眼差しを向け、「ヘッ、ただのガキか」と吐き捨てて去っていった。チョロ松はしばらくそのまま座っていた。
「チョ、チョロ松。頑張ろうよ。きっとまだ手はあるよ」
 手巻き寿司が慰めると、チョロ松は腕で目をおおったまま言った。
「もうなりふりかまっていられねえ。手巻き寿司、ここからは別行動だ。ツルんでたらもう無理だ。ここからは別行動することにする。いいな」
 すると、チョロ松は起き上がって走って行ってしまった。少し泣いているようにも見えた。手巻き寿司は悲しかったが、今では、なんとしても汽車に乗り込むため、一人でも頑張ってみようという気になっていた。
 しかし、手巻き寿司は憧れのクソガキにはなかなかなれなかった。例えば、窓から忍び込むクソガキも、最初の一人以外は厳重に締め出されていた。手巻き寿司はうろうろしながら、大人に取り入ろうとするクソガキや、ここまで来てゲームボーイばかりやっているクソガキが次々と乗車していくのを、指をくわえて見ているしかなかったのである。困り果てていると、乗車券を売っている子供がいたので二百円出して買ってみたが、それでは乗車することができなかったし、むしろその乗車券を売っていた子供が、すぐに小銭を稼ごうとするクソガキとして乗車していった。
 そしてだんだん、汽笛のなる頻度があがってきた。今では三十秒に一回ポッポーと言うようになり、いよいよ出発の時間が近づいてきたことがわかった。タイムリミットは、ナイナイのオールナイトニッポンの放送が終わるまでだったのである。なぜなら、運転士が好きだからである。
 ダイジロウはもはや諦めて、奴岡くんを探した。奴岡くんは、汽車の最後尾に背を向けるようにして、力無く座っていた。列車の一番後ろはなんというか家のベランダみたいになっていたが、そこにも大人が一人いた。ダイジロウは、黙って隣に座った。
 よく見ると、奴岡くんは帽子を斜めにかぶり、鼻の上にバンソウコウを貼っていた。チョロ松として色々やってみたのだ。しかし、今や乗車できない子供たちの8割が、帽子を斜めにかぶったり後ろにかぶったりし、鼻の上にバンソウコウを貼り、ポケットにはビー玉を入れ、できるだけ大きいカマキリを探していた。手の平には何かのパスワードがメモされて、むなしくにじんでいた。しかし、どの攻略法も実らなかったのだ。デマだった。デマを流したクソガキは既に乗車しており、冷凍ミカンを食べ終わった途端に列車の網棚の上に乗ってふざけていたが、だまされた子供たちは知らなかった。
 ダイジロウが奴岡くんに声をかけられないでいると、また汽笛がなった。今度のは凄く長かった。いよいよ汽車が、クソガキを乗せ、ガキ帝国に向けて、出発するのだ。
「奴岡くん、ぼくたち、十分頑張ったよ。ぼく、ほんとうに、自分がこんなに頑張るなんて思わなかったもの」
「チョロ松」
「奴岡くん、ぼくを誘ってくれて、ありがとうね」
「チョロ松」
 大きな汽笛が鳴り続けて、客車の光にぼんやり照らされた雑木林中に響き渡っていた。取り囲む子供たちは、その音にまぎれて、汽車に向かって何か叫んでいた。木の枝や小石を投げる者もいた。
「もう、しょうがないよ」
 ダイジロウは慰めるように言った。汽車が動き出した。さすがクソガキが乗る列車というべきか、いきなりせっかちに加速して飛び出した。すると、チョロ松の体が一瞬にしてダイジロウの横から消えた。
「あばよ」
 かろうじて背後から聞こえた声にダイジロウが慌てて振り返ると、チョロ松は汽車の後ろに結びつけたロープにつかまって引きずられていた。チョロ松は諦めなかったのだ。映画の真似をするクソガキとして、最後の賭けに出たのだ。最後尾にいる大人はそれを見ても、何もしなかった。許容しているのである。チョロ松がつかまるロープが結び付けられているところのすぐ横には、昨日『バック・トゥー・ザ・フューチャー』を見たクソガキが、スケボーに乗って汽車につかまっていた。残された子供たちは滑り込みセーフした最後のクソガキ二人を見守るしかなく、ダイジロウの心は、奴岡君のいない帰り道や明日からのことでいっぱいになった。目に涙があふれ、汽車の灯がぼんやりとにじむ。と、次の瞬間真っ暗になり、しばらくして、ざわざわとみんなの声が聞こえ出した。もう一人で家に帰らなければならない。