探偵ゼロ物語~すべり台の少年~

 少年が一人、暗い公園のすべり台をのぼってはすべり、のぼってはすべりをくりかえしていた。のぼる時はきびきびのぼり、すべる時は身体をまっすぐのばしてすべり、すべりおわると下の砂場に同じ姿勢でじっとしている。
 数分ほどしてからいきなり立ち上がり、再びまわりこんで階段をかけ上がる。上の踊り場で、全身をさすりたおし始める。一分ほどたおし続け、全身を耳や足の裏まで一カ所ものがさずに念入りにさわったことを確かめたように虚空を見て小さくうなずくと、またすべっていった。

 そこから5mほど離れた茂みの陰に、私服がダサい小人病の探偵が潜んでいた。彼、零出戎(ぜろでえびす)は、おしゃべり猫のミックとともに、市内の自転車のタイヤの空気入れる所の黒いキャップ連続盗難事件について嗅ぎ回っているところだ。
 先日、この公園のベンチの下で、その部分のゴムを3個、ミックが大発見した。犯人がここで「今日の収穫」を確認しているのではないか。ヤツは必ずここに来る。そういうわけで、子どもたちがいなくなった夕方6時から潜んでいるのだが、逆に夕方6時になって遊びに来た子どもがいるし、すべり台を利用し続けるし、ドキドキして出るに出られなくなってしまった。
「ぬう、これでは犯人が来ても警戒して帰ってしまうじゃないか。ついてない」
「アタシにまかせて」
 去勢したせいでオカマみたいなしゃべり方になってしまったミックが出て行った。こういうとき、ネコは頼りになる。

 ミックは、ミニ砂場で気をつけの姿勢で倒れ伏している少年のもとにちこちこと寄っていき、2秒ほど不思議そうにながめたあと、顔をなめた。それから、ほほのあたりを前肢でぎゅっぎゅと押しているようだ。いつものネコのかわゆさを前面に押し出した作戦である。
「いけいけいけいけいけ、がんばれ」と律儀な零出戎は応援する。
 ふいにミックの体の動きがとまった。それから少年の顔に頭をよせていたが、ゆっくりと離れて見下ろした。少年は相変わらず倒れ伏したまま。ミックは後ずさりしながら離れ、少年の方をふりかえりふりかえり、小走りで戻ってきた。
「どうだった?」
「アイツ、かなリやばいわヨ」とミックは言う。「アタシのアタックもぜんっぜん効かないし、小声でなんかつぶやいてるし。よく聞いてみたら『食べてください、食べてください』って言ってんの。いかにもここだけオフレコみたいな囁き声でさ」
「……食べてください?」
「そう」
「そんな珍しいセリフならオレも聞きたいな」
「ダメよ、犯人が来たらどうするのよ」
「そっか……」
 しばらく少年の挙動を見ていたが、零出は言った。
「せっかくだし、やっぱり聞きたいな……」
 こういう好奇心旺盛な性格は探偵に向いていた。仕事には向いていない。あと、光熱費とかもなんだかんだ高くなってしまう。いらない物とかも買ってしまう。だから貧乏探偵なのだ。
 ミックは大きな目をふせて、ため息をついた。
「行ってきたら? 危険はなさそうよ」
「じゃあ行く」と零出は体を起こしかけたが、ミックが腕に爪をかけた。
「今はダメよ。バカなの? そろそろ起きるでしょ。次降りてきて倒れてる時にしなさい」
 戎はおもむろに煙草を取り出し、おしりが光るライターで火をつけ、深く吸いこんだ。険しい顔で煙を吐き出した。
「オレはバカじゃない」
「隠れてるのに火を使うんじゃないわよ。それに、バカじゃないなら、なんで行こうとしたのよ。おかしいでしょ」
 零出は反抗するように、ライターのおしりを光らせた。少年が動き出し、すべり台をのぼるカンカンという音が公園に響き渡った。確かに、今行ってたら、起きている状態の少年と鉢合わせしてしまっただろう。
「準備しようと体勢を入れ替えようとしただけだ。普通わかる。お前は心配性すぎるんだ。オレに先入観を抱いていて、勝手に心配して、何も起こっていないのに注意して騒ぎ立てる。頼もしい大地を見て地震が起こると言い、穏やかな海を見て津波が来ると騒ぎ立てる。典型的な危険厨だ。注意しているという行為だけで、自分の方が上だと錯覚している。オレだってちゃんとタイミングを見計らってるんだ。クッパ城とかでも、しゃがんで待ったりしながら、あんまり死なないでいける方だ。わかったら黙っててくれ。オレの自由にやらせてくれ」
 少年がすべり台の上で体をさすりまくる光景を見ながら零出戎は言った。煙草をくわえた顔は渋かった。ミックは猫モードになってそっぽを向いていた。

 少年が砂場に頭から突っ込んで転がった。零出は行った。意外と堂々と行った。そして砂場に膝をつき、少年の顔に耳を寄せた。駆け足で、少年の方をふりかえりふりかえり、戻ってきた。
「ダメだった。『サアァァァ……』って言ってるだけだった……」さっきの口論を忘れたようにしゅんとした顔をしていた。
「え、ホントに?」
「ホントだ。ウソ言ってどうする」
「何の音かしら?」
「なにか、揚げ物をしているような音だった」と零出は真面目な顔で言った。「どうしてオレの時だけ擬音なんだ?」
「ちょっと、次の時、いっしょに聞きに行きましょう」
 二人は次のチャンスを待った。

 むっくり起き上がった少年は砂を払うと、疲れもみせずに再びすべり台に上がり、体をさわりまくった。ここの行程がかなり上達し、時間が短縮されてきたのがうれしい。
 少年がすべり出した瞬間、二人も茂みから飛び出した。
 しかし、世にも奇妙なことが起こった。すべり台の口から少年が出てこないのだ。
 一拍おくれて、小さな白い影が飛び出て砂場に転がった。
 二人は速度を上げて駆け寄った。猫の方が速い。
「これは……エビフライ……?」
 まだ生のように見えるエビフライの白と黄色のまじった衣。それが、砂の上に浮かび上がるようにあった。そして、今まさに揚げられている最中だとでもいうように、じょじょに香ばしい色に変わっていく。小さな「サアァァァ……」という音を立てながら、熱まで放っていた。
 ほんとにどういうことだ? 二人は顔を見合わせた。
 その時、公園の出入り口に灯油屋の車が止まった。