ワインディング・ノート9(サリンジャー・安部公房・作家と読者)

 接触不可能な沈黙する読者。当然、これは、安部公房が以下のように語ることとかなり似通った意味として現れるように思われる。

よく作家は、つまり自分自身のために書くと言ったり、いや、百万の読者のために書くとか、まあ、いろいろ言うが、これは全部嘘で、やはり自分の中の読者と対話していると思うのだ。
(『三島由紀夫対談集 源泉の感情』より)

 
 安部公房は「対話」という言葉を使っているが、これはサリンジャーの場合、「苦悩する作家」と「腹立たしいほど無口な読者」の構図をとるのである。
 そして、彼らは共同作業をするのではない。作家はただその存在と視線を感じながら、その読者のために書くのである。だから、彼は読者を意識するのに、ニューヨークの街で声をかけられ、社交に精を出す必要はなかった。そんな時期――彼はそれをバディに「しばらくの期間わたしは人づきあいのよい話せる男になろうという半ば利己的な、骨の折れる、無理だとわかっている努力をしたことがあった」と語らせる――もあったようだが、最終的に、サリンジャーは読者の理想を自分の内に持った。

 ここで、これを読んでいる人は、そんなものがいるとするならかなり付き合いが良い人だろうが、スタインベックの受賞演説を思い出すべきだろう。

文学は、人気のない教会で祈りを捧げながら、人をあげつらう青白くひ弱な聖職者によって広められてきたのではなく――また、薄っぺらな絶望を弄ぶみせかけの托鉢僧のごとき、世を捨てたエリートのための玩弄物でもないのです。


 この後半部分は、サリンジャーにあてられていてもおかしくないものだ。実際、彼らの活動時期は重なっている。スタインベックが旅に出る前年、「シーモア―序章―」はニューヨーカーに掲載されている。
 不肖筆者は、スタインベックにもサリンジャーにもかなりの好意を寄せている。
 そこで、かなり乱暴な書き散らしながら、とにもかくにも一生懸命、多少なりとも論理的に見えるように褒めているみたいだからといって、厚化粧されている矛盾点を放置し、目の前のバカを八方美人のまま素通りさせるのは賢明なことではない。矛盾が悪いのではない、バカが悪いのだ。
 つまり、今までの長ったらしい説明からすると、ここで繰り広げられているのは、放浪者とふれあい、旅役者のように求められずとも世界に根付いているような人間が文学を担い広めているのだとでも言いたげなスタインベックに激しく首肯したN君が、そのような人々との邂逅の可能性も全てシャットアウトして沈思黙考ある意味ひ弱で禅や東洋思想に傾倒したサリンジャーにも惜しみない拍手を送っている。「二人ともあっぱれ」という図である。
 全然それはその時の気持ちでやってくれればいいが、その矛盾や齟齬を頭の片隅にすら置かないのなら、N君という奴は都合がいいだけのバカで、彼の思考に読むべきものなど何もないのではないだろうか?
 それとも、二人のSの態度が、ともに「全世界を異郷と思う者」の分派であるということをN君はよっぽど確信しているのかもしれない。なるほど、例えば、以下のような、「シーモア―序章―」と同時期の挿話をもって。

1962年の秋、サリンジャーはおもしろいファンレターをもらった。というより、サリンジャーの反応がおもしろかったのだ。「スティーヴンス氏」とかいう大学生と思われる男が、おとなの社会の物質主義的な価値観への嫌悪感を訴えてきたのだ。彼には東洋思想の素養があり、ほかの人びとが精神より「物」に価値を置くことに失望していた。スティーヴンス氏が満足げにコーニッシュに手紙を送ってきたことが、まちがいのないところだった。この世に彼の憂慮を理解する人があるとすれば、それはJ・D・サリンジャーなのだ。
 10月21日、サリンジャーはスティーヴンス氏に、典型的にていねいで率直な返事を書いた。スティーヴンスに手紙の礼を述べ、手短に彼の見解に賛意を示したあと、本論にはいった。もらった手紙でもっとも印象的だったのは、インクの質だったという。つまり、スティーヴンス氏のタイプライターのリボンのインクが乾きかけていたのだ。サリンジャーはこう伝えた。「私にとって、君はなにより先に、タイプライターの新しいリボンが必要な若者だ。その事実をよく見て、必要以上のにものごとを重大に考えないように。それから残りの一日をちゃんと過ごしたまえ」
(ケネス・スラウェンスキー『サリンジャー 生涯91年の真実』)

 
 サリンジャーは手紙を返し、物質主義を嫌う自分も「物」の世界で生き、それを、例えばタイプライターのインクリボンという形で必要としていることに目を開かせている。
 「電話をかけてきたがる読者」に対して、ギールグッド的態度とは言い難いが、人生の先輩として、さりげない皮肉とユーモアで応答するのである。「作者が親友で、電話をかけたいときにはいつでもかけられるようだったらいいな」と鵜呑みする似非ホールデンであろうと、そうなのだ。アップダイクの知る由もない水面下で、読者との接触は続けられていた。
 だから「薄っぺらな絶望を弄ぶみせかけの托鉢僧のごとき、世を捨てたエリートのための玩弄物」という誹りは免れるであろうと自分は考える。

 サリンジャーはどうもくそったれらしい社会に唾すら吐きかけるもんかという態度で、結果的に唾を吐いた。しかし、彼は常に個人の責任を重んじている。全世界を異郷に思いながら、ある一点において踏みとどまっている。世界が未熟者で溢れているから、力を蓄えようとする者で溢れているから、世間に背を向けたのではない。確かに世界はそうなっているようだが、人は、個人の責任の名のもとに退却するのである。そして、それはサリンジャーの場合、「現役の小説家はどんなところでどんなふうに暮らすべきかという個人的な信念」(56年、ウォーナー・G・ライスへの手紙より)に基づいたものだった。
 決して合理的な説明ではないが、こうして一枚でも神話をはぎとっておけば、サリンジャーが一面的な隠遁者でないということの証明の一助にはなるだろう。これは仙人が俗をきらって山にこもり、霞を食って91歳まで生きて死んだ、という話ではないのである。「完璧な者」などいないのだから。

 

 

源泉の感情 (河出文庫)

源泉の感情 (河出文庫)

 

 

 

サリンジャー ――生涯91年の真実

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