読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

俺のイブの過ごし方

 一人暮らしの男の食生活は乱れがちだが、定食屋に行くことでカバーしていると思っているのだ。俺はイルミネーション輝くこの聖なる夜に一人さびしく、やよい軒のスタンダードナンバー「なす味噌としまほっけの定食」が流れてくる(運ばれてくる)のを待っていた。
 俺は店内を眺めた。なんちゅう、なんちゅういつもよりおじさんだらけなんだ。カップルとアベックがせわしなく動きまわるせいで、はじきはじかれ、どういうわけだかおじさんたちが「やよい軒松戸店」に集まってしまった。俺の地元だ。
 友人の寺田は誘っても出てこなかった。寺田は「テレビおもしろいから。黄金伝説」と言ったが、俺は知っているんだ。あいつはケンタッキーフライドチキンと不二家のショートケーキを二人分買って家で二人分食べるクリスマスイヴを毎年毎年くりかえしてはかつかつになり年末年始はおモチだらけの毎日。寺田「俺、年末年始おモチだらけ」 
「その友達さ、呼んじゃいなよ」
 急に隣のおじさんから声が聞こえて、俺はこんな年末に超ビックリした。日本一声をかけあわないとまで言われるやよい軒の隣同士の客にそんな奇跡がクリスマス・イヴに、ウソつけ!
「聞いちょる? ここ呼んじゃいなよ」
 おじさんはまた話しかけてきた。これはサンタがくれたリアルらしい。チラリと目線を送ると、おじさんは何の変哲もないやよい軒のおいしい氷水をブランデーのようにカラリと鳴らして俺に挨拶した。俺は寺田のことは思い浮かべていただけだったのにおじさんは寺田のことを知っているなんてどうしたことだろう。心を読める不思議なおじさんなのだろうか。
「その友達はさ、ウソついて生きていくのかな」
「え……?」
「友達にウソをつき、カーネル人形に色眼鏡で接し、ペコちゃんに舌を出し、そして極め付けは自分の性欲に猫だまし。一体いくつのウソを塗り重ねていい年になる気なのかね。僕はね、キリストの誕生日なんて知らないよ。知らない。知らないけど、こんな年に一度のお祭りだもの。せめてさ、自分の心の声を思いきり叫んだっていいじゃない。いいじゃないのよ」
「心の声ってなんですか。彼女欲しいとかですか」
「んはっ」
 おじさんは力が抜けたよと言わんばかりに笑った。
「じゃあなんですか」
「心の本音は魔法の言葉、大昔からだよ」
「だからなんなんですか」
「それはね……」
 おじさんはたっぷりした間を取りに取り、ほっけが今にも焼きあがるんじゃないかという俺の不安を煽った。このまま黙ってたんじゃ、このたっぷりした間にほっけが画面下から突然カットインしてきそうだ。やべえ。俺の定食が来る。そんな心配をよそにおじさんは水をコトリと置いた。
「腹減った」
「え?」
「魔法の言葉だよ。人間がまだマンモスの落とし穴を掘っていた頃から現在まで続く歴史だよ。腹減ったって叫べばいいじゃない。人間誰しも、腹が減ったと叫びたい(BAAD)。君だって叫びにきたんだろ。聖なる夜に、腹減ったって叫びにきたんじゃない。どうなの? 腹減ったらさ、やよい軒にきたらいいじゃない」
 たたみかけるような謎の説得力に、俺は知らずと涙目になっていた。俺は人間だ。人間だからさびしかったんだ。さびしいのに強がっていたんだ。でも、さびしかったのは彼女がいないからじゃない。俺にはやっとわかった。
「クリスマス・イブにも腹が減るんです」
 そうだ。俺は腹が減っていたんだ。クリスマスイブに独りでも腹が減ってしまうのが悲しかったんだ。だからやよい軒にきたんだ。おじさんは、わかるよ、という顔を間接照明に浮かび上がらせて励ますように言った。
「さあ、食べ放題の漬物を食べよう」
「はい」
 漬物は容器にパンパンに詰まっていた。まずそうだった。でも腹減ってるからうまそうだった。
 俺は右手は箸で漬物を口に運んだ。俺はもう一人じゃない。志を共にした仲間がここにはいて、漬物がある。厨房はにぎわっている。これ以上何がいるっていうんだ。
 おじさんは定食が来る前に漬物の容器を空にせんばかりの勢いで食っている。俺は尊敬の眼差しで、容器に顔をよせてそこから箸でじかに食っているおじさんを見つめた。おじさんは俺に気づいた。
「もうすぐライブが始まる。その前に、腹ごしらえしておけよ」
「ライブ?」
「そう、ライブだ」
「誰の?」
 おじさんはそれには答えなかった。
「俺、チケットとかなんにも持ってませんよ」
 おじさんは俺の「なす味噌としまほっけの定食」の半券を指差した。
「今から始まるライブは、クリスマスにもちゃんと『腹減った』と言える人たちへのクリスマスプレゼントなのさ」
 おじさんがまた漬物をばくばく食いだしたので、俺はそれ以上何も聞けなかった。俺も漬物をばくばく食った。
 やがて、おじさんの「ミックスフライ定食」と俺の「なす味噌としまほっけの定食」がほぼ同時に運ばれてきた。
 俺はもうわかっていた。おじさんの方を見ることなく、無我夢中で食べ始めた。うまっ、うまっ、とつぶやきながら、豆腐遠っ、とつぶやきながら、得意のコンビネーションおかずごはんみそしるを怒涛のように連発。息つく暇もない。飯を食べるのはいいことだ。いつだって、腹を満たすのは幸せだ。おじさんと話さなければ、俺は卑屈な態度でもそもそ飯を食っていたかもしんない。また感謝の気持ちがわきあがり、俺はふいにおじさんを見た。
 おじさんはもう食い終わっていた。そしてなんとアコースティックギターを抱え、椅子の上に立っていた。この早食いぶりそして変貌ぶりに俺は目ん玉を飛び出して驚き、そして
「お前が歌うのかよ!」
 とシャウトした。一斉に客の視線が俺の方、そして立ち上がっているおじさんへ集まり、また飯に戻っていく。おじさんは、それを満足げに、そして愛おしげに眺めた。
 俺はこのおじさんはサンタなのだと思った。フィンランドからやってきて松戸でミックスフライ定食を食べて、今からアコースティックゲリラライブという名のプレゼントを配り始めるサンタさんだ。
 おじさんはゆったりと体を揺らしながら、四拍子のリズムのリズムフレーズを繰り返し弾き始めた。今度は誰も振り返らなかった。ライブが始まった。


「ラース クリスマス アゲブマイハート
 バッザ ベリーネクスデイ ユゲビアウェーイ
 ディースイヤー ステビバティー 
 アイ…フンフッフ サムワン スペッシャール」


 もうライブが始まっているというのに、入れ替わり立ち替わりで無料のおかわり飯をよそいにいくおじさんたちの交錯する色とりどりのダウンジャケットが俺を魅了した。それは、どんなイルミネーションよりも生きる気力に充ち溢れていた。『Last Christmas』はほとんど「ンフフ」と「ナナナ」構成になってきたが、みんなかまわず飯を、飯を食べ続けて感動的だ。ああ、23歳で独りぼっちの俺にもちゃんとクリスマスがきたんだ。俺はうれしかった。その衝動に身をまかせるように、気づけば茶碗を持って飛び出していた。メリークリスマス、メリークリスマスと心の内に繰り返しながら飯をよそった。


「ありがとうございました」


 そんな気分が店を出ていっぺんに吹き飛ぶと、陽気な気分と気分の深い溝に落っこちた。肌を刺すような寒空のもとに厚ぼったい漠とした不安が降りてくる。なすところもなく日は暮れ夜が更け年が暮れ、懶惰のうちに夢みる成果を来る年に持ち越して何か大きなことができるのですかと誰かの声が聞こえて返り見れば通り慣れたる一本の道。ここには俺の生活が望みなく癒着してどんなにひっぺいでも取れないでいる。