達人

 とにかく凄い武道の達人である武部龍雲の元に、五年前のライバルから手紙が届いた。


  龍雲、久しぶりだな。俺がお前に敗れ武道から身を引いてから、早五年、月日
  が経つのは早いものだ。
  お前は笑うかも知れないが、俺は今、幼稚園で先生として働いている。子供を
  相手にするというのも、なかなか力がいるものだ。俺は今の生活に満足してい
  る。あのまま武道のみを志しても、お前を超えることはできなかっただろう。
  この手紙を書いた目的は、そのお前を幼稚園に招くためだ。今ではあらゆる武
  道の達人として「最強」の名を欲しいままにする武部龍雲を見て、子供達に何
  かを感じ取ってもらいたい。その際には、園児の前で俺と戦ってもらうつもり
  だ。俺も身を引いたとは言え、鍛錬を欠かしたことはない。個人的な理由が入
  りすぎているかも知れないが、もしも承諾してもらえるのであれば、一度連絡
  して欲しい。

                                 堂上 虎一


 龍雲はすぐに承諾の返事を書いた。そこからは、幼稚園の園長との電話相談になった。電話に出たり出なかったりで一悶着などもあったが、何度かの話し合いの末、決まったのは次のようなことである。ブランクのある分のハンデとして、堂上は得意の剣道で戦い、竹刀を使用する。武芸十八般なんでもござれの達人である武部龍雲が使う武具は、園児からアンケートをとって回答が一番多かったものとする。


 当日、龍雲はジャージ姿で現れた。どんな武器を指定されてもいいように、という判断であり、また、真の武道家は外見にとらわれてはいけない、本当に大事なものは目に見えない、という話を園児にしようと思っての判断である。
 門をくぐると、虎一が迎えた。Tシャツとジーンズの上にエプロンをつけている。チューリップのアップリケがつけられたものだ。
「久しぶりだな、龍雲」
「そのエプロン、似合っているじゃないか」
 虎一は一瞬身を固くしたが、すぐに、片方の口角を上げてみせた。
「職員室に行け、園長が待ってる」
 虎一はそう言うと離れて行った。龍雲はそれを見て、五年前、自分の元を去って行った敗者の後姿を重ねていた。
 龍雲は職員室へと向かった。誰とも会わなかったが、にぎやかな子供の声が遠くから聞こえている。
 職員室には、園長らしき歯抜けの中年ババアが一人で居た。
「あら武部さんですね、ようこそいらっしゃいました。園長の杉田です。あらでも、そんなに逞しい体には見えないんですけどねぇ。全然全然、見えないわー。あなたほんとに強いの、なんて言ったりして、えー?」
 そう言いながらボディータッチを繰り返した末に、園長は笑いながら崩れ落ちた。声は、電話と少し違うように聞こえたが、まあでも一緒と言われれば一緒だった。ババアの態度にも、龍雲は平常心を崩さなかった。武道とは、心を鍛えることなのだ。
「あまり体を鍛えると、イメージ通りの動きができなくなりますから。それより、武具はどうなりましたか」
「ええ、みんなのアンケートで決まったんですけどね、ほら、これなんですよ。私、存じませんでしたけど、達人というのは、こういうのも使いこなしてしまうのですねー、達人ですものねー。素晴らしいわー」
 

 二時間後、運動場に園児が大きな輪を作った。その中心にいるのは、ジャージ姿の武部龍雲と、剣道の防具をフル装備した堂上虎一である。
「紅! 堂上先生!」
 主審役の先生が大きな声で言った。
「ワー!」「虎一せんせー!」「頑張れー!」「カッコイー!」
 などなど園児の歓声が三百六十度であがる。虎一は幼稚園の先生なのに全然それに応えず、真っ直ぐ龍雲を見据えている。これは本気だ。
「白! 武部!」
 呼び捨てなのはまあそういうものかと思ってよしとしたが、問題はそのあとだった。
「ヘイヘーイ」「よくきたなー」
 そんな声があちこちで上がった。幼稚園児のくせにはっきりした指笛を吹く奴が三人ぐらいいる。
「何持ってんのー、それ何持ってんのー」「強そうな武器だなーおい」
 武部龍雲の手には、手の平より少し大きいサイズのウルトラマンのソフビ人形が握られていた。アンケートは自由回答式で行なわれ、幼稚園児ということがどこでどう影響したのかどうだか結果は「ウルトラマン」だった。
 二人は互いに礼をし、三歩進んで蹲踞した。
「はじめ!」
 二人は立ち上がった。それと同時に、虎一が襲い掛かった。龍雲の胴を打とうと竹刀を走らせる。龍雲もウルトラマンを構える。
 竹刀は普通に龍雲の左腕を直撃した。龍雲は打たれる瞬間、逆の手に持っていたウルトラマンを何やら前に出したが、全然意味なかった。
「はいきたー!」
 場がどっと盛り上がり、拍手が起こった。
 しかし、竹刀が当たったのが腕ということで、試合は続行となった。
「もっと頑張れよー」「負けちゃうぞー」「武部ぇー」
 今度もすぐに虎一が上段で襲い掛かり、龍雲は体を反らすも肩をひっぱたかれてうずくまった。
「いいの入ったよー」「達人やばいんじゃないのー」「ギブかー」
 その時、新たにウルトラセブンの人形が園児の中から投げ込まれた。ウルトラセブンは龍雲の足元に転がった。
「二刀流でいけ二刀流でー」「もっと必死になれよー」「だらだらしてたら三分たっちゃうぞー」
 園児達は野次のたびに笑い声を足しながら、終始にやにやと楽な体勢で見物している。龍雲はウルトラセブンを拾い、左手に持った。
「はじめ!」
 主審が声をかけてすぐ、虎一が突きを放った。これを龍雲は素早い身のこなしでかわし、ウルトラマンで虎一の小手を叩こうとした。しかし、瞬間的に体を寄せられ、重い防具に突き飛ばされた。横向きに倒れたところで、追い討ちのように思い切りお尻を叩かれた。
 龍雲がエビゾリになってお尻を押さえて痛がる中、園児は手を叩いて爆笑した。
 しかし、さすがは達人、いつまでも倒れてはいない。数秒もすると、立ち上がろうとして片膝をついていたので、園児は笑うのを止めた。
「なかなか我慢強いなー」「もっとウルトラマンを生かせよー」「頭使え、頭ー」
 園児達が囃し立てる中、龍雲はゆっくりと立ち上がった。そして、二つの人形の腕を上にあげた。これでウルトラマンもセブンも万歳の形である。そして、龍雲はその足のギリギリを持った。少しでもリーチを長くする作戦だ。
「慎ましい努力だなー」「まあそういうこともやってみればいいじゃん」「ていうか最初からやれよー」
 作戦は園児達の失笑を買ったが、龍雲は真剣な顔を崩さない。
「はじめ!」
「このやろ!」
 龍雲はそう叫ぶと同時に、意表をついて、ウルトラマンを虎一めがけて投げつけた。しかし、狙いが外れ、ウルトラマンは地面を跳ねた。
「止め!」
 主審が大きな声で言うと、すぐに副審の一人がウルトラマンを拾い、砂を払って龍雲に渡した。
「はじめ!」
 今度はすぐに太ももを竹刀で叩かれた。凄い音がした。たまらずしゃがみこんでしまう龍雲。
「この寒さで太ももは辛いなー」「おい早く立てよー」「見せ場つくれー」
「はいはじめ!」
「このやろ!」
 今度はセブンの方を投げてみたがうまく当たらず、同じように地面を跳ねた。
「はい止め!」
 園児達からブーイングが起こり、運動場全体に響きわたった。
「はいはじめ!」
「このやろ!」
「はい止めぇ!」
 ちょっと怒ったように主審が叫んだ。
「おい真面目にやれよー」「武道の達人なんだろー」「投げるな、投げるな」「ちゃんと戦えー」
「お前ら! このやろ!」
 龍雲はウルトラマンを園児の中に投げ込んだ。すぐに投げ返されてきた。
「八つ当たりかよー」「みっともないぞー」「武器を捨てるなよなー」「黙ってたけど、剣道なら反則だぞー」
 龍雲は、このクソガキども、と力をこめて睨んだ。
「なんだよその目はー」「幼稚園児相手にそれかー」「それともメビウス使うかー、メビウスー」
 そんな声と同時に、ウルトラマンメビウスの人形が飛んできた。小さな笑いが起こった。園児達は仲間内で肩を組んだりヘラヘラして鼻をほじったりあっちじゃ寝っ転がってるしやりたい放題である。
 龍雲はウルトラマンメビウスを拾わなかった。
「なんだよー使わないのかー」「余計なお世話ってかー」「こっちは助けてやろうと思ってんのによー」
「はじめ!」
 また三秒で太ももをやられて、龍雲はうずくまった。野次と指笛がこだまする中、龍雲は、虎一を、他の先生達を、二階の窓から見下ろしている園長を、そして園児たちを順番に見回していった。誰もが半笑いでこっちを見ている。
「お前ら、なんていやな奴らだ!」
 龍雲は叫んだ。しかし龍雲は知らない。幼稚園の方で勝手に作ったしおりによれば、この勝負が終わるとすぐ「達人と一緒にお昼ご飯」の時間となり、園児と一緒に豚汁を作らなければならないのだ。