ゴローイング

「顔がだんだん山田五郎になるなんて嘘だろ母さん」とヒロタカは泣きついたが、本当だった。もちろんお母さんだって嘘だと思いたかった。でも、「嘘よ」と面と向かって言うにはヒロタカの顔はもう山田五郎山田五郎しすぎていたのだ。そう、少なく見積もっても、七割方は山田五郎だったのだ。メガネをかけていないのが救いだった。
 初めてそれをお医者さんに告げられた時、お母さんはお医者さんに詰め寄った。
「先生、治るんですか。その病気は、治るんですか!」
 先生は、力無く首を振るだけだった。
 山田ゴローイング症候群、患者は個人差はあるものの徐々に山田五郎の顔に近づいていき、最終的に山田五郎に至る。
 お母さんは最後の望みに託すしかなかった。藁をもすがる思いでこう訊いたのだ。
「先生、知識は、知識の方はどうなんですか」
 山田五郎の顔になるなら、知識もまた山田五郎になるはずだとお母さんは考えた。そうじゃなきゃ損ばっかりだ。せめて知識を。自分のアイデンティティを博識の方にもっていくための権利を持たせてやりたい。当然の願いだった。
「そのままです」
 お医者さんはそう言うと、席を立って行ってしまった。それは優しさだった。お母さんは好きなだけ泣いた。顔だけ山田五郎になるなんて、ちょっとあんまりじゃないか。
 高校中退のヒロタカ。ヤンキーの女の子にモテたヒロタカ。ジャニーズに履歴書を送ったヒロタカ、「勉強しなさいよ」と言うと「俺はイケ面だからそんなことしなくても平気」と謳ったヒロタカ。お母さんはそんな思い出しながら、自分に言い聞かせながら、刻一刻と山田五郎の方へ走り出していくヒロタカの顔に接していた。
 でも、だめだった。昨日、アド街ック天国を見てしまったのがいけなかったのかも知れない。地元だからといって見てしまったのが間違いだった。その時、ヒロタカの顔は山田五郎90%だった。視力も悪くなり、メガネをかけざるを得なくなっていた。
「はい、五郎さん、お茶」
 お母さんはすぐに気づき、膝から崩れ落ちた。母親の自分が、息子の顔が山田五郎だからといって五郎さんと呼ぶなんて。
 でも、ヒロタカは負けなかった。くじけなかった。
「お茶に含まれているカテキンが、体にいいんだ。確か」
 それは無論、まだまだだった。知識として全然だった。
 でも、ヒロタカは歩みだした。ヒロタカの人生は、山田五郎の輝かしい人生をなぞり始めたのだ。