とんちがきくといってもまだほんの子供だもの

「なんじゃこの看板は。これでは橋を渡れんじゃないか」
 和尚は看板の前まで来ると驚いて言った。
 しかし、一休さんは老眼の和尚とは違って、もうだいぶ前から、そう、さっきのあの喫茶店の角を曲がったあたりからもうその看板が見えていたのだ。『このはしわたるべからず』という看板が。
 一休さんは、とんちだけでここまでのし上がってきたプライドがあった。きっとこれは、自分を呼び寄せた桔梗屋のなぞかけに違いない。
 一休さんはじっとその看板を見据えた。何か、何か抜け道があるはずだ。言葉のレトリックにいちゃもんをつけるんだ。それこそがとんちの真髄、一番おいしいところだ。
 その隣で和尚さんは、まかせたぞ一休、という顔をして見守っている。
 だいぶ経った。もう一時間は経っている。約束の時間までもうすぐだ。なぜ一時間も経ったのにまだ時間がきていないかというと、とんちを出された時のために早めに行きましょうよ、と一休さんが急かすからだった。とんちが無かったらあの角の喫茶店で時間つぶせばいいじゃないですか、と急かすからだった。
 寺を出る前はハイテンションだった一休さんは、今、ぴくりとも動かない。ずっとぶつぶつ言っている。和尚さんはドキドキしてきた。
 やがて、緊張に耐え切れなかった和尚さんが提案した。
「一休、あの、いつものやってみたら。ポクポクしてチンするやつ、やってみたら」
「素人は黙ってろよ!」一休さんは絶叫した。「思いついてからやるもんなんだよ、あれはよ!」
 和尚は悲しかった。一休は自分のことを見下していたのだ。とんちのフィールドで言えば、和尚あいつは素人だ、と見下していたのだ。そして、あのポクポクしてチンするやつは実はただの一人時間差的パフォーマンスだったのだ。
 それからまた三十分経った。一休さんは仁王立ちしたまま動かない。約束の時間はとうとう過ぎてしまった。
「さあ、もう渡ろう」和尚さんは一休さんの肩を叩いた。
 一休さんは、看板を見つめたまま、静かに泣いていた。一筋の涙が細く細く、子供らしい赤い頬を伝っていた。
 和尚さんに肩を抱かれながら、一休さんはゆっくりと、まっすぐに橋を渡っていった。岸に着くと、桔梗屋が走ってきて出迎えた。
「いやあ、一休くん、凄いな、さすがだな。橋の端を渡らないで橋の真ん中を渡ってくるなんて、さすがだな。一休くんのとんちには、おじさん、敵わないな。見事にやられちゃったよ」
 一休さんはそれを聞いてさらにむせび泣いた。涙が止まらない。くやしい。
「今日もまた一休の勝ちじゃな、一休の連戦連勝じゃな、なっ」と和尚が言った。
 一休さんは、みんなに背中を押されるようにして、桔梗屋の中へ入った。そして泣き疲れて、用意されていた豪華な夕ご飯も食べずに眠ってしまったのだった。