ワインディング・ノート30(村上春樹/cero/細野晴臣)

 この、「終わりの来ない旅」を続けるならば、永遠の入れ子構造や絶え間ない不信や矛盾に陥らざるを得ないという状況は、彼らのバイオグラフィーとも重なってくると思うのですが、思うというかそのようにインタビューで語られていたのですが、語られていたというか僕がそう取ったのですが、歌詞を書いた荒内佑はこう語ります。

     あれ(安部公房砂の女』)は砂漠を閉塞的な現代社会のメタファーとして扱っていると思うんですけど、そういう場所で何か新しいことを始めるには魔術的にならざるを得ない。「Yellow Magus」の"Magus"は"Magic"の語源で、ceroがブラック・ミュージック的なアプローチを試みることにしても、僕たちはもともとそういった出自ではないし、素養もないから、やっぱり、魔術の力を借りるしかないなと。

cero 1stシングル『Yellow Magus』 - 特設サイト

 
 魔術の力を借りて作品をつくるということは、様々に絡み合った隠喩から一つ選べば、「星が動けば これから起こることが分かるだろう」ということであるでしょう。
 村上春樹の『職業としての小説家』にはこんな箇所があります。

どういう小説を自分が書きたいか、その概略は最初からかなりはっきりしていました。「今はまだうまく書けないけれど、先になって実力がついてきたら、本当はこういう小説が書きたいんだ」というあるべき姿が頭の中にありました。そのイメージがいつも空の真上に、北極星みたいに光って浮かんでいたわけです。何かあれば、ただ頭上を見上げればよかった。そうすれば自分の今の立ち位置や、進むべき方向がよくわかりました。もしそういう定点がなかったら、たぶん僕はあちこちでけっこう行き惑っていたのではないかと思います。


 現存しない「あるべき姿」が見えることは、「これから起こることがわかる」ことであり、魔術と言って差し支えないはずです。
 そして、その依り代として、cero村上春樹も「星」を選び取ります。
 星が動いたり動いていなかったりするのはやはり気になりますが、それは、彼らの「現在」と関係があるような気がします。ceroの同じインタビューから再び抜粋しましょう。

     ――じゃあ、『Yellow Magus』で過酷な砂漠に踏み出したわけだけど、YMOだったり、『Eclectic』だったり、所々に存在するオアシスを頼りにしながら進んで行くという感じかな。
    髙城 日本人のデメリットかつメリットは、どの音楽からも遠いこと。ルーツみたいなものはあまりないけど、縛られるものがないということでもある。いま上がった先人たちに習って、その状況を上手く自分たちの音楽に還元していきたいですね。

 
 そして、YMO細野晴臣は、中沢新一との対談でこう語っています。

 僕たち、二〇歳そこそこでバンドやりだしたんですけれども、同年代のみんなはもちろんアメリカ音楽のコピーでした。いかにうまくコピーをやるか、それはその前にやっていたエイプリル・フールというバンドでやり尽くしちゃって、飽き飽きしてたわけです。当時、カリフォルニアのバッファロー・スプリングフィールドというバンドが好きだったんですけど、彼らは二、三年で解散しちゃう間に素晴らしいアルバムを二、三枚作りました。そのアルバムのライナーノートに自分たちが影響されたルーツが全部書いてあるんです。それは音楽だけじゃなく、作家だったり、ヨーロッパのアーティストだったり。それに僕たちは影響されたわけです。自分たちがオリジナルをやるには、まずルーツを知らなきゃいけない。彼らのコピーをするんだったら、そこまでやらなきゃ駄目だ、と。音楽そのものよりも、音楽へのアプローチを教わったわけです。

 
 ルーツを辿り、知ることでしか、オリジナルは作れない。
 この本はごく最近読んだんですが、これまで散々書いてきたことと同じことを細野春臣が語っていて、だからこの程度のことは一角の人物の誰もが口を揃えて言うのですが、それでも嬉しくなります。帰納するのに用いる例は、いくらあっても多すぎるということはないでしょう。
 さらに細野中沢対談は続きます。

中沢 若い時は未知のものへ向かって冒険していかなきゃ駄目だという感覚が強いでしょう。今まで人が触れていないものとか誰も行ったことがない場所へ冒険することによって新しい領域を開いていきたいと考えます。それは自我の拡大ということとも関係しているんですけれども、三〇歳になり始めたくらいにかならず挫折を体験することになる。僕もそうだったな。ヒマラヤへ入っていったときのことですが、荷物を持ってくれているシェルパの人がずっとウォークマンを聴いているんですね。なに聴いているのかなと思ってきいたら、マイケル・ジャクソンだった(笑)。いっぱしの冒険家の気分だったし、確かに日本人の研究者が一度も踏み込んでいないようなところに行くわけですけれども、一緒に歩いているシェルパの人にとってはそんな意識はまったくないわけでしょう。そこは彼らの庭先なんだし、そこでマイケル・ジャクソンを聴くのは当然だ。日本人にしても欧米人にしても、冒険だといって出かけていく世界は、そこに住んでいる人たちにとっては日常の世界なわけで、僕たちのエキゾチシズムなんか幻想にすぎない。お経の世界にひたってばかりいた僕は、そのとき冷水を浴びせられました。何か未知のものを手に入れて、それを高々とかざすようにして元の国や共同体へ戻ってくるという行為は、そもそも駄目なんじゃないかと思ったわけです。地球上のすべての場所は、既に誰かが一度は歩き、誰かが一度はフィルムに収め、誰かが一度は語ってきた世界になっている。そういう絶対的に遅れてやってきた者である僕らにできること、やらなければいけないことは別のかたちの新しい冒険を開発することなんじゃないかと思いました。細野さんが今「路地裏」と言ったけれども、誰もが知っていて、誰もが当たり前だと思っているものを全然違う目で見たり、全然違う編み上げ方で作り直していくときに、今までの世界はガラッと表情を変えてくる。これからの文化はそういうふうにして創らなければいけないんじゃないかと深刻に考えました。そういうアイディアを僕はYMOから受け取りました。
細野 よくわかります。
中沢 新しい世界を見たり作ったりするのに、何も遠い世界に出かけていく必要はないんじゃないか。もちろん、何か知るためには旅は必要ですよ。ただ、それは今まで知られている世界を新しく組み直すための方法を勉強するためにやるものなんじゃないか。それは僕が細野さんから学んだ思想的なちょっとしたコツでした。
細野 確かに今はもう旅することがなくなりました。だから、身近でいいんです。見方がいろいろ変わってくることこそ、やっぱりドキドキすることだしね。YMOでやったことは今はもう終わっちゃっているわけで、これからです。

 
 今日、様々な情報は、身の回りのインフラを整えておけば自動的に流れこんできます。地球上の全てはすでに誰かによって通過された場所であるということを信じるには十分なほどに過剰な量とスピードで、です。
 含蓄に満ちた言葉もbotをフォローすれば事足りるでしょうし、上手くそれを使い、誰かの鼻をあかすことだってできるでしょう。本や映画の感想も、政治的意見も、その情報の取捨選択で、それなりのことを言うことができる。
 そんな時代に旅をする必要があるのか、というのは確かにうなずけるところです。旅をした誰かが「僕らにとっての辺境で暮らしている人々だってマイケル・ジャクソンを聴いているよ」という有益な情報を届けてくれるのに、わざわざ自分でも旅に出る必要などあるのだろうか……。
 そういう考えに慣れきってしまうと、創作活動をやっていくぞと決意した時、自然と自分が今いる場所に陣取って気合いを入れることになりかねません。
 今いる場所に流れこんでくる情報を使いこなすことで自分は新しい世界を作ることができると無邪気に信じて疑わない、そういう人がアーティスト予備軍のマジョリティとなっています。
 このあたりのことは『アーティスト症候群---アートと職人、クリエイターと芸能人』に詳しいのでオススメです。芸能人の悪口もたくさん書いてあり、楽しい。

 半世紀前、細野晴臣バッファロー・スプリングフィールドに学び実践した音楽へのアプローチの方法は、先人のルーツを辿ることでした。ルーツを辿るとは、すなわち旅です。
 細野晴臣の「確かに今はもう旅することがなくなりました」という発言と、中沢新一の「もちろん、何か知るためには旅は必要ですよ」という発言は、端的に「若い時期に旅をしろ」ということを示しています。
 そして、ceroは意識的にそれを選択したのです。

 

 

Yellow Magus(DVD付)

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  • アーティスト:cero
  • 発売日: 2013/12/18
  • メディア: CD
 

 

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

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石坂浩二さんがくれたドラゴン

 ドラゴンはとてもかしこい生き物だ。
 夕暮れ時、カーテンを閉めるついでに窓を開けてみると、春の風はなおも冷たい。明日は雪が降るらしい。
 ドラゴンは、やはり大きな背中をこちらに向けているばかりだった。汚れた猫の額ほどのベランダで、エアコンの室外機とせせこましくスペースを分け合っている。うっすら土汚れがのった黒い鋼色は、部屋の明りを反射することなく吸いこんでしまうようだった。
 眉の下がった石坂浩二さんの顔が浮かんだ。
 石坂浩二さんは、言わずと知れた博学才穎の人である。絵も上手だし、女性にもおモテになる。面倒見の良い方でもあり、俺もずいぶん世話になった。
  懇意になった共演者に様々な贈り物をすることで知られている石坂さんだが、その石坂さんが、俺にはドラゴンをくださった。6頭所有しているうちの1頭で、 ブルガリアで生まれたのを6年前に譲り受けたという鋼色の美しいドラゴンだ。名前をブルという。人間で言えばまだ小学校の低学年で、鳴き声も高く子猫のよ うである。
 今田さんは、石坂さんから「ドラゴンに乗った今田耕司」という題の肖像画をプレゼントされたらしい。今田さんちの玄関にかけてある。 バカでかい。今田さんには「ドラゴンに乗った今田耕司」の肖像画で、俺にはドラゴン。なぜそんな貴重なものを私にくれる気になったのか、俺の何がそんなに 気に入られたのか、検討もつかないが、悪い気はしなかった。
 俺はもう一度、ドラゴンの背中を見つめた。いつも背中しか見ないせいで、一面が鱗に覆われた細長い、意味のないオブジェのように思える。しかし、それは少しく上下動して確かに生きている。煩わしさを持っている。
  初めはそのうち慣れるだろうと高をくくっていた。毎週、石坂さんから届くエサの烏骨鶏だけベランダに放り出して、芸人仲間と夜通し飲みに行ったりしていた のが良くなかったのか、一ヶ月経っても一向に心を開く様子がない。烏骨鶏はきちんといなくなるのに、ふっくらしていた横っ腹はどんどん痩せてきた。
  俺だって、夢を見なかったわけではない。その固い背にまたがり、晴天の空を飛翔し、フジテレビへ向かう夢である。頬をなめられ、大きな腹にくるまるように 横たわり、昼寝をしてラジオに遅刻する夢である。俺はその夢の中のドラゴンを好きだった。だから目の前の鱗の塊を嫌うことになった。
 俺はその姿を見たことはないが、俺の家に入り浸る後輩芸人によれば、ドラゴンは時折、手すりに手を掛け立ち上がり、決まって南西の方角に向けて遠くさびしげに鳴いているらしかった。その先には石坂さんの家がある。俺はその姿を思うたび、胸が痛むより先に腹が立った。
「返してあげた方がいいよ」
 いつか連れ込んだ女子大生は、ベランダをのぞきこみ、うろつく烏骨鶏をしばし見た後、そう言った。女は事が終わった後も下着姿で同じことを言い、帰り際にまた言うのだった。
「やっぱり、石坂さんに返したあげた方がいいよ」
 その慈しみをまじえた声に腹が立った。殺してやろうかと思った。
「うるせえ、この売女!」
 俺はついさっき裸の腰を打ち付けたばかりの尻を今度は蹴って追い出し、カギを閉めた。しばしの喧噪を覚悟したが、女はすぐに立ち去って行った。
 ドラゴンはとてもかしこい生き物だ。
  自分の置かれた立場をすっかり了解しているのか、外界に開け放されたベランダにほっぽっているのに逃げる素振りも見せない。そうしてくれたなら、どんなに いいかわからない。凝り固まった翼を動かし、全てを吹き飛ばすような風を起こし、石坂さんの家にでもどこでも帰ってしまえばいい。来た最初の日に、こんな 狭苦しいところはごめんだと、暴れ回って火を噴いてくれればよかった。
 1ヶ月も弱々しく丸めた背を見せたのだ、こいつも今さら帰りづらいにちがいない。なまじ知能が発達しているせいで、大いに苦しんでいる。まるで人間のようで、それがまた憎い。動物が人間を嫌うように嫌われたのではない。人間が人間を嫌うようにして好かれなかった。俺はドラゴンが憎い。
 夜更けに窓を少し開け、網戸越しに言った。
「今日、お前が苦しい眠りについたら、俺はお前を殺そうと思うよ」
 ドラゴンの呼吸が止まった。夜の風がひんやりと流れこんできた。
「俺も、今田さんみたいに絵がよかったよ」
 とてもかしこい生き物の背中はまた静かに動き出した。明日は雪が降るらしい。