『働く男』星野源
書かれていること自体がとくべつ面白いというわけではないと言えば語弊があるが、星野源という人間に対する興味を倍増させるほどに文章が光を放っているわけではない。
それでも、自ら「才能がない」と思い知りながらも書きたいと願い、己の伝手を使った営業で連載の仕事を得て、書くことを自らに半ば強制し、やり続けている限りは負けではないとする姿は感動的で共感する。しかも、確かに、これより前に書かれたものよりも明らかに良いと思えてえらいし、それに対する自覚を隠さないのも、やるから見てろって感じでいい。
だんだんと、書くことを楽しめるようになってきました。
ずっと憧れていたことが、仕事としてやれるようになりました。
才能があるからやるのではなく、
才能がないからやる、という選択肢があってもいいじゃないか。
そう思います。
いつか、才能のないものが、面白いものを創り出せたら、
そうなったら、才能のない、俺の勝ちだ。(p.19)
椎名林檎が「あの世でもらう批評が本当なのさ」と歌っていたが、大抵の人間は、それがまだまだ先だと思って、サボる。もう少し細かく言うなら、それはアウトプットができないで悩むという姿をとる。アウトプットに先立つインプットを疎かにし、アウトプットができずに苦しむのを「頑張り」に含めることで、大いにサボる。
それは、星野源の「頑張り」とは正反対の態度だ。星野源の「頑張り」はいつも行為でしかない。それをするための、言うまでもない大前提にインプットが位置している。
本書には、幼少期からの趣味として、また仕事として、何でもかんでもインプットに励んだというか、そういう男として生きてきたという記録が刻まれている。星野源は、もともとの自分が空だと知っている。それは決して虚しいことではなく、楽しみとやり甲斐に溢れた状況だということも。
そんな態度は己をハイにさせる。初版の帯にはこう書かれていたという。
どれだけ忙しくても、働いていたい。
ハードすぎて過労死しようが、僕には関係ありません。
この働きぶりは、書くことへの姿勢と同じく、この先の良い仕事のために仕事を続けるんだという様相を呈しており、確かに、このぐらい一生懸命たくさんの見聞きをし、体を動かしてきた人間でなければ、これだけの活動をする気力は保てないだろうと深く納得させられる。RHYMESTERの「「ONCE AGAIN」にどれだけ励まされたか」と書いているような生活と志がそこにはあった。
と、これだけならとくべつ凄いというわけではないと言えば語弊があるが、他ならぬ『働く男』というこの本についてわざわざ何か書こうと思わせるほどではない。
本書が凄いのは、「はじめに」と「あとがき」を書いた人間と、その間の文章を書いた人間が、別様であるからだ。
つまり、さっきまで説明してきたがむしゃらに働く男は、過労死してもいいと言っていた男は、2012年の年末にくも膜下出血で倒れた上にすぐの再発という生死の境をさまよう経験をした。そして、長期の休業を余儀なくされた後で、本書の「はじめに」と「あとがき」を書いた。
高橋源一郎が『日本文学盛衰史』で、漱石の修善寺の大患について書こうとした際、自身もまたほとんど同じ胃潰瘍で死にかける経験をして、それをそのまま小説にして胃カメラ写真まで載せているが、あれと少し違うのは、星野源が、インプットの塊であることを自覚しつつ、高橋源一郎ほどには、自分と言葉を、つまり自分と世界を、切り離していなかったという点にあると思われる。
『日本文学盛衰史』の連載は、当人が「原宿の大患」と呼ぶ療養以後の二ヶ月だけ休載した。入院六日目には、すでに「続きを書きはじめた」とある。思考に影響が無いはずはないが、仕事への向き合い方は変わらない。それは、経験を作品に取り込む図太さや計算高さというよりも、これまでの言葉や世界への知見からくる諦めでもあり、開き直りでもあり、楽観でもあるだろう。
それよりウブな星野源にとって、病は自分を別様に変えてしまう何かであった。だから、「はじめに」と「あとがき」の中で、病に倒れる前の「仕事を自分に課しているよう」に働き続ける男は「別人」のようだとされ、「彼」と呼ばれている。
サボっていたわけでもないのに「あの世でもらう批評」がすぐそこに待っているということをはっきり自覚した上で、星野源がどんな変化を遂げたかはここでは書かない。明らかに(いい意味で)力の抜けたその文章は、別に読んでもそれほどの感興を催さないかも知れない。
しかし、病を経てそんな心持ちになった人間でなければ、それ以後の曲にあるような、あんな歌詞はとても書けないだろうと深く納得させられてしまう。
そして何よりも、そこに言葉を、「アイデア」を提供しているのは、まちがいなく「彼」だ、あの「働く男」なんだということを深く自覚する星野源の姿に、「忍耐と記憶」を見て、自分の興味に引きつけて申し訳ないけれど、感動したのだった。
それからさらに時を経た『よみがえる変態』文庫版のあとがきも同じ状況について書かれているが、その文章は、「彼」の肩に力の入った「頑張り」を今はもっと自然にできるようになった男のそれで、素直に凄いなえらいなと思った。