『ケベックの女性文学―ジェンダー・エクリチュール・エスニシティ』山出裕子

 

 

 このブログはかつての自分に書いているようなところがあるので、いちいち説明もしていきたいけれど、カナダの公用語は英語である。ただし、フランス系の植民地としてこの国が建国された際に多くの人々が居を構えたケベック州では、現在でもフランス語のみが公用語となっている。

 マジョリティとして始まったケベックのフランス系住民は、1754~63年のフレンチ・インディアン戦争での敗戦を大きな境に英系へとその座を譲った。マイノリティとなりつつも1960年代の州政府による「静かなる革命」で経済・社会構造が変わり始めると、フランス系国民による政府への圧力が強まり、二言語・二文化主義が導入される。しかし、もちろん文化はその二つだけではない。先住民やその他の民族はこれに反発し、1988年に「多文化主義法」が制定されるに至った。
 60年代以降はカトリックの権力が衰え、女性運動およびフェミニスト運動も勢いづいていった時期でもある。その時、女性文学はいかなる役割を担ったのか、どんな作品があり、作家個人はどう振る舞っていたのかということが本書では紹介される。

 こういうことを考えていく時に、もちろん、小説をはじめ表明された言動を参照していくわけだけれど、その根源にある気持ちというのは、もしかしたらある種の小説が書かれる時とは異なり、書く中で生まれたものではないということを忘れてはならない。

 日本では、1878年に民権ばあさんこと楠瀬喜多が参政権を束の間勝ち得たのを嚆矢として、戦前・戦後の女性解放運動があり、安保闘争以来のウーマンリブにつながっていくというのが大きな流れだけれど、その前にそんな気分がなかったといえばそんなはずはないし、記録も残っている。
 例えば江戸時代、土屋廉直の妻の斐子は、1806年に堺奉行に任じられた夫について東海道を往く紀行文「たびの命毛」と、和泉での滞在記録「和泉日記」を残している。「たびの命毛」には、女であるという理由で道中の希望も口に出せない苛立ちが書かれる。

そういうふうで旅中も毎日気に入らないことばかりあるのだが、妻の立場で口を出すことではないので、女はこんなことさえ自分の好きなようにできないのを、せめて「来世は男に生まれたい」と仏に祈ることで気持ちをきりかえ、念仏を唱えているような始末であった。

 (板坂耀子『江戸の紀行文』p.209 著者現代語訳)

  権利や社会という言葉を知るはずもない彼女は、自分ではなく世の中の方を変えていくということは思いつけないけれど、こうした気分や祈りが何かのきっかけで噴きこぼれ、熱を伝えることで運動は始まる。
 ケベックでも、伝統社会からの抑圧を離れて生きる女性が描かれたアンヌ・エベールの『閉ざされた部屋』が書かれたのは1958年の「静かなる革命」前のことだという。

「自伝的文学の中で他人との経験について語ることは、実は、私的な社会活動について語ることである」と、アメリカの評論家ポール・ジョン・エイキンの言葉が引かれている。それがどんな意味で書いているかはわからないが、カフカはかつてどこかでこう書いた。「意識に制約をもうけることは、社会的要求である。すべての徳行は個人的であり、すべての悪徳は社会的である。社会的徳行と見なされているもの、たとえば愛、無私、正義、自己犠牲などは、〈おどろくほど〉弱められた社会的悪徳にすぎない」

 フェミニズムだろうとなんだろうと、社会的な悪徳を晴らして徳行に向かうと本人が決め込んだところで、そもそも社会的であるということがどういうことかということに何の意識もしがらみも持たずに書かれたものは読んでいてもつらいのだけれど、よくよく考えてみればそれも無理はなく、全ての社会運動の困難というのは、個人的なものを社会的なものとして露出させなければならないという点にあるのだろう。
 当事者ではないという意識を残念ながら持つ自分も含めた人々は、そこにカフカのいう悪徳を見出してしまい、理性を働かせるから批判はしないまでも、なんとなく複雑な気持ちになって黙りこんでいる。

 ヴァージニア・ウルフが、女性は自伝的作品を書くべきだと主張していたのも、この個人的なものと社会的なものの難境を承知で、書くことによって外堀を埋めていこうというひそやかな呼びかけであったように思われてくるけれど、ケベックではこれに複数民族性も加わって、ますます「社会的」というのが複雑になってくる。

 例えば、ロビン・サラの「ナイス・ガゼボ」というイカす題名の小説では、モントリオールに住む登場人物がガゼボが燃える夢を見て「子供たちにすまないことをしてしまった」と思う。ガゼボというのは、高台の公園なんかによくある八角形の屋根をした見晴らし小屋のことで、あれガゼボっていうんだと思うが、モントリオールでは英系地域の公園によくあるらしい。英系が山の手に居を構えてきたということを示すのかも知れない。
 とにかく、モントリオールでは、マージナルマンとしてではなくそのバイリンガル文化に溶け込んで生きること、それを伝えていくことについて意識的にならざるを得ないということを、大体を紹介されただけでも思う。

 本書の後ろの方は、そんな風にケベックの女性作家たちが紹介されているけれど、もちろん、そこで暮らしつつどこにも帰属せず「ノマド」であることにアイデンティティを見出すレジーヌ・ロバンのような人もいる。ユダヤ人だということもあって自分の立場に非常に自覚的であり、カフカにも「彼は三つの不可能性の中を生きていた。書かないという不可能性、ドイツ語で書くという不可能性、他の方法で書くという不可能性」と言及し、自らを重ねている。
 彼女は「実際の喪失は、幻想の喪失を倍増させる」とも書く。社会が問題にすべきは実際の喪失だろうが、個人が提出するものに幻想の喪失が含まれないはずもない。その熱量によって社会は正しい方向に進んできたと信じたいが、誰がどんな立場にあろうと、社会と個人、実際と幻想の境を見極めたいという気を二の次にしている限り、問題は問題のまま注視されながら放置されるのだろうと思う。

 

 

  土屋斐子の紀行文は広く読める形で流通してはいないが、こうした本や、著者のホームページなどでさわりを読むことができる。

 

夢・アフォリズム・詩 (平凡社ライブラリー)

夢・アフォリズム・詩 (平凡社ライブラリー)

  • 作者:F.カフカ
  • 発売日: 1996/06/12
  • メディア: 文庫