工場見学

「ほら、みんな、説明してくださるって! ちゃんと聞きなさい!」
 スーツを着た化粧の濃い三十代の教師が叫ばなくても、体操座りで並んだ子どもたち全員の目は、その巨大な装置に注がれていた。
 それは、50㌢四方の立方体の金属の塊が6つ組み合わさったような形をした機械である。それぞれの立方体には、床に固定されているもの以外には、ほぼ同じ太さの頑丈なアームがついており、天井、床、四方の壁にしっかりと取り付けられていた。
 メガネをかけた背の小さい中年の男は「沼田さん」と紹介されていた。一礼して、肉声で話し始める。室内は大仰な機械がある割にとても静かだった。
「えー、こんな風に、それぞれの金属に鉄製の腕がついて壁や天井の方に伸びていますけれど、この壁や天井の向こう側に、ものすごいパワーで押してくる大型の装置があります。みなさんの教室ぐらいの大きさで、様々な油圧駆動機関がからみあって、とても複雑です。とても大きな力が生まれるので、その力でもって、5つの方向からギュッギュッと順番に押していきます。下の土台は動きません。これが圧縮のやり方です」
 そこで、沼田さんは立方体の集まったところまで歩み寄ってきた。子どもたちの視線が、沼田さんに移動し、再び戻った。
「そして、この一番大事な圧縮するところ、上から1番、奥にあるものから時計回りに2番、3番、4番、5番と番号が振ってあります。1番プレス、2番プレスというようにこちらでは呼んでいます。この四角くなっている黒い金属は二ホウ化レニウムという、とても硬い金属です。ダイヤモンドと同じくらいの硬さですね。ただ、それにしてはとても安価なので、こういった機械には重宝されています。さて、これは今、プレスが5つ、ぴったり重なっていますけれど……」
 と、沼田さんは操作レバーを担当している別の作業員に合図をした。赤い操作レバーが反対側に倒され、静かな振動音とともにアームが縮んで、立方体の集合が6つにほどけていった。
「このように、中に空間ができているわけですね。上のものが、1番です。こうなると、わかりやすいですね。さっきは少しわかりにくかったので、今、確認してみてください。ただ、説明ばかりではつまらないから、実際にやってみた方がはやいですし、やってみましょう」
 沼田さんが自嘲気味に笑って言うと、ややあって1匹のニホンザルが連れてこられた。よくなついているようで、作業員の持つヒモにひかれて大人しくついてきていて実に可愛らしい。子どもたちからほのかな歓声があがった。
「かわいいでしょう。この子を中に入れます。普段から1日2回、訓練してこの圧縮機の上でエサを食べさせるようにしているので、大人しくのるんですね、かしこいですね」
 確かに、ニホンザルは自分から、中央の、土台となる立方体に飛び乗って、ちょこんと座って待っている。
「ではお願いします」
 メガネの男が言って手を上げると、再び、操作レバーが逆に倒された。
 すると、また静かな振動と機械音がして、上下左右のアームが伸びていった。サルは動じない。その訓練もされているらしい。やがて、6つの立方体の辺が互いにぴったり重なり合うようにして、サルが内部に閉じ込められた。一度、高い声で鳴いたが、その間にも金属の塊が容赦なく狭まっていく。
「このあたりで、一度止まります」
 言うがはやいか、実際に機械が止まった。内部がどれくらいの大きさになったか、子どもたちは興味津々といった様子で見つめている。
「このあたりで、サルの方ではいつもとちがうということに感づいています。少し鳴いていますが、この子はまだ鳴かない方ですね。ちょうど50㌢四方の空間で、体勢的にも、ほとんど動けない状態です。では、ここで質問です。どうしていったん止めるんだと思いますか?」
 子どもたちは何にも言わず、沼田さんを大きな瞳で見上げていた。沼田さんは一人の男子を見た。しかし、再度訊くようなことはしなかった。
「ほら、鈴木くん、立って!」
 後ろから飛んできた教師の声にうながされて、鈴木くんは少し恥ずかしそうに立つと、おしりを軽くはらって言った。
「サルに、心の準備をさせるため?」
「すごい、半分正解です!」
 沼田さんが笑い、周りを囲んでいる大方の作業員から軽い拍手が鳴り響いた。
「すごいじゃないの、鈴木くん」
 教師は破顔一笑といった様子で声と拍手を響かせ、生徒たちもそれにつられて拍手を送り、場は和やかな雰囲気に包まれた。鈴木くんははにかみながら座った。
「そう、一旦機械が止まるのは、いま鈴木くんが言ってくれた、サルに心の準備をさせるため。それから、体の準備をさせるためなんです。というのも、サルの体勢が悪いと、圧縮する時に、ちょっと時間がかかってしまったり、いびつになってしまったりするんですね」
 何人かの生徒が、開いたままにしてあったしおりにメモを取った。沼田さんはそれを見て取り、少しの時間を与えるように待った。後ろから教師が「ほら、メモを取ってない人はあとでレポートが書けないからね!」とせき立てると、残りの生徒たちも背を丸めて慌ただしく書き込みを始めた。
 沼田さんは声の速度をゆるめて、さっきと同じことをもう一度言うと、さらにそのまま続けた。
「今この中で、サルはちょうどお母さんのお腹の中にいる時のような体勢になっています。こうして狭い場所に閉じ込められると、不思議なことに、全てのサルが自然とそういう体勢を取るんです。遺伝子に刻まれている本能なのかも知れません。そして、これも不思議なのですが、サルはこの時、物音ひとつたてず、鳴きもせず、じっとしています。こうして、1分も待てば十分です。それではみなさん、準備はよさそうですか」
「すみません!」
 女の子が一人、切羽詰まった大声で手を上げた。
「はい、なんでしょうか」
「血とかは出ませんか? あんなに、ぎりぎりのところでつながっているから、力がかかって漏れてきたりとかしそうで……」
「機械の計算でぴったり重なって、見えづらいけどパッキンもついているので、血や体液が外に出ることはありません。ただし、完全な密封だと空気圧や液体の圧力で圧縮ができなくなるので都合が悪い。ということで、途中でちょっとした工夫があります。その時も、血が出ることはありません。これで安心できたかな?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「いいえ。では始めます」
 満足そうな沼田さんの合図で、今度は青い操作レバーが倒されると、けたたましい警報音が鳴り響き、まず、天井の1番プレスがゆっくりと下がり始めた。
「はじめは破砕の行程なので、ゆっくりしたスピードです。いちばん硬いのが頭蓋骨ですから、そこで甲高い音が鳴ります」
 と、一度、サルの弱々しい鳴き声が聞こえた。子どもたちは耳をそばだてた。密閉された内部から発せられたものだから、本当はすさまじい咆哮かも知れなかった。
 続けて、骨が割れ砕ける衝撃音が金属ごしに高く響いた。しかし、それも一瞬、やがて1番プレスはほとんど下の土台とぴったりくっついて、他のプレスの中央部におさまり、子どもたちのところからは手前の4番プレスに重なって見えなくなった。
 1番プレスがゆっくりと、元の位置に戻った。続いて、2番プレスと4番プレスが同時に動き出した。4番プレスのアームは子どもたちの群れを二分するように壁から伸びていたので、子どもたちは上を見上げた。縦方向よりも横方向のアームが伸びる音の方が心なしかうるさいようで、その旨しおりに書き足す生徒もいた。2番・4番のプレスはほぼぴったりくっつくと、また元に戻り、間髪入れずに、3番・5番プレスが動き出し、また元に戻った。
「はい、これが1つの行程です。ほら、また天井の1番が下がっていったでしょう。これをくり返すことで、サルは細かく砕かれて、小さくなっていきます」
 数分間、単調なプレスの動きがくり返された。スピードはだんだん速くなるようで、こうなってくると、子どもたちはおもしろく眺めていた。教師は近くの作業員に何事か訊ね、かき回すような身振りを交えた説明におもしろそうにうなずいていた。
 突然、機械の動きが止まり、わずかに鳴っていた機械音も止まった。沼田さんが生徒たちの方を向いた。
「さあ、ここで、さっき言っていた一工夫があります。いま、この中では、サルの毛やら骨やら体液、それに空気がぐちゃぐちゃに混ざった状態です。このままだと、うまくプレスすることができません。布団袋なんかに空気がたまっていると、かさばってしまうのと同じですね。布団袋はわからないか、あとは、そうだな……ポテトチップスの袋なんかに空気が入ってぱんぱんになっていることがあるでしょう。とにかく、空気があると圧縮するには邪魔なんですね、それはサルも同じです。だから、ここで何をするかと言うと……」
「空気を抜く!」
 何人かの生徒が我先にと言った。
「そうです、真空状態にするんですね」
「どうして、先に真空状態にしないんですか?」
「いい質問です。それは、そもそも、この猿剛丸がどのように出来たものか、というところまでさかのぼらなければいけません。この猿剛丸というのは、奈良時代からこのあたりの村でつくられていました。『風土記』という本や、木簡という昔の荷札のようなものに記録が残っています。その頃の職人さんは、このような便利なプレス機などありませんから、1つ1つを手作業で行っていました。まず、サルを生け捕りにしてきます。死んだサルではいけません。そして、ここからがすごいんですが、1年かけて小さくするんです。まず、生きているサルを腿のあたりではさみこんで、後ろからのしかかります。そうすると、サルは先ほどのような、お母さんのお腹の中にいる時の体勢をとります。防御の体勢なのかもしれませんね。職人は、その体勢を、サルを挟んだまま、3日ほど続けます。職人さんは食事だけはとりながら、おしっこやうんちは垂れ流しで、サルを押さえこみ続けます。サルが弱ってくると、丸められるようになりますから、頭の方に力をこめて、丸めます。大抵はこの時に首の骨が折れて死んでしまうそうです。そして、職人さんはサルを1年かけて、何も道具は使わず、体全体を使って丸め続けます。最終的に、サルはピンポン球ぐらいの大きさになって、職人さんはこれを、ガムのように三日三晩噛み続けます。こうしないと、肉がくっつかないんですね。噛み終えると、最後は、1日中なめて丸い形に整えて、仕事は終わりです。1年休んで、その次の年に、サルを捕まえてきます。そして、10匹のサルを丸めた職人さんは、今度は自分の体を数年かけて丸め始めます。自分で自分の体を丸めるわけですから、サルほど小さくはなりません。それでも、バスケットボールほどの大きさになって、そして死んでしまうそうです。これは、サルの命を奪っていることに対する報いを、自ら受ける行為だという風に伝わっています。もちろん、いま、この技術を持った職人さんはおりませんが、その心を、なるべく伝えていきたいと私たちは考えています。どうでしょう、最初から真空にしないのがなぜか、わかりましたか?」
 質問した生徒が顔を向けられた。
「はい、できるだけ昔と同じやり方をするためで、それは、最初に真空にしたら、サルが死んでしまうから、そうするんですね」
「その通りです。ちょっと話が長くなりましたが、大事な話だったので良しとしましょう。さあ、それでは真空にして、より圧縮しやすいようにします」
 今度は合図もなしに、静かにそれが始まったらしかった。
「血液や体液がむき出しの状態なので、やがて沸騰し、凝固します。そのあたりで、またプレスを再開します。突然始まりますので、驚かないでください」
 しばらくして、予告通りにプレスが再開された。代わり映えしない情景が続き、1分ほどで終わった。天井のプレス1番が上に持ち上がっていくと、アラーム音が鳴った。
「こういうところは、家の洗濯機とかと一緒です」
 沼田さんは笑いながら言った。子どもたちは誰も笑わず、機械を見つめていた。
「では、いよいよ開けて見てみましょう」
 アームが縮み、立方体が再び離された。粘性の高い赤黒い液体がそこかしこにこびりついているが、清潔な印象がある。しかし、獣と血の臭いがあっという間に香水か何かのように漂った。
 土台には一枚の薄っぺらい布のようなものが残されていた。
 沼田さんがその端をつかんで持ち上げる。赤茶色のぺらぺらの肉布団。その表面からは、ところどころから輝きを放つ毛がはみ出ており、生物の痕跡を感じさせた。
「それをどうするんですか?」
 子どもが訊くと、沼田さんはおもむろにそれを折りたたみ、ハンカチほどの大きさにすると、口に放り込んだ。子どものうめき声がいくつも絞り出された。
「職人さんと、同じように、これを噛んで、丸く、成形します。臭いは、オエッ、いつまで経っても、慣れません」噛み音を響かせながら沼田さんはしゃべった。涙目になり、時々えずきながら。「しかし、昔の職人さんに、比べたら、楽なものです。肉はプレスされて、かなり、やわらかくなっていますし、あっという間にほぐれて、くっつきます」
 確かに、しゃべっているうちに、だんだん楽になってくるようだった。それでもたっぷり1分ほど噛んでから、沼田さんは肉の塊を口から出した。
 親指と人差し指の間で、ぐにょぐにょした赤い球体が、濡れて光っていた。
「これで、猿剛丸の完成です。乾かせば、みなさんが玄関で見たのと同じ物になります。何か質問はありますか?」
 沼田さんはこびついている毛を取ろうと指を口の中に突っ込みながら、子どもたちを眺め回した。苦しそうな顔をしているので、子どもたちは質問をためらった。
「これは、何のために作ってるんですか?」
 代わりに教師が手を上げた。
「みなさんが考えるような、例えば食べ物にしたりとか、そういう意味は特にありません。ただ、作るだけです。これまで作られた猿剛丸は、ある寺院の倉に全て納められています。今できあがったコレも、そこに納められることになります」
「じゃあ、何のために、そんな辛い思いまでして続けるんですか?」
「辛いというわけではありません。しかし、1300年近く続いてきたものをやめるわけにはいかないのです。経済的にも、動物愛護の観点からも、時代遅れなものではあるかも知れませんが、先人たちの歴史をここで絶やすわけにはいきません。色々と方法も変わりました。機械化もされて、大量生産も可能になりました。ただし、その心意気は1300年前と何も変わってはいないと自負しているつもりです。ところで、この猿剛丸が、私にとっての千匹目の猿剛丸になります」
 そこで沼田さんは黙った。手近なカゴの中に肉の塊を恭しい手つきで置いた。再び前に向き直った時、その精悍な顔つきが意味するところによって、明らかに部屋の空気が変わり始めた。
「だから、なんだと言うんです?」
 教師が動揺を隠さずに言った。沼田さんは説明の時と同じ微笑みを絶やさなかったが、今までにない迫力がこめて教師を見た。
「まさか、というものではありません。今お話ししたように、先人たちのやり方を守るのは至極当然のことです。伝統だから守るわけではありません。ただし、それを引き継いでこなしてきた人間の胸に、のっぴきならない事情というのが生まれて来るのは事実です。同じ時代を生きる人々がどんなに筋の通った合理的なことを言おうと、また逆に温かみにあふれる言葉をくれようと、そんなものが何の値打ちにもならないほどの何かが、心の内に種のようなものをつくるのです。それを歴史の重みというのなら、私はそれを誇りに思います」
 そう言って沼田さんはメガネを外し、作業着を脱いだ。下には何も着ていなかった。短い陰茎が滑稽に揺れた。子どもたちは声ひとつ上げなかった。
 沼田さんは一礼して振り返り、プレス機の土台の上に足をかけた。そこでやっと子どもたちの何人かから悲鳴が上がる。沼田さんは意に介さず、台に乗ると、子どもと同じように体育座りして向かい合った。
「ちょっと、止めてください!」
 教師が声を張り上げて、隣にいた作業員に声をかけた。先ほどは朗らかに応じた作業員は全く表情を変えず、まっすぐ沼田さんの方を見ていた。
「何も子どもの前でやらなくても、後でやればいいじゃありませんか!」
 操作レバーが倒され、猿をつぶす時と何も変わらない機械音とともに、重く硬い金属が押し寄せてきた。沼田さんはそれに合わせるように体を縮こまらせた。しかし、小柄とはいえ、そこに収まるには大きすぎる。金属の立方体の各辺がつなぎ合わされ、沼田さんが四肢を不自然に密着させて中に収まる時、何本かの骨が折れ、砕けるような音が響いた。
 凄惨なその音に、子どもたちの中には悲鳴を上げ、耳をふさぐ者もいた。しかし、彼らは心のどこかで次の工程への理解を示し、やがて自らの口をふさぐようになった。ただ単に、吐き気を抑えるためだったかもしれない。
 機械の音がやんだ。作業員たちは先ほどよりも増えていて、子どもたちの後ろから機械を取り囲んでいる。ほとんどにらみつけるようだった。教師は背を向けていた。子どもたちはそれを見ることのできない半数は頭を抱えこんだ膝にうずめ、残りは静かな興奮と恐怖をその顔に湛えて、黒い金属の集まりの中を見通さんばかりに鋭い視線を浴びせていた。わずかなすすり泣き、嗚咽のほかには何も邪魔立てするものはなかった。
 心なしかほんの少し長く、心と体の準備の時間が取られた。死に至るような大怪我を既にしているにはちがいないが、それでも待つほかなかった。金属に閉じ込められた人間はサルと同じく物音ひとつ立てなかった。
 青い操作レバーが倒されると、けたたましい警報音が鳴り響き、天井の1番プレスがゆっくりと下がり始めた。