ワインディング・ノート4(太宰治・村上春樹・うなぎ)

 さて、「故郷を甘美に思う者」「あらゆる場所を故郷と感じられる者」「全世界を異郷と思う者」の三すくみは、村上春樹の「うなぎ」を連想させもするという話。

村上:僕はいつも、小説というのは三者協議じゃなくちゃいけないと言うんですよ。
柴田:三者協議?
村上:三者協議。僕は「うなぎ説」というのを持っているんです。僕という書き手がいて、読者がいますね。でもその二人だけじゃ、小説というのは成立しないんですよ。そこにうなぎが必要なんですよ。うなぎなるもの。
柴田:はあ。
村上:いや、べつにうなぎじゃなくてもいいんだけどね(笑)。たまたま僕の場合、うなぎなんです。何でもいいんだけど、うなぎが好きだから。だから僕は、自分と読者との関係にうまくうなぎを呼び込んできて、僕とうなぎと読者で、三人で膝をつき合わせて、いろいろと話し合うわけですよ。そうすると、小説というものがうまく立ち上がってくるんです。
柴田:それはあれですか、自分のことを書くのは大変だから、コロッケについて思うことを書きなさいというのと同じですか。
村上:同じです。コロッケでも、うなぎでも、牡蠣フライでも、何でもいいんですけど(笑)。コロッケも牡蠣フライも好きだし。
柴田:三者協議っていうのに意表をつかれました(笑)。
村上:必要なんですよ、そういうのが。でもそういう発想が、これまで既成の小説って、あまりなかったような気がする。みんな作家と読者のあいだだけで、ある場合には批評家も入るかもしれないけど、やりとりがおこなわれていて、それで煮詰まっちゃうんですよね。そうすると「お文学」になっちゃう。
 でも、三人いると、二人でわからなければ、「じゃあ、ちょっとうなぎに訊いてみようか」ということになります。するとうなぎが答えてくれるんだけれど、おかげで謎がよけいに深まったりする。
柴田:で、でもその場合うなぎって何なんですかね(笑)。
村上:わかんないけど、たとえば、第三者として設定するんですよ、適当に。それは共有されたオルターエゴのようなものかもしれない。簡単に言っちゃえば。僕としては、あまり簡単に言っちゃいたくなくて、ほんとうはうなぎのままにしておきたいんだけど。
柴田元幸『ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』)

 
 ここで「うなぎ」は、「全世界を異郷と思う者」として想定されてはいないだろうか。
 その場合、「作家」は「あらゆる場所を故郷と感じられる者」であり、「読者」は「故郷を甘美に思う者」ということになるだろう。
 「うなぎ」は、「作家」にも「読者」にもその一部である「批評家」にも与しないが、「うなぎ」として答えることができる。しかし、「全世界を異郷と思う者」の答えが、謎を解き明かすわけではなく、むしろ謎を深まらせるという。
 発話の中にある「オルターエゴ」とは別人格や他我(他者の自我)、イメージとしては、この語に当てはめて、例えば武藤敬司にとってのグレート・ムタをそう呼ぶこともあるので、差し当たりはそのように捉えておいてくれてよい。
 本来、他我は経験も認識もし難いものだ。それゆえ、他者との想像的同一化は憎しみと享楽を入り混じらせると、ラカンは初期論文で強調している。
 いわば、作家と読者の「憎しみと享楽」の煮詰まり(これは口語で使われる意味だろう)、それを村上春樹は「お文学」と揶揄するのである。
 それを解体するものとして、村上春樹は「うなぎ」を登壇させずにはいられない。なぜなら、彼にもまた、太宰のように、「全世界を異郷と思う者」への意志があるからだ。
 しかし、二人の生きる上での態度はまったく異なっている。
 村上春樹は、作家についてこう考える。

僕は他人の話をわりに熱心に聞きます。まわりの人々の様子を観察するのも好きです。「人を観察するのは好きだけれど、判断を下すのは避ける」というのも、作家の性向のひとつです。
(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』)


 また、フランツ・カフカ もひっそりとこう語る。

ただ他人を観察し、他人の中や到るところで支配している法則を観察することだけが人の慰めとなりうるのだ。
(「日記」1914年1月5日)

 
 太宰は村上春樹のような、あまつさえカフカのような、落ち着き払い、自制的でしばしば洗練されて映るような態度はとれなかった。
 ここでもう一度まとめてみよう。
 太宰が「うなぎ」になりたかったのではないかということはもう書いた。しかし、共同体に根付いた心、慣習に由来するような甘い心を太らせてもいた彼は、日本で外部のカルチャーに親しんで育った村上春樹(乱暴な物言いだ)とちがい、その目から見た「うなぎ」のことをすら、「孤高」な「キザ」だと「判断」を下してしまう。だから太宰は、慣習におびえつつ安寧し、愛を実現させることなくそれを求め、贈与されながら答えず、明くる日に涙を流して感謝する、という一見やぶれかぶれな著述をくり返す。その態度が「ワザ」であることを証明するようですらある。
 坂口安吾が、太宰治の人となりについて、こんなことを書いている。

 フツカヨイをとり去れば、太宰は健全にして整然たる常識人、つまり、マットウの人間であった。小林秀雄が、そうである。太宰は小林の常識性を笑っていたが、それはマチガイである。真に正しく整然たる常識人でなければ、まことの文学は、書けるはずがない。
 今年の一月何日だか、織田作之助の一周忌に酒をのんだとき、織田夫人が二時間ほど、おくれて来た。その時までに一座は大いに酔っ払っていたが、誰か織田の何人かの隠していた女の話をはじめたので、
「そういう話は今のうちにやってしまえ。織田夫人がきたら、やるんじゃないよ」
 と私が言うと、
  「そうだ、そうだ、ほんとうだ」
 と、間髪を入れず、大声でアイヅチを打ったのが太宰であった。先輩を訪問するに袴をはき、太宰は、そういう男である。健全にして、整然たる、ほんとうの人間であった。
(「不良少年とキリスト」)

 
 先ほど千鳥足という言葉を使ったのは安吾の文章を思い出したからだ。
 ただ、もうフツカヨイが何であるとか、先輩を訪問するにあたって袴をはくことの意味とかをえらそうに講釈する必要はないように思われる。
 人間はみな弱い。弱いから、弱くならないためになんでもやる。そして、だからこそ弱い。
 自分のノートには、太宰の作からそんな例がいくらでも写してある。
 ある希望をこめてそれらを綴っていた日々を思い出しながら、その時とはいくぶん異なる気分で、また書き出してみる。読むも読まぬも自由である。こんな悩みが己と関係あるとするもしないとするも、自由である。
 幸せとは、なんだろうか。

満月の宵。光っては崩れ、うねっては崩れ、逆巻き、のた打つ浪のなかで互いに離れまいとつないだ手を苦しまぎれに俺が故意と振り切ったとき女は忽ち浪に呑まれて、たかく名を呼んだ。俺の名ではなかった。
(「葉」)

 

「わたしは、鳥ではありませぬ。また、けものでもありませぬ。」幼い子供たちが、いつか、あわれな節をつけて、野原で歌っていた。私は家で寝ころんで聞いていたが、ふいと涙が湧いて出たので、起きあがり家の者に聞いた。あれは、なんだ、なんの歌だ。家の者は笑って答えた。蝙蝠の歌でしょう。鳥獣合戦のときの唱歌でしょう。「そうかね。ひどい歌だね。」「そうでしょうか。」と何も知らずに笑っている。
 その歌が、いま思い出された。私は、弱行の男である。私は、御機嫌買いである。私は、鳥でもない。けものでもない。そうして、人でもない。きょうは、十一月十三日である。四年まえのこの日に、私は或る不吉な病院から出ることを許された。きょうのように、こんなに寒い日ではなかった。秋晴れの日で、病院の庭には、未だコスモスが咲き残っていた。あのころの事は、これから五、六年経って、もすこし落ちつけるようになったら、たんねんに、ゆっくり書いてみるつもりである。「人間失格」という題にするつもりである。
(「俗天使」)

 

 主人の批評に依れば、私の手紙やら日記やらの文章は、ただ真面目なばかりで、そうして感覚はひどく鈍いそうだ。センチメントというものが、まるで無いので、文章がちっとも美しくないそうだ。本当に私は、幼少の頃から礼儀にばかりこだわって、心はそんなに真面目でもないのだけれど、なんだかぎくしゃくして、無邪気にはしゃいで甘える事も出来ず、損ばかりしている。慾が深すぎるせいかも知れない。なおよく、反省をして見ましょう。
(「十二月八日」)

 

「子供は?」たうとうその小枝もへし折つて捨て、両肘を張つてモンペをゆすり上げ、「子供は、幾人」
 私は小路の傍の杉の木に軽く寄りかかつて、ひとりだ、と答へた。
「男? 女?」
「女だ。」
「いくつ?」
 次から次と矢継早に質問を発する。私はたけの、そのやうに強くて不遠慮な愛情のあらはし方に接して、ああ、私は、たけに似てゐるのだと思つた。きやうだい中で、私ひとり、粗野で、がらつぱちのところがあるのは、この悲しい育ての親の影響だつたといふ事に気附いた。私は、この時はじめて、私の育ちの本質をはつきり知らされた。私は断じて、上品な育ちの男ではない。だうりで、金持ちの子供らしくないところがあつた。見よ、私の忘れ得ぬ人は、青森に於けるT君であり、五所川原に於ける中畑さんであり、金木に於けるアヤであり、さうして小泊に於けるたけである。アヤは現在も私の家に仕へてゐるが、他の人たちも、そのむかし一度は、私の家にゐた事がある人だ。私は、これらの人と友である。
 さて、古聖人の獲麟を気取るわけでもないけれど、聖戦下の新津軽風土記も、作者のこの獲友の告白を以て、ひとまづペンをとどめて大過ないかと思はれる。まだまだ書きたい事が、あれこれとあつたのだが、津軽の生きてゐる雰囲気は、以上でだいたい語り尽したやうにも思はれる。私は虚飾を行はなかつた。読者をだましはしなかつた。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行かう。絶望するな。では、失敬。
(『津軽』)

 

 

 

 

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