後生大事に

 ようやっと電車がホームにたどり着き、3分ほど息を止めていた扉が大きく息をつくと、ホ-ムに人が溢れかかった。改札に出るには、上り下りで一揃い並んだエスカレーターを2回、"くの字"に下りる必要がある。
 それまで人混みに埋もれていた小学生になるかならないかという一人の少女が、エスカレーターを母親と共に下っているのが見えた。清潔な銀色の内枠へ膝を押しつけ、スカートの生地越しにそのささやかな妙味を楽しんではいたが、およそ従順に立っていると言えた。
 しかし、一つ目を下り終えた彼女は――そういう場面は実に感動的なのだが――ちょっと母親と離れてみる気になったらしい(解さないあなたの家に、あの子育てと自立を描いた素晴らしいチーターやクマゲラの番組電波が届くようにと切に祈る)。少女の頭の中には、かつてわけもわからず連れて行かれた寺社境内の参道の、手すりが中央に抜かれた長い長い階段がひらめいていたにちがいないのだが、彼女は母親と別の道を行き、また再び合流しようとしたのである。
 思いつきのあまりの神々しさに顔を輝かせた少女が本道の隣、逆流するエスカレーターの領分に得々と一歩踏み出した途端、けたたましい音が鳴り響いた。誰もがいったん足を止めてそちらを見た。驚いた彼女は硬直した体で母親をさがした。母親は手すりを隔てた真横にいた。彼女がそこにいることが信じられぬように母親は軽く首を振った。彼女は一瞬まごつきを見せた後、小さなきびすを返して2本のエスカレーターに蓋をするように、あるいはつないでみせるように"Ω"を描いて母親の元に向かった。そのうちに音が鳴り止んだ。母親は差し出していた手で少女の腕をふんだくると、自分の前に固定し、エスカレーターに押し出すように乗り込んだ。肩に力強く手をかけ、二度、三度、短く揺すぶると、コショウでも振るように何事か言葉を降らせた。少女は憮然とそっぽを向き、虚空に向かって唇をとがらせていた。
 ところで、この間、誰一人として親子の再会を邪魔立てすることはなかったし、背景に映りこむようなこともなかった。親子のすぐ後ろにいた一人の老人が彼らの道をふさいでいたからである。老人はひどく背が小さく、50代の頃から毎日欠かさずかぶってきたであろう深緑のハンチングをかぶり、毛並みの良い銀髪の束が幾本か首筋に手をかけていた。それまで喜劇役者の矍鑠とした足取りであったが、彼は確固たる意志でもってそこに直立不動することを選んだ。そして、ひょっとすると彼は耳が聞こえなかったかもしれないと思うのだが、一瞬も動じることなく、口角のくるまった微笑を絶えず浮かべっぱなしであった。
 彼の後方には、彼の行動に対して苛立っている男もいれば女もいた。特に一人、私の少し前にいたリクルートスーツに身を包んだ凛々しい眉の女は芝居がかるでもなく時計を見て眉をひそめた。気の毒な人事課の男が電話をかけてこなかったのは幸いだった。またある人は、母親の世間体に対する無頓着な態度に立腹していたかも知れなかった。彼女には深々頭を下げる義務があるという風に。
 しかし、私には少々、押しつけ合った責任が地上へ間欠的に噴出する場面を人々が見たがりすぎているように思える。その時、冷やされている熱とは何であろうか? 冷やす価値すらあるのだろうか? 私の考える冷やす価値とはなんだろうか?
 事が終わると老人は歩き出した。何事も無かったようにという直喩が彼の頭のてっぺんから足の小指の爪にまで、生涯貼りついたままだろうと思われたほどである。(突然の末筆になるが、みなさんは幼少期に襲いかかる血の気が引くような失敗の意味を、またその回復の本質的意味を、老人が半世紀に渡って後生大事に心に留め、迅速に引き出し、無関心を貫いた――かもしれない――ことの意味を考えたことがおありだろうか?)