シュリーマンが憎めない(『シュリーマン旅行記 清国・日本』)

  

 

 ホメロスの詩『イリオス』は、トロイア戦争について書かれてます。戦いに勝って置いてあった敵方の大きな木馬をお祝いに持ち込んだら、夜中に兵士が出てきて仲間を呼ばれて負けた、という有名なアレです。これを発掘したのがシュリーマン

 『イリオス』に書かれてることはフィクションだっていう当時の常識を、シュリーマンがそれこそ「古代への情熱」でくっつがえしたというこれも有名なアレは、どうやらウソらしく、シュリーマン以前から発掘しようと躍起になってる人がいっぱいいたし、シュリーマンは考古学について1年学んだとはいえ素人だったというし、できねえくせにギリシャ語ができると本でウソついちゃってるとの噂から、ギリシア勢の総大将アガメムノンのマスクを偽装したなんて噂もあって、でもなんていうか一応きちんとやっていたわけで、佐村河内さんと糸井重里さんを足して2で割って埋蔵金が見つかってやっぱ耳も聞こえたという感じなのかも知れない。
 佐村河内さんは今叩かれていてすごく大変そう。見てられない。万引きGメンを見ているときとまったく同じ気持ち。ところが、シュリーマンのことになるとどんなウソつきでも別に味噌がついたという感じにもならないわけで、そもそもウソだけついていた人と実際にトロイア遺跡を見つけた人とでは雲泥の差で比べる意味もないのですが、同時代的というのはなかなか残酷なものです。

 コレ、保坂和志が話してたんだけど、大好きだった橋本治が文芸誌のインタビューで「『悪魔の詩』事件」について聞かれて「僕の見てないところで何があっても僕は知らないもん」と答えてるの見て、橋本治に対する興味がゼロになったらしいんです。
 「『悪魔の詩』事件」は、反イスラム的な小説を翻訳した五十嵐教授がエレベーターの前で――エレベーターの前というのが生々しいんですが――何者かに殺されたという事件で、イラン最高指導者のホメイニが死の数ヶ月前に『悪魔の詩』関係者全員に死刑宣告つまり「見つけ次第、殺せ」という命令を出していたことから、どう考えてもその筋の犯行と目されてしょうがない未解決事件です。

 最近では一段落した感もありますが、巷ではツイッターに写真あげて炎上したりしてまして、もはや、みなみな様が同一平面上に置かれて煮られているネットというツールでは「対岸の火事」と手をこまねいて許してなどくれないわけで、「火事とケンカは江戸の華」よろしく、そこかしこで焦げ付いているのを、まだ焦げていない、いい感じに焼けている人たちが高笑いするという状況です。
 まあ唯一、言語という頼もしい川、アルミホイルがそれを隔ててくれているかもしれませんが、「僕の見てないところで何があっても僕は知らないもん」という人以外には、そういう世の中になっているのは確かなようです。

 かたや、「『悪魔の詩』事件」みたいな、要は宗教の何が凄いって、乱暴に言ったら、言語という川をじゃぶじゃぶ渡りアルミホイルを突き破って殺しに来ちゃうところで、そう思うとああいう炎上なんてのは、宗教による連帯の疑似体験なのかもしれないとか思うけれども、それはともかく、これは戦争とか歴史とか文学とかとにかくデカそうなものに共通するかも知れませんが、もうもう、その途方もない馬力だけでも感心して、歴史はいいよな、文学はいいよな、と説得されてしまい、シュリーマンのなにやら信用ならない個人史を見て、一人でオオ~とか思う日々です。

 なんだろう、生きている間にやり遂げて逃げ切った者が美学になってしまう、この時間の残酷さがもよおす高揚感と言いますか。琥珀に固められて美しさを持つに至った人間のモンダイと申してみましょう。
 小林秀雄琥珀のことを言いたくて「生きている人間は何をしでかすかわかったものではない。歴史やよし」と琥珀を賛美し言葉を尽くし、坂口安吾はそれがイヤで『教祖の文学』とか書いて、琥珀の中にいる人も生きている時はめちゃくちゃやったしやるしかなかったんだ、と怒ったのでしょう。
 『ジュラシックパーク』で琥珀からDNA取り出してよみがえらせたらザウルスたち暴れ回ってましたが、実に象徴的です。余談ですが、あの中で「恐竜」と呼んでいいのは一部の奴らだけらしい。プテラノドンは恐竜じゃないんだって。でも、いちばん重要なヴェロキラプトルはちゃんと恐竜だったのでよかった。

 「僕の見てないところで何があっても僕は知らないもん」という橋本治保坂和志が幻滅した――と言っていいと思いますが――のは、「私がいなくても世界はある」という言語になりづらい、だから小説にするしかない確信あってのことなのだと思います。
 一方の橋本治は私がいない(入りこめない)世界なんてイヤなのです。そして、源氏物語平家物語など、古典の世界には私がいて、入りこむことができるのです。
 『ドラえもん』で絵本入りこみ靴なんてのがありましたが、橋本治の世界への接し方というのは多分そういうもので、現実であっても、「そういう入りこみ方ができないところ=僕の見てないところ」で起こる出来事に関しては、知ったことではないのです。おもしろいな。
 この世間との水が合って入りこめるというのは、それだけでいいことなのかも知れません。人や人たちと苦労なく食事・会話ができるだけで、鐘が鳴り響いてよいと思います。

 それで、この本なのですが、その前にシュリーマンの遍歴。貧乏で猪木感覚で移住しようとしたら船が難破してオランダ領の島に漂着したことからオランダの商社で働き始めて、後には自らロシア、アメリカと立て続けに商社を立ち上げ、クリミア戦争で武器需要が高まり輸出で大もうけ、って時点でうさんくさくて燃えてきます。

 でも、うさんくさいながらも、さすがこの後、きちんと当たりをつけてトロイアの遺跡を発見しちゃって本当かどうか置いといて18カ国語をマスターしたくらいに頭が良く頑張り屋さんで慧眼だったのも確からしくて、時は1865年、シュリーマンは世界旅行の一環で日本を訪れますが、まさに江戸幕府が滅び行く日本の大転換期、初めて見る東アジアを鋭い観察眼で、生魚食を皮膚病と結びつけるなどはイザベラ・バード含めこの時代に日本に来た外国人あるあるなのでご愛敬として、時代的な偏見も驚くほど少なく描写していておもしろい。さすが様々な国で暮らしてきただけのことはある。待ってください、イザベラ・バードは言ってないかも。あいつは薬を持ってて塗ってやってもいたしな。
 まあいいです。例えば、混浴に関して。

「なんと清らかな素朴さだろう!」初めて公衆浴場の前を通り、3、40人の全裸の男女を目にしたとき、私はこう叫んだものである。私の時計の鎖についている大きな、奇妙な形の紅珊瑚の飾りを間近に見ようと、彼らが浴場を飛び出してきた。誰かにとやかく言われる心配もせず、しかもどんな礼儀作法にもふれることなく、彼らは衣服を身につけていないことに何の恥じらいも感じていない。その清らかな素朴さよ!

 
 ストラップ見たさになんだなんだとザブザブお風呂を上がって近づいていく数十人の日本人に少しの誇らしさ、「行けー!」という気持ちを感じてしまいますが、この後、シュリーマンは続けます。

いったいに、ある民族の道徳性を他の民族のそれに比べてうんぬんすることはきわめて難しい。たとえば男性の気を惹くのに、シナの女性は化粧して、纏足した小さな足にしゃれた靴を履くが、首は顎まで覆っている。アラブの女たちは顔をベールで覆い、ハダカの胸を隠さず、素足に赤い幅広の靴を履く。どちらの国の女たちも、もしヨーロッパの女性たちの服装を見たり、彼女たちが男性と踊るところを目にすれば、きっと、およそ慎ましさの規則から大きく外れていると思うだろう。
 国家安泰には、女性の社会道徳が一役かっている。女性が一人で復讐することはありうるが、世界史を見渡してみても、女性どうし、または女性が男性と共謀して暴力沙汰や政治的混乱を引き起こしたという事例はない。
 この点について、日本の権力者たちは、長い経験と人間性についての洞察によって、ある完全な答を得ていたにちがいない。彼らは、公衆浴場で民衆が自由にしゃべりたいことをしゃべっても、国家安泰にはいっこうに差し支えがないと、判断したのである。

 
 このあたり、ヨーロッパがドハマリすることになった性差という公共性の構造転換の罠に対して、習俗性の推進力でかいくぐった江戸の底力が見えてドキドキワクワクしてしまいつつそれが階級制によってどん詰まる中での二百六十年というのはなんだろうと思いますが、読む人にとってはつまらのない話なのでやめるとして、男女共謀の事例もあるかないかも別として、シュリーマンはなんてまともなことを言うのでしょう。
 これはもう中田ヒデぐらいまともなのではないでしょうか。この時代に、中田ヒデのレベルでまともなことを言うというのは、なかなか大したものです。
 強大な力をもつ宗教に対してさえ、日本人は以下の通りの印象らしく、昔も今とおんなじだね! という普通の感想を持ちました。

日本の宗教について、これまで観察してきたことから、私は、民衆の生活の中に真の宗教心は浸透しておらず、また上流階級はむしろ懐疑的であるという確信を得た。ここでは宗教儀式と寺と民衆の娯楽とが奇妙な具合に混じり合っているのである。

 
 それから、以下のなんだかハッとしてしまう出来事に関して、事実だけ述べて何の意見も言わないところも実にベリークールなので読んでください。

翌朝、東海道(大街道)を散歩した私は、われわれが行列を見たあたりの道の真ん中に三つの死体を見つけた。死体はひどく切り刻まれていて、着ている物を見ても、どの階級の人間かわからないほどだった。横浜で聞いたところによると、百姓が一人、おそらく大君のお通りを知らなかったらしく、行列の先頭のほんの数歩手前で道を横断しようとしたそうである。怒った下士官が、彼を斬り捨てるよう、部下の一人に命じた。ところが、部下は命令に従うのをためらい、激怒した下士官は部下の脳天を割り、次に百姓を殺した。まさにそのとき、さらに高位の上級士官が現われたが、彼は事の次第を確かめるや、先の下士官を気が狂っているときめつけ、銃剣で一突きするよう命じた。この命令はすぐさま実行に移された。三つの死体は街道に打ち捨てられ、千七百人ほどの行列は気にもとめず、その上を通過していったのである。

 
 他の記述から察するに「ここではそーゆーものなのね」という精神がシュリーマンにあるのは明らかだし、戦争にも関わってる人というのもあるだろうけども、それにしてもこの事件にもならなかったであろう事件は、なんなのでしょうか。
 これもまた、因習にとらわれて融通のきかない人格が生んだ悲劇なのか。だがしかし、さっきの混浴を習俗といって、こちらを因習と呼ぶのもまたいささか歴史主義的、小林秀雄チックにすぎるのではないか。ここはひとつ、安吾チックに考えねばなるまいのです。

 時は1865年です。諸藩が力をつけてきて、参勤交代の制度もだらだらしてきている時代。そして、この大名行列は、第二次長州征伐、つまり家茂自らが長州征討へと向かう、士気高まる御進発なのです。
 権威を失いつつある幕府に仕えながら、幕府のこと好きだから、イライラしていた下士官もいたことでしょうし、ていうか幕府がダメになったらこんなに下っ端だし生活も心配、なんか朝とかイヤなことがあったかも知れない。そもそも日頃からそんなイライラしてるもんで友達とかもいないよ、つまらないな、伊勢参りじゃあるまいし歩いて遠くへなんか行きたくない、めんどうだな、っていう色んな鬱屈を抱えながら、陰鬱なたくさんの足音に囲まれて歩いていたら、百姓がのんきに目の前を通りくさるヒァァーー!っと堪忍袋の緒がプッツン切れてしまって即決、部下に「殺せ!」と言ったらこの部下が命令に従わない無能、テンポが悪い、日ごろから生意気だとは思っていたけど、ふざけるなよ、俺をなめるなよ、殺そう、と思うそばから脳天を割ってしまっていた。ついでに丸腰の百姓も殺す。死体が二つ、少しスッとしたか後悔したかふしぎな気持ち、周りは騒然とし、かっこもつかず自然と鼻息荒く立っていたら、上司が現われる。「どうしたどうした。う、これはひどい。血なまぐさい。どうしてこんなことに? フムフム」一抹の期待を胸に聞いていたかも知れないこのフムフムのあとで「き、気が狂っている……」とつぶやかれ、血の気が引いていく時のこの気持ち。全てに裏切られたような気持ち。がんばればがんばるほど、必死こけばこくほど空転する自分の生き方。自分の時とはちがい、即座に命令に応じた部下に力のこもった銃剣を向けられ、それも終わるのだという強い実感。

 こういうことがあったかもしれないし、はたまたぜんぜん違うかもしれない。そういうこともシュリ-マンは知っていたものと思われる。そして、そんなのを描写するような野暮なマネはしなかった。他人のことにかこつけて己を虚飾するようなマネはしなかった。
 シュリーマンはえらい。佐村河内でも、糸井重里でも、中田ヒデでもなかった。シュリーマンシュリーマンだ。自分のことに限って、自分を虚飾したのだ。それが善いか悪いかなんて知らない。誰でもやっている。そんなことはどうでもいい。
 でも、だから、シュリーマンは、きちんと、がんばって、トロイア遺跡を見つけたんだ、えらいやっちゃ。この本を読んで、僕は強くそう思いました。ありがとね、と思ったんだ。