私はバイソンを飼わない

 赤ら顔のお父さんがニコニコしながらスト2のバイソンを買ってきた金曜日の夜。その半年前にパナポは死んでしまいました。私のことが大好きだと言って死んでしまいました。ハムスターはしゃべれないけれど、きっとそうだと思います。
 酔っ払ったときのお父さんは、誰のこともきめ細やかに考えられなくなるから、ぶしつけな愛情だけを家族に与えます。もう寝ていた私は、下の階から響くお父さんの声に無理やり起こされて、パナポがきたときと同じ、ケーキの容れ物に似た小さな箱を渡されました。
 中でパンチを撃つ音が聞こえます。私は一応、横に何個か空いている穴をのぞきこもうとしました。パナポが小さな鼻をひくひく動かして、すばらしく小さな前歯をのぞかせていたのと同じ小さな丸い穴です。
 そこに押しつけられて盛り上がった赤いボクシンググローブの照りついた面を見て、私はたまらず、その箱をお父さんに投げつけました。お父さんに当たっても、箱はへこみもしないで床に落ちました。私は振り向きもせず、階段を駆け上がりました。
 翌朝の土曜日、私は下に降りるのがいやで、昼まで自分の部屋のベッドでごろごろしていました。そろそろお父さんはパチンコに行ったろうかと思って、ようやく降りていくと、リビングの隅にパナポのケージが置いてありました。私は自分の目を疑いました。

 中に、スト2のバイソンが立っていたのです。体をゆらしてフットワークをきざんでいます。ときどきパンチを連続でくり出しては、不愉快な音を立てていました。
「やめてよ!!」
 私は昨日のお父さんよりも大きな声を出して、お母さんに叫びました。お父さんがいないのは気配でわかりました。
「どうしてあのケージを使うの!!」
 お昼ごはんの準備をしていたお母さんは、少ししてから言いました。
「だって、それしかなかったから。ごめんね、もちろん気持ちはわかってるけど」
「なんにもわかってない!!!」
 私はあまりの怒りに頭がヘンになって、ケージに突進しました。真っ白でかわいいパナポに似合うと気に入ったハート型に飾られた扉、それをあけて、ケージごと抱え上げて、これでもかと乱暴に振り落としました。
 グローブをしているバイソンは、つかまることもできずに床に落ちました。体を丸めてうまく着地したので、私の口から大きな舌打ちが出ました。反射的にふみつぶそうとしましたが、しゃがみガードで対応されました。
 バイソンはジャンプしながら下がって、ソファの下に入っていきました。私はいつの間にか涙をぼろぼろ流していて、はしたなく怒りのこもった肩で息をしていました。どうしようもなく震える呻きが喉から洩れました。
 見かねたお母さんが手をふきながらやって来て、ソファの下に手を入れてバイソンをつかみとり、そのまま窓を開けて、庭へ放り投げました。お母さんの手の中でバイソンはこんな体勢をしていたので、私はまた腹が立ちました。

 数年後、野良で大きく育ったバイソンは町の噂になって、ときどき人が襲われました。
 私も、中学生になってバランス悪く背が伸びてセーラー服だけ妙に似合うようになった時、一度だけ、町でバイソンを見かけたことがあります。
 バイソンは、おじいさんをワークマンの駐車場のフェンスに追い込んで、ハメていました。そばに吉幾三のバルーンがつぶれてへたっていて、広い駐車場に反響した打撃音が、道を挟んだ反対側にいる私の耳にも届きました。
 バイソンはその場でフラフラと目を回しているおじいさんから後ずさって距離を取ると、突然、私の方を短い首だけで振り向きました。
 たくましく密集した肉の隙間から差すその眼光に、私の心臓は止まりそうになりました。
 バイソンは前に向き直ると、力強く一歩踏み込んで、体を前に滑らせて捻りながら、おじいさんに強烈な右ストレートを見舞いました。
 後ろに飛んで、ド、ドウと重たい音を響かせて事切れたおじいさん。しばらくバイソンはフットワークをきざんでいました。それから、おじいさんとフェンスをいっぺんに飛び越えて見えなくなりました。
 私は、しばらく呆然と立ち尽くしました。
 バイソンは私に復讐しているんだ。捨てた私を恨んでいるんだ。
 やがて、スギちゃんを見ても「同じだ」と吐き気を催すようになった私は、「こうもたくさん死人が出ては……」と怯えているお父さんとお母さんに言って、高校へ進学すると同時に引っ越しました。
 ですが、近頃、夜になると、誰かが壁際で延々ハメられている音や、「YOU LOSE」という誰かもわからない外人のこもった声が聞こえてくるのです。