宮崎駿の「風立ちぬ」を見て
まず、僕は何かの感想として、極、極、個人的な感想というものが書きたいと思いました。
誰にとっても同じ意味にならないよう、それ以上ゆるぎない言葉でもって固定しないように気をつけたいと思いました。
批評でもあるまいし、作品の感想というのは、酷です。赤面します。
そうでなければ、張り子の虎でしょう。
そんな人は、ババぬきをしなければいけないのに、七並べをしているのです。
決して書きたくない「何か」から逃げながら書くとしても、何はともあれ逃げおおすために、途中でそれが覗いてしまうこともあるかと思います。
無論そんなのいやですけれど、七並べを見せるよりはましでしょう。
まず、僕が「風立ちぬ」上映10分前にシアター7のK-12に腰を落ち着けた後、必死こいて無印ノートに一部書き始めた歌詞の、その後こぎつけた完成形を見ていただきます。
東京都北区悩ましく胸の騒ぎはドッキリか!?
恋の要はRelax されどさながらT-REX
落ち着けるはずあ~りません
ほれた? はれた? 弱気になるな!
ガブガブ足から食べられちゃう!(ガオー!) お気にのパンプスだったのに!
恋はわからぬものなのです……
出会うが最後の恋のパリダカ
一体ワタクシいつまでもつやら
ハイオク万円ボディに投入
頭にニンジンぶら下げて
万馬券なら負けて元々 負けられないの…!
私気づいたの 恋に気づいたの
メロンソーダに乗っかって甘く切なくはじけて回る
まるでメリーゴーランド
楽しい不安にとじこめられて
ぐるぐる溶けて残るのは……Ah 愛わよ
どこからともなくやって来る波に乗ったらシンデレラ!
聖なる鐘はゴングの音 王子様との鉢合わせ
時計見る暇あ~りません
投げた! 走った! バッター打った!
ボヤボヤしてたら落っこちる!(ドボン!) スクール水着じゃダメなのか!?
恋は叶わぬものなのです……か?
火花が散るのね恋の鈴鹿に
絶対曲がるのヘアピンカーブは
ウィンブルドン アガシにサンキュー
頭にバンダナ巻き付けて
どんな時でもドッジ弾平 負けられないの…!
私わかったの 恋がわかったの
ア・ラ・モードに乗っかって甘く切なくとろけて刺さる
まるでバニラウエハース
乾いた声にスプーンとめて
サクサク耳に残るのは……Ah 愛わよ
○○○したり顔 ペロリ出す舌の
ハッピーライクにはにかんで君をまともに見れずうつむく
まるであの日のマリリン
恥じらいまとって心には ……Ah 愛わよ
「愛わよ」はこのたび見事に上京された小野ほりでい氏に何も言わずに借りています。いい言葉です。最後のところは、アーサー・ミラーと結婚会見した時のマリリン・モンローのことを言っています。
Marilyn Monroe & Miller - Marriage announcement ...
「風立ちぬ」は凄くよくて、何がよかったと言って、これぐらいやっていいという励ましになったことが全てで、僕は今、人間関係を断って、自分のある一時期、一年に二言三言しか喋らずブログの更新ばかりしていた大学時代を思い出そうともがいているところ、なんて事情はどうでもいいけれども、所詮は畳水練、人は今、今のやり様で努力するほかなく、そんな自分に「風立ちぬ」を見せたら、ああ自分のやりたいことはそんなにやっていいんだと心が洗われるようだった。
震災や親切や戦争や家族や友情や恋、果ては愛までもが、風が吹くように現われ、また凪ぐように身を潜めるのに比べて、その夢だけが、風が吹こうが吹くまいが、空を駆けてゆく。
かと言って、その様は熱に浮かされたように熱中する様として描かれるわけでもなく、その歴史的正当性と、死ぬ前から完成している自伝的必然性において説明を省かれる。我々はそういう人間なのですから、そう生きるのですという風に。
こんな傲慢な話は無いが、それが本当だとも思う。
だから、「生きねば。」の興味は己の中にしかない。大勢の人が死んだとしても、愛する人が死んだとしても「生きねば。」と言うよりは、夢を成し遂げてしまったとしても「生きねば。」なのだ。その句点は、人の忠告を払いのけるだろう。
こんな傲慢な話は無いが、それが本当であれとも思う。
きっと、分かれ目は、妻のために一つの手を捧げることの、この事の大きさをどう考えるかだろう。
フランツ・カフカは「知的な仕事は、人間を人間の共同生活から引き離す。手仕事は逆に、人間を人間の仲間へと導きます。」と若人に語った。
飛行機の設計は知的な仕事だろうか、手仕事だろうか。アニメーションは? カフカの頃にはアニメーションなど無かったし、それらがいかなるところへ身を置くのだろうかわからないけれど、「知的9の手仕事1」ぐらいに落ち着けるとして、その作業に没頭する中で片方の手を捧げることが、一番の愛でいいじゃないかという奇妙な気分になっていた。
芸術家とは、最上の生活は如何に生きねばならぬかを知っていて、自らがいかに拙い生き方をしているかに気づいているものだ。芸術家とは、自らがその生き 方で失敗していると知っていて、しかも何か美しいものを創り出すことによって、その悔恨を癒している者である。ところが俗人とは、生き方を誤っているので はないかと疑いながらも、ゴルフや恋愛や商売で成功を収めれば、それで結構なぐさめられるような連中である。
(ワイルダー)
彼にとって、片手を捧げる「ぐらい」が、タバコを我慢することにも勝る愛と献身の証明ということでご勘弁願えないだろうかと、隣の婦人に、退屈そうな子どもたちに、申し開きをしたかったのだった。
身にしみるのがみっともない。
そういうことをひとまず考えたあと、とりあえず至急、歌詞を完成させなくてはならないと、シネコンの待ち合いロビーのソファに座り、極彩色に囲まれて、2番を書いていた。
何のためになるかは知らない。こんなことをそろそろ10年近くもやっていることの意味を問うことも止めてしまって、ただやっている。
と書いてみるぐらいの墨は虚栄心の残り滓でも作れるようだけれど、そんなことだって、もうどうでもいいのだ。試行と時代を錯誤しているうちに、一切の時間は過ぎていく。
種に水をやったら育って花が咲くのが不思議になる今日この頃ではあるけれど、つまり、それが手仕事の正体なのだろうと思う。
だから、「風立ちぬ」では、おおよそ知的な仕事である設計が終われば、飛行機はすぐに出来上がってしまう。もう次のカットではテスト飛行に向かうべく牛に牽かれている。手仕事は省略されるしかない。
宮崎アニメで、これまで、特に少女たちは不自然なほどによく働いていた。誰もが手仕事に精を出し、人間の仲間へと導かれていった。人間でないことも多かったが。
今回はきっとまるでちがう。二郎のする妹への扱いや、子守の女への態度を見るといい。
描かれるのは、知的な仕事への陶酔によって、誰より共同生活から引きはがされた人間である。だから彼は震災に動じることもないし、療養地でのみ日常的な振る舞いをすることができる。カストルプが言うように。
だから、彼のロマンスは、そうしたサナトリウム的別荘でしか起こり得ない。そこで彼は一時的に夢を取り上げられた状態でいるからだ。彼は病によって共同生活から切り離された女性を愛する。
二人に関係無い人だけが、ときどき手仕事を覗かせる。世話になれど、関係を作る気など二人にはない。手仕事、つまり人間の営みから離れた場所で彼らは生きるほかない。
宮崎駿は、そのように生きる人間を「いい青年」と呼んではばからない。
僕はうらやましく思った。「いい青年」になりたいと思った。
知的な仕事が手仕事に持ち出されるのは我慢ならない。
完成させる意味がわからない歌詞を書きながらそう思って、知的な仕事に従事している気らしい。安いものだ。
個人的な場でならともかく、みんなの前で「よかったです」「ありがとう」の二語を交わしただけで、手仕事の垢がつくような気がしてならない。
ずいぶん感傷的になって良くない。
それはそれとして、褒める時は、知的な仕事にするしかないと考えている。
考えているだけだから、みんなは気にしないで欲しい。
なんだったか忘れたが、斎藤環が「非特異的な称賛は、特異的な批判よりもはるかに悪質である」と書いていて、彼によれば「創造的肯定>創造的批判>無視>読まない>紋切り型肯定>紋切り型批判」だそうだ。
そうだと思う。そうだと思うが、そうだと言う意気もまた削がれている。
しかし、何を思うからそうだと言えないのかがわからない。
でも、こういうことは思う。
そんなことをしていたら全員、のたれ死ぬ。
でも本当は、全員、のたれ死ぬべきだと考えている。
人を見て、のたれ死にはしないだろうなと思うその時、僕はいちばん悲しい気がする。
二郎が長生きしようと、どの道、のたれ死にである。
カフカは終生、まともに日の目を見なかったが、ってカフカの話ばかりするのはまた全集を読み直しているからだ。
カフカはまともに日の目を見なかったけれど、書き続ける生活を続けるために二度の婚約破棄をした。結婚すれば、夜を徹して書く時間が失われる。結婚というのは、列車の窓際に座れなくなるし、夜通し書く時間もなくなるし、墓場で大変らしい。
「ぼくはきみなしにはいられないが、きみとともにも生きられない」とカフカは手紙に書いている。
読みながら、のたれ死ぬぞと思う。
カフカはサナトリウムで知り合った女性に、別のサナトリウムで看取られて死んだ。
○○○したり顔 ペロリ出す舌の
ハッピーライクにはにかんで君をまともに見れずうつむく
まるであの日のマリリン
恥じらいまとって心には ……Ah 愛わよ
歌詞の○○○のところが思い浮かばなくて困る。
誰も望まないのに困っているのはどういうことか自分でもわからないから、自分のためにやっているのだと必死に考えるらしい。
孤独が極まり張り裂けた片身が、孤独な自分の相手をしているのだ。
マリリン・モンローはバカな女のレッテルを張られていたけれど、劇作家のアーサー・ミラーと結婚して、そんな自分を変えるチャンスと考えていたということになっている。
あるインタビューでマリリンは「音楽はお好きですか?」と訊ねられ、得意げにこう言った。
「ええ好きよ。ジャズはルイ・アームストロング。クラシックならベートーベンがお気に入りね」
以前の彼女なら考えられない返答に、記者は舌なめずりして、しかしにこやかに訊いた。
「ベートーベン! ではどの作品がお好きですか?」
たったこれしきのことでマリリンは絶句してしまう。助けを乞うように隣りにいた夫アーサーを見つめた。が、頼りのアーサーはパイプをくわえたまま視線をそらし、彼女を無視した。
○○○のところが思い浮かばなくて困る。
But please don’t tread on dearest marilyn
’cos she’s not very tough,
She should have been made of iron or steel,
But she was only made of flesh and blood.