うちで飼ってたヒグマ
この春、いつも明るい金持ち二百二階堂家の白い大理石は心なしかくすんで見えた。
問題は、飼っているヒグマのドベリンである。ドッジ弾平ぐらいの大きさだった小グマちゃんのころから育ててきたドベちゃんは大事な大事な家族だったが、かなりの難病にかかっていた。
まずメスなのに金玉みたいなのができた。金持ちだからという理由でやりたい放題の一人息子ミツオがいじっていたらどんどんどんどん大きくなっていった。ドベちゃんの方でも気になるのか夜中とかに隅の方に座って飽きるまでいじっているものだから、どんどんどんどん大きくなっていった。そのうちこっちが笑ってたら、ドベちゃん足を横に開いて自分から見せるようになった。こっちも機嫌よくなり手を叩いてメンドリとかを投げ与えていたら、そのうち器用に前足使って引っ張るようになった。笑って笑って「かしこいね。かしこいね」と言ってメンドリを与えていたら、エスカレートして引っ張ったまま両手で丸めて転がすようになった。さすがにそこまでやられると苦笑いしてとりあえずメンドリだけ与えていると、ある朝、ドベちゃんは高熱を出して起き上がれなくなってしまった。悪性の腫瘍だった。
「ドベちゃん。苦しい?」
ミツオの声はドベちゃんには聞こえなかった。
ヘリコ(プター)の音がでかすぎるのだ。自家用ヘリの窓からは二百二階堂家の豪邸がお豆のように見えた。
「ドベちゃん! 苦しいんだろ! な!」
ミツオは今度はでかい声を出した。甘やかされて育ったからこの状況なのに少しイライラしていた。それでもヘリコの音にかき消された。
でもドベちゃんはさすが動物、ミツオの目を見て優しくアググとうなった。そして両の前足をゆっくり股ぐらへ動かし、金玉みたいな腫瘍をいじくろうとした。
「いいんだよ! もういいんだよドベちゃん! ありがとうね!」
実を言うとすでにドベちゃんの腫瘍はヘリからはみ出すほど巨大なものになっていた。両側にはみ出しているのだからすごい。
ドベちゃんは力なく前足をキリを使うようにこすり合わせた。そして少し笑った。
あと1分で死ぬな、とミツオは思った。だから操縦桿を握る執事に向かって無線を飛ばした。
「森本、今の高度は?」
「十分です、坊ちゃま」
「よし!」
ミツオはヒグマを蹴っ飛ばした。乗り込み口から腫瘍が片方ズルリと垂れ下がり、やがてヒグマも出てしまって、あとはズルズルもう一個の腫瘍も引っかかりながら落ちていき、ついにスポンと抜け落ちた。
「空中で死ねよ!」
上から真顔でドベちゃんのダイブを見るミツオ。
落ちていくその画を見て、ミツオの背なに嫌な予感が瞬間的にまとわりついた。
ヤバいこれはヒいてしまうかも…て言うかもう……かなり不安になったミツオは森本の方を振り向いた。
森本も同じことを思っていたのだろう、何も言わずに汗だくの顔で懐から銀の吹き矢を取り出した。窓から顔を出し、吹き矢をヒグマに向ける。ここで全然1つもリアクションがないのが事態の深刻さを物語っている。
突き落とす時の台詞も悪かったな……ミツオはそんな後悔にかられつつ、神にすがるように森本を見ていた。
でもやっちゃったものはしょうがない。ひどいことを言って突き落としてしまったのは事実だから。なんとか笑えるか、泣けるか、というようなことにしないと相当まずいことになる。頼む! 頼む!
フッ! フッ!
針が二本、間をおかずに物凄いスピードで死にかけ落下中のヒグマに向かって行った。
そして腫瘍に命中したのだろう、外側の膜が一瞬にしてシャボン玉のように消え、破裂した。
「よし!」
中からは白い団子のようなものが現れた。それはドロドロしていたが、やがて一つ一つほどけていき、空中に糸を引いてゆっくりと散らばった。時々赤いものが混じっている。
「メンドリだ。あれは僕たちが与えたメンドリだ……」
二人とも苦虫をかみつぶしたような顔で、だんだん小さくなるそれを見つめていた。
この時の森本の険しい顔が今もヘリの窓に焼き付いていくら洗っても取れないでいる。
【教訓】こういうデリケートなことで冒険すると必ず失敗するし、凄くいやな気持ちになる。