浜さん

 勤続20年「犯人、悪い奴だったな〜」と思っても、数日経ってみると、「意外といい奴だったかな?」と思うことが多い。
 しかし、その男は今も、俺と吉村の中では悪い奴だった。とびっきりの。
 俺が刑事になった時のことをまだ覚えている。その日、朝起きて、パンにバターとブルーベリージャムを塗って食べ、歯を磨き、真新しいシャツに袖を通し、寮を出て、前日に買った定期券を改札に通し、電車の三両目に乗り、警視庁に着くと、いきなり、入り口のところで肩をこれでもかと強くたたかれた。「あんちゃん、もうちょっと隅っこ歩きなよ。みんなのこと見て勉強したけりゃさ」驚いて振り向くと、伸び放題のヒゲに浅黒い肌の男。においのきつい煙草をくわえ、ボロボロのトレンチコート、穴のあいた革靴。それが、浜さんか山さんだった。俺と浜さんとの出会いだった(話しかけてきたのが浜さんだった場合)。
 浜さんは山さんとキャラがモロにかぶっていた。まったく同じ格好をして顔も似ていたが、二人とも、俺がオリジナルキャラだという顔で、堂々と過ごしていた。よく、イスの上にひざを立ててスーパーカップを豪快にすすっている姿を見た。昼時、二人同時にそうしているのを見た。
 山さんが西村京太郎みたいな偉大な小説家になると言って退職した時、一番喜んだのはよく山さんにどやされてカバンに発砲されていた吉村だったろうが、その次は浜さんだっただろう。
 でも、それから一ヶ月もしないうちに、浜さんは死んだ。浜さんは、無言のまま昇進し、遠い存在になってしまった。
 浜さんの最後の言葉を犯人が口にした時、俺は「ふざけるな!」とぶん殴った。止められながらも、二発、続けて殴った。
 あの日、ブサイクな、でも結婚してる女と引き替えに人質になった浜さんは、ブサイクな女と同じように、パンツ一丁で亀甲縛りにされて、何がどうなってどういいのかよくわからない金持ちの家の天井にゲーム感覚でついているクルクルまわる風車みたいなものにワイヤーでつり下げられ、クルクルまわったまま感電死した。
 その部屋は二階にあったが、俺たちにはぶら下がった浜さんの姿が見えた。浜さんは何度も、ケツの筋肉をピクピクさせることで俺たちに無事を伝えたが、わかりにくかった。
 80回目のケツ筋がピクピクピクピクし、俺たちが「もういいよ浜さん! 浜さんは最高だぜ!」とだんだん面白おかしくとり始めた時、突然、クルクル回っているやつから煙が上がり始めた。さらには、浜さんの体からも。
 思えばそのとき、浜さんはすでに感電していた。ケツがピクピクピクピクしていたのは、浜さんが感電していたからだ。
「何か言い残すことがあるか」スイッチを入れる前、犯人はそう言ったらしい。
「男は黙って感電死」
 浜さん、ふざけるな。浜さんのキリスト教式の葬儀には、署長も訪れて賛美歌を歌った。
 その後、俺と吉村が署に残されていた浜さんの遺品を持っていった時、その話になった。
「あの人は、『サブウェイ・パニック』が大好きでした」
 奥さんはそう言って辛そうに目を伏せた。サブウェイ・パニックでは、ブルーが黙って感電死する名シーンがある。
「ちなみに、タランティーノの『レザボア・ドッグス』でメンバーを色の名前で呼びますが、あれは「サブウェイ・パニック」をオ……オマージュして……う…うう……」
 泣き崩れる奥さんを介抱して、俺たちは浜さんの家を後にした。
「浜さんはさ、俺が山さんにカバンを撃たれた次の日になると『このカバンいらないんだけどさ、あんちゃんにくれてやるよ』なんて言うんだよ。十回ぐらい同じようなこと、あったな。四回に一回は、値札がついてたよ。洗濯板の裏に100万円が貼りついてたこともあった」
 吉村は涙目を振り切るように無理に笑った。そして突然その目が冷たいものにかわった。まっすぐ前を見据えて続けた。
「ホワイト、奴の刑期は?」
 俺は答えた。
「30年だ、ブラウン*1
「すぐ死んじゃうじゃねーか!」


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*1:マドンナの「ライク・ア・バージン」の話をしてすぐ死ぬ、タランティーノ本人が演じる役