今日食べた天屋の天丼500円

 一部のファンにコアな人気を誇る料理番組が、午後七時、家庭のメシ時をねらってBSの99チャンネルで放送されている。
 今宵も、炊きたての米をのぞきこんだ挑戦者板前「葉っぱ拭太郎」の、見るからに掃除していなかったメガネがパリンと割れ、白米に突き刺さったり、インタビューをしている汗っかきアナウンサーのハンカチがはらりと落ちて、冷麺が3秒間、しみてうっすらとしか見えなくなるなど、すでに会場は大盛り上がりだ。
「見ろ! 挑戦者、エビフライにとりかかるぞ!」
「取り合わせはともかく、見ものだわ!」
 しかしまあ、まな板や材料をとどこおりなく準備し、今度はまともかと思いきや、解説が気づいた。
「あのまな板の上ね、あそこにとっちらかっているのは、あれは、消しゴムかすだね」
「消しゴムかす!」観客が繰り返した。
 中国製液晶画面に映し出されたのは、消しゴムのカスだらけのまな板。よく見ると、筆算のあとと、へたくそな美少女キャラみたいなものも書いてあった。
「インドネシア産ブラックタイガー、入ります!」
 エビの入った白プラッチックを抱えた挑戦者が、大していいエビでもないのに原産地まで声に出して言う中、まな板の筆算がズームアップされた。


    エビ
     卵
   パン粉
 +   愛
―――――
 エビフライ


 エビフライの「ラ」の右上には小さく2と書かれており、愛の力で繰り上がっていることがうかがえた。
 解説者はそれらすべてをふまえた上で、涙ぐみながら語り始めた。
「葉っぱ君はね、おそらく昨日ね、まな板の上で勉強したんですね。おいしいエビフライを作りたい、その一心で一生懸命勉強したんですね。しかもね、ほら、アニメの女の子みたいなのも描いてるでしょう。あのテンションはね、100パーセント深夜ですよ。今日の彼ね、徹夜してますよ」
 なるへそそう考えればすべてのつじつまが合う。番組冒頭から不機嫌そうに黙っていると思ったら、そして、「あいつはどんだけ司会者に『風呂入った?』って聞かれるんだよ」と思ってたら、徹夜だったんだ。
「そして・・・そんな消しカスだらけのまな板に・・・」
「むき海老をためらいなく置いたーー!」
 今日一番の盛り上がりを味方につけ、海老が消しゴムかすまみれになった。そして今気づいたが、挑戦者の小指沿いは、真っ黒だった。
 その小指沿い真っ黒列伝を目の当たりにし、それまで小上がりで座禅を組んでいたチャンピオンが突然立ち上がった。身支度を整え、動き出した。
 その一挙手一投足に注目が集まる中、チャンピオンは、厨房に立ち、深々と一礼した。神々しさすら感じられるその立ち居振る舞いに、誰もがほれぼれした。
「清潔な格好・・・」
「手入れの行き届いた包丁・・・」
「整然と並べられた一流食材・・・」
「でも、でも・・・」
「手伝ってる弟子がきたねえ!(ワッ)」
 頼みもしねえのにマグロをへこむほど押さえつけ、サラダをひっかきまわす不潔な弟子の黒々とした爪がアップになるたび、会場はわいた。
 しかも、胸の「いつから使ってんだ」という傷だらけのプレートに『三代目糞しぶき食べ之助』と書いてあったのでなおさらだ。よく見るとこいつは、さっきの休憩中、チャンピオンの横で、初代ゲームボーイをやっていた奴だ。
「さぁ〜て、帰ってカラーボックスを組み立てるか」
 この番組の大ファンであり、手厳しい批判家でもある黒川は、大げさにそう言うと、ここで会場を後にした。周囲の人間がざわめいても、会場が盛り上がっても、一度も振り返らなかった。
 これは、たとえるならば、野球見に行って8回表で帰る男の美学である。空いている電車に乗るメリットを超えるような出来事はもう起こらないと決めつけるこの美学、確かに大間違いであることも多い。古い例になるが、うちの家族が帰ったあと、日ハムのウインタースが逆転3ランを放っている。
 それでも、黒川は許せなかった。ここまでこんなに楽しくやってきたのに、最後はエスカレートして、うんこばっかりでてきて、最終的に5人の審査員のうち、3人半がスカトロ(1人は「薄めれば食べれる」)だったことから、チャンピオンの勝利となる、ウィキペディアに載るほどおきまりの流れが、黒川は大嫌いだった。