東京ドームの集い

 普段なら5万人ぐらいでいっぱいになってしまうはずの東京ドーム。しかし今日は、すでに8万人がトレーディングカードをもらって入場済みだというのに、たくさんの警備員(バイト)が、土砂降りの豪雨の中、
「詰めろ詰めろ!」と大声で叫びながら赤色棒を素振りしていた。
 人々の手にはもれなくマクドナルドの紙袋が提げられている。一人、傘の取っ手に袋をかけたら、そのへん一帯で流行った。
 しかし、いったいどうしたというのだろうか。気でもふれたかのような本日の東京ドーム、それを見つめる冷静な目は上空にあった。
「この街(東京ドーム・シティ)は狂っている」
 びしょ濡れのカラスは、そうつぶやくと、一路山梨へ向かった。実家だった。
 今、東京ドームの断面図を見てみると、おいなりさんみたいだ。カラスはそう思って実家へ帰ったのだ。しっとりした米粒と化した人間にもう用はなかった。
 一方、東京ドームの中はおいなりさんって言うか地獄だった。客席はもちろん、グラウンド、ベンチ、売店コーナーにいたるまで、マクドナルドの紙袋を持った人々で埋め尽くされていた。彼らは、うめきながら、それでも少しずつ奥の方へ奥の方へ詰めていった。
「狭すぎるぞ!」「いったい何をさせる気なんだー!」
 そろそろ限界か? いよいよ9万でギリか? という頃、オーロラビジョンその他のモニターが一斉についた。
 仕事のできそうな背広のおじさんが映し出され、「金銭的余裕」と書かれた扇子をぱたぱた振りながら、
「みんなご苦労。俺は吉田だ。飲み物、飲んでいいぞ」
 と話しかけてきた。
 みんな歓声をあげながら、隣同士わずかな空間を利用して、紙袋をガサガサ広げ始めた。
「みんな、ちゃんと一人ずつLLセットを買ってきてくれたようだな」
 話なんか聞かず、もう、あちこちからズゴゴゴゴ、ズゴゴ、という音が響き渡り始めた。大人になったらもうあんまり頼まないLサイズなのに、すぐに下品なガマガエルだらけになってしまった。モニターは再び消えた。
 30分後、東京ドームに10万人足らずの人間が詰め込まれた。誰もが限界に近づいていた。当たり前のようにみんなイライラし始めた。こんな狭いところに閉じ込められるなんて、聞いていない。実は聞いていたが、こんなに苦しいとは聞いていないということにして、怒号が飛び交い始めた。
「責任者を出せー!」「冷房を強にしろー!」「ポテト少し食べるよ」「冷房ー!」「冷房ー!」
 またモニターがついた。
「吉田だ。みんな、落ち着いて、入場する時にもらったMICHEALのトレーディングカードを見て欲しい」
 三十秒後、吉田は言った。
「実はそれ、500円分のマックカードになってます」
 ざわざわ楽しそうな音がして、その場はおさまった。
「あと4000人入るから。あと冷房は寒いって言ってる人もいるから」
 モニターが切れても、みんなマックカードをながめていた。
 さらに30分後、性懲りもなく、立ってられない満員電車の子供みたいにぐずり始めた人々の文句がまたも反響し始めた。今度のはもっとひどかった。
「我々を解放しろー!」「吉田ー! ふただー! 東京ドームのふたを開けろー!」「マックカードもっとよこせ吉田コラ」「吉田ー! 金くれー!」 
 今度はなかなか音沙汰がなく、ライトフェンスのあたりで子供がおしっこを漏らした頃、たまりかねたようにモニターに浮かび上がったのは、吉田ではなく、パジャマ姿のおじさんだった。
「みなの者、済まない。今おきた」
 わけのわからない東京ドーム10万人は、声を荒げてパジャマをののしった。かつて日ハムが本拠地にしていたころ、東京ドームはもっと静かだった。
「会長」
 画面上、パジャマのおじさんの右上に突然出てきたワイプから、吉田が声をかけた。
「お、てめえ吉田!」「説明しろー!」
 吉田が何かしゃべろうとするのを、会長と呼ばれたパジャマが、私から説明する、というように首を振って制した。そしてゆっくり、貫禄と親しみのある声で話し始めた。
「今回、みんなに集まってもらったのは他でもない。私の長年の夢……もしも東京ドームのドアを開けたときの風圧がマクドナルドのにおいだったら……を叶えるためだ」
 一瞬にして、東京ドームは静寂に包まれた。何より、エレベーターに乗った瞬間に前の奴マクドナルドだなと鼻が名探偵になる時の約10万倍のマクドナルドのにおいで包まれていた。こうなってくると、本社と呼んでもよかった。
「だが、今おきた」
 会長が言って目を閉じた。てりやきバーガーセットで乗り込んだ11歳の少年は、タレまみれの口もそのままに、じっとモニターを見つめていた。
「雨も降ってる」
 目を閉じたまま、だるそうに会長は頭をかいた。
「私は、みんなから尊敬される、若手の気持ちがわかる金持ちになりたいと思ってる。尊敬される金持ちとは、パンピーが見通せる金持ちの限界の向こう側まで札束を積み上げた人間のことをいう。そんな人間は、20億円かけた暇つぶしを最後までやり通さなくても、まぁいいかで済ませることができる」
 みんな、何を言われてしまうのか不安になったが、モニターを注視するしかなかった。低所得者だからだ。低所得者は東京ドームにすし詰めにされて、行く末を金持ちの気まぐれに任せることしかできないのかどうなのか。10万人がその瀬戸際にいた。
「それが私だ! 解散!」
 映像が切り替わり、ダイナミックな音楽とともにジャイアンツ選手たちのファインプレーが流れ始めた。