高校でもう一人暮らし

 ヨシユキは明日の英語のテストに出てくる単語を、文房具屋で絶対売っている単語カードで覚えていた。「僕の字はきたない、そしてバランスもわるい」という男子学生の悲しい気持ちが夜の鳩胸にこだまする。「右のほうがすごくあまっている」
 ヨシユキは高校生なのに一人暮らしという夢のシチュを手中に収めていたが、このマンションには一つ問題があった。
「味噌汁にエビの頭入ってたら、嬉しない!?」
 天井の丸いふたがパカッと空いて、逆さに顔だけ飛び出してきた関西人が、大声で問いかけてくるのだ。
 言い終わって引っ込むと同時に、パタンと音がしてふたが閉まった。
 ヨシユキはもう慣れたものだったが、明日はテストだし、いい加減にして欲しい気持ちもあった。でも気弱だった。だから黙っていた。403号室は最悪だった。
 その時、仰向けになったヨシユキのちょうど真上に関西人が出た。正直どこからでも出てくる。
「電話ボックスで寝てるホームレス、かしこない!?」
 ふたが閉じるのを、ヨシユキは黙って見ていた。
 あの日から関西人は出ていた。一度だけ会ったことがある義父と一度だけ部屋の下見に来た時も、関西人は飛び出してきていた。
「わしゃメカクッパか!」
 他の部屋を見ることなくここに決めてしまいたがっていた父は、不動産会社の女と一緒に、見て見ぬ振りを決め込み、二人してクローゼットをのぞきこんだ。そして、ヨシユキもまた言い出さなかった。こんな人が顔出してくる部屋で暮らせないよ。言い出せなかった。黙っていた。
 人は変わる。関西人のパターンだって、あの頃とはずいぶん違う。もう四回目のマイナーチェンジで、これはヨシユキの思いだが、少しずつ少しずつテレビ向きに、徐々に徐々にR1狙いになってきている。
 人は変わる。
 僕はどうなんだろう……僕は……。
 しばらくして、また、エアコンの近くでふたがパカッと開いた。
「巨人のマーク入った麦わらあったら、欲しない!?」
 パタン。
「……individual」
 ヨシユキは無理に寝返りを打ち、答えをつぶやき、暗記に集中する。その振りをする。
 パカッ。
「リモコンの8チャンはともかく9チャンの反応悪いの、おかしない!?」
 パタン。パカッ。
「今の、長ない!?」