マーダー・キートン山田のお笑い殺人ライブ

 依頼主の、ナンシー関のような女社長はまだ疑っていた。20Pにわたる多色刷りパンフレットを読み終えてもなお、こう言うのだった。
「笑い殺すなんてことが、ほんとに可能なの?」
「殺せますとも、ナンシー。不肖マーダー・キートン山田のお笑い殺人術は、パンフにも書きましたが、成功率98%です。殺せなかった場合は、2億円全ていただきません」
「ナンシー?」
 訝しげな女社長を見て、マーダー・キートン山田は、机に置いてあった未開封の赤いきつねを手にした。おもむろに床に片膝をつき、鼓のように赤いきつねを構えた。八秒間と少し間をとって、ポン、ポポンと叩き始める。そして歌舞伎調に声を張った。
「マクドナルドのポテトで、時たま変な味するヤツあ〜るぅ〜」
 女社長はハリセンボン(芸人)みたいに体をのけぞらせてゆっくり手をたたき、声を立てない笑いを笑い始めた。
 キートンは冷めた顔でデモンストレーションを終え、赤いきつねを、もう顔も見たくないというふうに裏返しに置いた。
「笑いは絶対的なものじゃない。赤ん坊がいないいないばあだけで笑うのに5歳児は笑わないように、笑いの感性は成長していき、果ては分岐していきます。いい大人になれば、それぞれ笑いのツボは違う。お太りになって歌舞伎や狂言を一回ずつだけ見に行ったことがあるぐらいのあなたみたいな女なら、マクドナルドあるあるを赤いきつね使って伝統芸能で言えば笑うだろうと踏んだのです。笑いのツボは知識や経験によって作られるんですから、それを利用すればいいのです。ならば、たった一人の人間について調べに調べて調べたら、どうです? がんばって徹夜で、寝ないで調べたらどうです。好きなテレビ番組、もちろんバラエティだけじゃなく、ニュースからドキュメンタリ、スポーツ、クイズ、アニメ、戦国時代にタイムトラベルしてニュースっぽくしてる番組、とにかく全ての好き嫌いを網羅する。好きなアイドルから嫌いなコメンテーターまで、ターゲットの引き出しを無断で開けまくる。もちろん現実の机の引き出しも開けまくり、調べまくります。全ての情報を得るために、場合によっては飼ってるロボロフスキハムスターの生態までつぶさに調べたり、実際に飼ってみて同じ名前をつけて生活する必要もあるかもしれません。そうして初めてわかることがあるのです。いまどきNSCに通ってしまうような者たちは、そんなの必要ないと言うかも知れませんが、甘いのですよ。究極の笑いは究極に論理的ですが、非論理的な努力に裏打ちされています。だからこそ、究極なものはいつも非論理的に見えるのです。長い時間をかけて調査したそれら全ての大体はどうでもよさそうに見える情報という情報をもとに、たった一人のための笑いに特化した一時間のプログラムを作り上げた私の単独ライブに、100人の客のうちの1人としてなんだかんだで誘いこめば、お笑い殺人ライブの始まりです。逆に、これで笑い殺せないと考える方が論理的でないと思えてきませんか? 99人のサクラも、彼を笑わせるため緻密な計算に基づいて笑ったり笑わなかったり、全てが計算し尽くされています。しかし相手は人間ですから、綻びが出た時は経験のなせるアドリブで対処。もちろん証拠は一切残らない。なんといっても笑わせようとしただけですから…って聞いてます?」
 女社長はずっと笑っており、ようやく「息できないわ、できないわ」とうめいた。
「そんなに笑うなんて思いもよらなかったけど、ちょうどよいので説明を続けましょう。その状態が、一時間続いたらどうなりますか? そうやって呼吸困難で死ぬ方もいれば、過度の興奮による心臓発作で死ぬ方もいる。何かの弾みで植物状態に陥る方もいれば、原因不明で死ぬ方もいます。そう、尾崎豊みたいに」
 女社長の笑いが止まった。
「お、尾崎もあなたが……?」
 マーダー・キートン山田は憂いのある瞳を浮かべて、机に片手をついて後ろを向いた。そして顔だけ振り向くと、
「十五の夜ぅ〜♪」
 とモノマネした。女社長は、今度は声をあげて爆笑した。こいつは本当に、こいつは本当に人を笑い殺す。


 また太った女社長が控え室に訪れたのは、ライブが終わって一時間後だった。
「お待ちしておりました。私は失礼しますので、キートンとごゆっくり」
 付き人のまゆ毛のつながった男が一礼して出ていくのと入れ替わりで、女社長は中に入った。
「キャーーー!」
 叫び声に慌てた部下が外から「社長?」とノックしたが、女社長は「だ、大丈夫よ。なんでもないわ」と答えた。
「旦那さんならさっき運ばれましたよ。サイレンを鳴らす必要がなかったから、気づかなかったでしょう」
「死んだのね」
「笑いっぱなしの一時間でした。しかし、なかなかしぶとい方でしたよ。残り五分ってとこでヒクヒクしながら死にました」
「そう……そんなに笑ってた?」
「通常、開始5分でもう声は出なくなります。10分もすると口が開かなくなる。でも笑っているんです。ここで呼吸困難になってしまう方はすぐにお陀仏です。死ななければ、まだライブが見られる。なるべくそうしてあげたいのですが、どうにもなりません。幸運な場合、神経系が麻痺して脳だけが笑っている状態になり、恍惚の表情でピクピクしながら涙を流して息絶えます」
 女社長は神妙な顔で聞き入っていた。
「私は、あの人の笑う顔なんて一度も見たことが無いわ」
「笑いとローマ字で書いてごらんなさい。戦争と愛に分かれてしまうんですよ。その二つがあって初めて、人は笑うんです。あなた方に足りなかったのがどちらかは知りません」
 マーダー・キートンは喋りながら女の方に近づいてきて、1mのところで急に照れ隠しのブリッジをした。
「キャーーーー!」
 部下のノックの音。大丈夫、大丈夫よという返答。手を離して一度完全に仰向けに寝転がるのを経て起き上がるキートン。
「それで? 金は持ってきましたか」
「ええ」
 女社長は慣れた手つきでパンパンと手をたたいた。どでかいジュラルミンケースを一人4個、引越し屋かとばかりに持った部下が次々に入ってきて出て行って入ってきて、最後出て行った。マーダー・キートン山田を見た部下たちは、なるほどと納得したような顔を浮かべていた。
 ジュラルミンケースで部屋はいっぱいになった。計算よりも数が多いのは、1000万円分は500円玉で支払ってくれとキートンが指定したせいである。
「これで結構です。ちょっと待ってください。疑ってるわけじゃありませんが、一応詰め替えさせてもらいましょう。その棚の上に…届かないな」
 棚の上には大きなスーツケースが一つ横たえてあったが、身長153センチのマーダー・キートン山田には届きそうもなかった。かといって、太った女社長にも無理だった。
「部下を呼びましょうか? でも、そんなの一つに入るわけ……」
「ナンシー、私を肩車してくれませんか」
「ナンシー?」
 キートンは有無をいわさず、頭を押しこむように女社長を無理やりしゃがませ、背中からまたいだ。
「キャーーー! なま、生あたたかい!」
 もうノックはなかった。
「ほら立ち上がってください」
 女社長は言われるがまま、ふらつきながらもなんとか立ち上がり、キートンはスーツケースを頭の上に乗せた。
「オーライ、ナンシー、オーライです。ゆっくり」
 降りようという瞬間、キートン山田はまたがった体勢のまま女の首に足を巻き付け、女もろとも後ろ向きに倒れた。スーツケースが大きくはねて、壁にぶつかり音を立てる。
「キャーーー!」
 キートン山田は今までの穏やかな態度が嘘のように、首を絞め上げながら冷たく言い放った。
「とっとと帰りな、人殺し」
 さて、マーダー・キートン山田とそのライブについて、パンフレットに書かれていること以外、詳しいことはほとんどわかっていない。噂が謎を呼び、謎が噂を呼び、最近では、謎と噂が合体するくさい、棒と穴のパーツが見え隠れしている。
 ライブの客は全て特殊メイクしたキートンの親族である。全ライブの映像はDVDに残されているが、カギを五つも六つもつけた部屋に厳重に保管されており、部外者は絶対に見ることができない。キートンは7人いて、漫才からコント、吉本新喜劇まで対応できる。実は取り押さえて親族全員でくすぐっているだけである。
 これらはすべて単なる噂であり、謎である。しかし、パンフレットに載っていなくてもはっきりしていることもある。
 500円玉は貧しい子供たちに小学校の校門で配っているということ。ライブ後は必ず裸になっていて帰る直前までそのままということ。そして、小学校の卒業文集で、『将来の夢 みんなを最高に笑わせるお笑い芸人』と書いていたこと。それだけはわかっている。
 人には謎が魅力であり、笑いと死は永遠のテーマだ。だから、依頼人の99%が一ヶ月もしないうちに電話をかけてくる。
「はい、マーダー・キートン山田です」
「この間はお世話になりました。わたし――」
「ナンシーさん、どうしましたか」
「あの、実は……」
「あなた自身のための単独ライブでしょう、わかっています。しかし、その場合にかぎり全財産をいただきます」