博士とぼくの社会勉強「公共性の構造転換」


博士
「やあ、ユキオくん。性病はこれ全て自業自得。私は決して同情はしないよ」


ユキオ
「同情なんかいらないよ。その分ぼくはセックスを楽しんだ」


博士
「セックスとか言うんじゃない!」


ユキオ
「(え?)」


博士(不機嫌そうに)
「今日の勉強を始める。君は、ユルゲン・ハーバーマスを知ってるか」


ユキオ
「知ってるよ。フランクフルト学派の第二世代にあたる、二十世紀を代表する社会学者だ」


博士
「そうだね。じゃあ彼の書いた著作『公共性の構造転換』を知っているかい」


ユキオ
「一番有名なのだね」


博士
「そのとおり」


ユキオ
「……」


博士
「そのとおりだ」


ユキオ
「終わり?」


博士
「早く泌尿器科に行きたまえよ」


ユキオ
「もう午前中に行ったよ。ハーバーマスについてそれで終わりなの?」


博士
「……何が言いたい?」


ユキオ
「何か教えてよ」


博士
ハーバーマスという人がいて、『公共性の構造転換』という本がある。教えてあげただろう」


ユキオ
「知ってたよ」


博士
「知ってる知ってるって、本当に知ってたのか!」


ユキオ
「な……」


博士
「口だけならだれでも言えるんだよ。君みたいな性的にだらしない、性病野郎でもね」


ユキオ
「…んだとぉ……?」


博士
「だいたい、ハーバーマスだって『公共性の構造転換』だってこっちが言ったんだろうが! 君はハイハイ頷いて、訳知り顔をしているだけだ。ふざけるなよ!」


ユキオ
「そもそもフランクフルト学派の歴史は、1930年にドイツのフランクフルト大学の社会研究所をホルクハイマーが設立したところから始まる」


博士
「……」


ユキオ
「メンバーは全員ユダヤ人で、のちにナチスの迫害によって亡命している。ベンヤミンだけは自殺した。ちなみにマルクーゼは『自由からの逃走』で、人々が自由を自発的に捨ててナチスに従うメカニズムを分析している。さて、第一世代のホルクハイマーやアドルノは『道具的理性』による人間の自然支配を批判して自然との宥和を目指したけど、第二世代のハーバーマスは、それをユートピア的すぎると批判して自論を展開した。『道具的理性』に対してぶつけたのが『コミュニケーション的理性』だ。ここまで間違いはないね?」


博士
「……ああ」


ユキオ
「博士、『自由からの逃走』を書いたのは、エーリッヒ・フロムだよ」


博士
「……っ!」


ユキオ
「続けよう。ハーバーマスはコミュニケーション理性の発現の場としての公共圏を重視した。そこで、18世紀イギリスの、コーヒーハウスに注目する。自由主義を理念とする市民社会が生まれたことで、町のコーヒーハウスやサロンで、文学や演劇、音楽についての市民による文芸的批評・討論が行われるようになった。すると、それら文学や演劇などの商品取引の促進のために作られた新聞や雑誌の機能替えによって、政治的な議論も行われるようになり、政治的公共性のある空間にもなった。そうした市民的公共性が生まれると同時に、私生活圏としての親密圏も成立する。ドーナツができたから穴が生まれるような話だ。しかし、問題もある。その空間は出入り自由で公共的な空間であったわけだけど、女性は排除され、また下層民も上層民の圧力から参加することが難しかったんだ。でも、とにかく公共圏は存在していた」


博士
「……」


ユキオ
「ところが、19世紀になると状況が変わってくる。そもそも市民的公共性は、国家と社会の分離を基盤として、国家権力に抵抗する手段としての言論形成の必要から発展してきたけど、国家による介入政策が始まって自由主義が終わるんだ。これが、公共性の構造転換だよ」


博士
「……」


ユキオ
「そうだね?」


博士
「……」


ユキオ
「博士、そうだろ。答えなよ」


ミチコ
「こんにちは。二人とも、どうしたの? そんなふうに睨み合っちゃって」


博士
「なんでもないよ。ちょっと意見が対立したんだ。学問にはつきものさ」


ミチコ
「熱心なのね」


博士
「ミチコくん。学問を専門的にする上で、対立はとても不可欠な要素なんだ。一つの論があって、それに対立する別の論がある。その二つが対立して、ケンカしてケンカして、そしてお互いに何かいい考えを得るんだよ。私はこれを、雨降って地固まる論と名付けて、オリジナル論として広めようと思ってるんだ」


ミチコ
「……いや、弁証法でしょ?」


博士
「……」


ユキオ
「博士、そんなのいいからぼくの質問に答えなよ。ぼくが言ったとおりでいいんだろ。答えろよ」


博士
「……」


ミチコ
「どうしたのよユキオくん。そんなに怒って」


ユキオ
「お前は黙ってろ!」


ミチコ
「な、何よそれ! 何をイライラしてるの! バカみたい! なに、性病でも悪化したわけ!? だから機嫌が悪いんでしょ!」


ユキオ
「てめえがうつしたんだろうが! クラミジアぁ」


ミチコ
「……っ!」


博士
「…なんだって?」


ユキオ
「……」


博士(二人を見比べて)
「君たち……」


ミチコ
「……」


博士
「そうか君たち……君たちという奴は……」


ユキオ
「(こいつ……)」


博士
「私は……」


ユキオ
「(勃起していやがる……)」


博士
「今日はもう帰るよ」