ペンギン・ショック 〜あのわずかな静けさ〜

 本来はもっと寒いところにいるはずだろ!? というペンギンが手に手をとって横一列になり、関東沿岸部を取り巻くようにして泳いできて、やがて一斉に東京湾に突っ込んでくるところを想像したら映画化したくなった。

 ここで東京湾についてちょろっと説明しておく。東京湾の入口というのはかなり狭くなっている(右図)。もしも僕が大きいザリガニだったのならば、最初にここを住処にしたいぐらい入口がちょいってなっていて安心できる。江戸時代、かの亜米利加国ペリー提督もここのちょいってなってるところに当たって、思わずドラクエの船の感じで上陸してしまったという。その地名を浦賀という。
 しかし賢いペンギンたちは東京湾の手前までくると、午前三時の暗闇の中、それまで一列に並んでいたところを、統率のとれた動きでなめらかに八百列ほどの隊伍に組み直った。野生の勘である。
 さあいよいよ東京湾だと思ったところで、三千匹ほど思わず浦賀に上陸、急にBGMが変わってしまって大あせりだったが、他の何百万羽のペンギンは無事東京湾内に進入し、猛スピードで北上していく。
 そしてここが一番映画化したいところだけれども、押し寄せるペンギンの塊の前に広がる海原はるかかなたは高く大きくうねり盛り上がっている。
 そう、津波だ。津波が起こっているんだ。
 僕が体育のプールの授業のときいなかったはずのペンギンなのに、みんなで力を合わせれば波のプールが作れることを知っていたのも野生の勘で片付けるべきだ。人間のやっていることはみんな動物にバレている。
 今まさに波の高さは東京タワーの先っちょがやっと濡れないところまできていた。
 そして、赤道を越えて南の際っきわからお互いに声をかけ合いながら作り上げてきた津波が眠らない街東京を水の都にしてしまうと同時に、何百万羽のペンギンが次々に、次々に上京した。こうして日本は一夜にして世界80位ぐらいの国になった。
 しかし、ペンギンたちの目的はいったい何だったのだろうか。
 翌日、アメリカのメディアは、便利だ、通勤に便利だ、という顔で水没した東京メトロを縦横無尽に泳ぎ回るペンギンたちの姿を、水中カメラの映像で報じた。バックでは吉田拓郎の歌が流れていた。
「♪ 今 赤坂見附を〜(アカサカミツケヲ〜)
   過ぎた〜ばかり〜(マルノウチセンデ〜)」